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ニコンが中止しようとする元「慰安婦」写真展の新たな動き

林るみ 朝日新聞「be」編集部員

 ニコンが開催を中止しようとした韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんの写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」から依然、目が離せない。

 東京・新宿のニコンサロンでの写真展が、喧騒のなかで終了してから1か月。写真展をめぐって新たな動きが出ているからだ。

「正常な形で改めて写真を見たい」という声が高まり、市民有志たちの手で、8月28日から9月9日まで、東京で写真展が開かれることが決まった(巻末注)。一方、9月13日から大阪ニコンサロンで開催される予定のアンコール展については、ニコンはまた「中止」といっている。

ニコンに写真展会場の提供を命じる仮処分が出た後、会見する写真家・安世鴻さん(左)=2012年6月22日、東京・霞が関

 大阪アンコール展については、選考の結果、5月に、ニコン側から安さんに開催の正式決定の通知があったのだが、ニコンは、東京展の中止を決めた段階で大阪の中止も決定した、という。理由を広報課にたずねても「『諸般の事情』という以上に申し上げられない」と繰り返すばかり。東京のときと同じパターンだ。ニコンの迷走は続く。安さんはニコンに対して開催を強く要請している。

 こんななか、大阪でも市民の間で、写真展を開催しようとする動きが出ている。またこれとは別に名古屋、広島や札幌など、全国10か所以上での巡回展も企画中だ。背後に大きな組織やスポンサーがあるわけではなく、一般市民がカンパを募りながらの活動だが、動きは静かに広がりつつある。

 折しも、韓国内でレームダック化した李明博大統領のパフォーマンス的な竹島上陸を機に日韓関係は政治レベルでは一気に悪化した。無策な政治外交によってナショナリズムが煽られる。写真展関係者は、本来違うはずの領土問題と人権・人道問題が一括りに捉えられることを懸念しつつも、こういう政治の動きに影響されることなく、準備を進めている。

 そもそも写真展を準備する人たちには、安さんの作品を、まず写真としての質の高さという点から正当に評価したいという思いがある。ニコンによる中止騒動があったから見るのではなく、写真そのものがいいから見たい、もっと多くの人に見せたい、そしてなにより表現の場を奪ってはならない、という思いだ。

 韓国伝統の韓紙(ハンシ)に、水墨画のような独特の深みをもってプリントされたモノクロ写真は元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちの深く刻まれた皺、白髪の1本まで繊細に柔らかく映し出す。被写体とは距離を保ちつつ、静かに寄り添う。淡々と被写体を捉えるが、その背後に流れるもの、ハルモニたちが生きてきた歳月を映し出す。

 それは11年前から撮影を続けてきた安さんと被写体とのつながりから生まれたものだ。7回、中国に渡り、1回の撮影につき1か月以上、ハルモニと過ごしたが、その大半を彼女たちの生活の営みを手伝い、話を聞くことに費やした。レンズを向けるのは、滞在最後の2日間だけと決めていたという。安さんは「先入観をもって見ないでほしい」と写真にキャプションも付けない。

 それにしても、なぜニコンはこれほど中止にこだわるのだろうか。安さんが会場使用を求めて仮処分を申し立てた裁判で、安さんの主張を認められると、ニコンは写真展の内容に「政治性がある」として異議申し立てを行い、最後まで開催を認めようとはしなかった。

 その主張は、東京地裁によって「テーマによっては政治性を帯びるのが写真文化だ」と完全に否定されたが、写真文化を支えてきた企業のものとは思えない内容だった。写真業界では「今回の件でニコンはブランドを傷つけただけだ」という声も出ている。

 ニコンサロンで個展をすることは新進の写真家にとっては、ひとつのステータスで「あった」(いまとなっては過去形)。私もかつて「アサヒグラフ」で仕事をした関係でニコンサロンによく通ったが、選考委員による選考を経て展示される写真は質が高く、ときに骨太のテーマの作品も見られるという点で、貴重な写真ギャラリーだと思っていた。

 近年は海外からの出品も増えていた点で注目していた。写真展のなかで年間の最優秀作品には「伊奈信男賞」が与えられるが、たとえば、2011年の受賞者は韓国人写真家の李尚一(イ・サンイル)氏である。テーマは「光州事件」。韓国現代史の重く深い痛みを表す写真が、日本の写真界で評価されたことに驚いた。しかし、今回の件はそんなニコンサロンの存在意義も無にするに等しい。

 中止の理由は、選考委員にも具体的に説明されなかった。しかも選考委員はこの件でのメディアの取材はすべて広報を通すようニコンから言われたという。こうした状況は受け入れ難いとして5人の選考委員の1人、写真評論家の竹内万里子さんはその役を辞任した。「たとえどんな事情があれ、写真家と真摯に向き合わないということはあってはならない」と竹内さんは語る。

 安さんの写真展のあとにも、ベトナム戦争、ソマリア、日系人強制収容所など、戦争をテーマにした展示が続くが、それらは問題になっていない。安さんの写真展だけを「政治的」だとしたことは、ニコンこそ、安さんのテーマに「政治的」に反応したからに他ならない。

 ニコンが敏感になったのは、今回のテーマがいわゆる日本軍「慰安婦」問題、すなわち日本の植民地支配と戦争責任にかかわる内容だったからである。強硬な中止には、ニコン内部で大きな力が働いたのではないかともいわれた。経営トップからの力、いや、株主からの力だ、いやいや、ニコンが所属する三菱グループからの力だ、とも。真相はわからないが。

 こと「慰安婦」問題は、政府が日本軍の関与を認めて20年近くになるが、保守メディアやネットなどを中心に、「慰安婦」の強制性を否定し、問題自体を「捏造」だったとする声が高まっている。2001年のNHK番組改変問題に見られたように、メディアがその問題を取り上げるや激しい攻撃に曝され、問題に触れること自体がタブーになるという深刻な事態になっている。

 今回も写真展開催が報じられるなり、ネットや電話でニコンに対する攻撃や脅迫などが激しくなり、状況を一変させた。一部の声にしろ、なにしろやり方が過激化している。

 一方、こうした動きを利用しようとする「保守」政治家もいる。昨今、何かにつけ“トラブル回避”が至上とされる一般民間企業ではそうした圧力に屈しやすいことも察しがつく。表現・言論の自由に対する萎縮や自己規制を批判するのは簡単だが、そうした暴力的ともいえる執拗な攻撃や脅迫に毅然と抗えるのは、社会や世論の支えがあってこそ、なのだ。

 ところが今回は、そうした点からも特筆すべきことがあった。まず、安さんの態度である。写真展会場前で「安世鴻に天罰を!」などと、マイクで怒声が響いても、

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