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トランプの農業救済は逆効果

貿易戦争の対策で農家に1.3兆円。足元からも批判噴出

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

トランプ大統領=2018年7月25日、ワシントン
 トランプ政権は貿易戦争で影響を受けるアメリカの農家に120億ドル(1.3兆円相当)の支援策を講じると公表した。対策の内容は、価格低下によって影響を受けている農家に対する補てん金の交付、売れなくなって余っている農産物の政府買い上げ(意図は価格の浮揚だろう)、新たな輸出市場の開拓である。この対策はアメリカで物議を醸している。

米国の「見込み違い」が農業不況を招く

 トランプ政権は当初、中国に関税を引き上げられてもアメリカの農家は影響を受けない、と主張していた。

 5月にスイス、ジュネーブで開催された国連食糧農業機関(FAO)および貿易と持続的発展のための国際センター(ICTSD)共催のシンポジウムに参加した際、アメリカ政府で農業交渉を担当した人から、ロス商務長官が次のように主張していると聞いた。

 農産物のようなコモディティ(差別化されない商品)は、中国市場が閉鎖され、他国の対中輸出が増えたとしても、アメリカはその分中国以外の市場に輸出することになるので、影響は生じない――。

 確かに、世界の市場で需要と供給が仮に1千万トンで均衡しているような場合、特定の輸入国が特定の輸出国からの輸入を制限しても、世界全体の需要と供給が変わらない限り、価格は変わらない。

 アメリカとブラジルの二大輸出国が競争している世界の大豆市場を例に考えると、仮にブラジルが他の市場への輸出を減らして中国向けに輸出を増やしたとしても、中国以外の市場ではブラジルの輸出は減少し、アメリカは輸出を増やせるというわけだ。

 しかし、ブラジルが国内に在庫を抱えていれば、ブラジルは在庫を取り崩すことで、世界全体への輸出量を増やすことができる。在庫の減少分は、翌期の生産を増やすことで穴埋めすればいい。

 このとき、世界全体の供給量が一定であれば、アメリカの輸出量はブラジルが輸出を増やした分だけ減少する。世界全体の供給量がブラジルの輸出の増加分だけ増えれば、価格はかなり低下する。現実には、この中間の、アメリカの輸出も減り価格も下がるというところに落ち着くだろう。

米アイオワの大豆農園=2011年7月14日

 このように考えなくても、世界貿易の3分の2を輸入する中国がアメリカ産大豆の輸入を制限すれば、行き場を失ったアメリカ産大豆の価格は下がる。実際に、トランプ政権が中国に対して関税を引き上げ、中国がアメリカ産農産物等に報復的に関税引上げ措置を採った6月以降、安定的に推移してきた大豆のシカゴ相場は2割も低下し、過去10年間で最低の水準まで落ち込んでいる。現在起きているのは、ブラジル産に比べてアメリカ産の価格が低下し、これを奇貨としてエジプトやメキシコ等の輸入国が低い価格でアメリカ産大豆を買いあさっているという状況だ。

 似たような事態が、過去にも起きている。ソ連のアフガン侵攻への制裁として、アメリカのカーター政権は対ソ穀物禁輸措置を講じた。ソ連へのアメリカ産穀物の輸出は確かになくなったが、これを見た他の国々がソ連への輸出を増やしたのだ。対ソ穀物禁輸措置は全く効果を上げなかったばかりか、行き場を失ったアメリカ産穀物の価格は低下し、アメリカは深刻な農業不況を招くこととなった。

 「輸出国(アメリカ)の禁輸」と「輸入国(中国)の輸入制限」という原因に違いはあるが、アメリカから特定国への輸出が減少し、アメリカが不利な結果を受けたことは同じである。

「なぜ農家だけ?」足元からも批判

 今回の農業支援策は秋の中間選挙で農業票を逃がさないようにするための対策であることは明らかだが、トランプ政権の与党である共和党の農村部出身議員の間でもすこぶる評判が悪い。

 地元の声に敏感なアメリカの議員の主張は地元の農家の主張と考えてよい。彼らは金なんか要らないから元通り輸出できるようにしてもらいたいと主張している。欲しいのは「援助(エイド)」ではなく「貿易(トレイド)」だという。そのためにトランプに対中関税引上げの撤回を求めている。

 一部の議員は、農業界は120億ドル以上の損失を受けていると主張している。アイダホ州の農業部長は公共ラジオ放送のインタビューで、これまで州のミッションを派遣して築き上げた輸入国との信頼をいっぺんにだめにしてしまったし、農家はこの事態がいつまで続くのか先行きに不安を感じている、と述べている。

 トランプ政権は、この対策は短期的なものであり、その間に外国と交渉して今より良い輸出条件を勝ち取るから、それまで我慢してくれと農家を説得している。しかし、各国が交渉のテーブルに着くかどうかも分からないし、着いたとしても簡単に交渉がまとまる可能性はない。中国がトランプに屈してアメリカ産農産物に中国市場をより一層開放するとは思えない。農家の不安は増すばかりだ。

 7月25日にEUのユンケル欧州委員会委員長はトランプの要請に応じて大豆の輸入拡大を約束したと報じられているが、EUの大豆関税は長年ゼロになっているはずであり、中国のような国家貿易企業を持たないEUがどうやってアメリカ産大豆の輸入を拡大できるのか、定かではない。記者会見でも具体的な方法に言及はなかった。

 かりにEUが輸入を増やしたりしても、EUの大豆の消費量は中国の6分の1に過ぎず、加えて消費量の85%をすでに輸入しているので、増やせる余地は少なく、焼け石に水だ。このように考えていたところ、7月27日付のフィナンシャル・タイムス紙は「EUのように市場経済の国が旧ソ連のように意図的に買い入れを増やすことはできない。アメリカ産の大豆価格が低下しているのでEUの民間企業が同国産の大豆輸入を増している現状を言っているだけだ」という趣旨のEU担当官の発言を紹介している。トランプが勝ち取ったディールというのは、せいぜいこの程度なのだ。

ホワイトハウスで共同声明の発表を終え、大統領執務室へ戻るトランプ大統領とEUのユンケル欧州委員長=2018年7月25日、ワシントン

 もし、この対策が一回限りのものではなく、トランプの貿易戦争が続く限り、または外国の市場を開放できるまで、講じなければならないとすれば、長期的に多くの負担を納税者に強いることになる。それは、共和党の「小さな政府」や「納税義務の軽減」という原則に抵触する。

 共和党の議員は、トランプによる自業自得の自傷行為に納税者の負担で事態の収拾を図るべきではない、関税も税であり消費者や産業に負担を強いるものなので撤回すべきだ、と主張している。

 特に関税についての権限は憲法上連邦議会にあるのに、トランプが232条(安全保障を理由とした関税引き上げ)という、これまで死んでいたような法律を活用し、議会に相談もしないで鉄鋼やアルミ、さらには自動車の関税までも引き上げようとしていることに批判を強めている。ある議員は「私が11年も乗っているホンダのアコードがアメリカの安全保障上の脅威なのか?」と述べている。

 さらに問題となるのは、「トランプの貿易戦争」で影響を受けているのは農家だけではないのに、なぜ農家だけ支援されるのかという、もっともな批判だ。

 ハーレーダビッドソンをはじめ多くの企業が工場を閉鎖したり、海外に移転したりしている。レイオフされる従業員も出ている。アラスカ州出身の共和党上院議員は「漁業者はどうして支援されないのだ。彼らは海の農家だ」と主張している。差別されているという意識は怒りを生む。

 これが中間選挙にどう反映されるのだろうか? この問題をこじらせば、トランプ政権は大きな打撃を被ることになろう。

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