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日本公開実現『ソング・オブ・ザ・シー』(下)

トム・ムーア監督に聞く 「高い芸術性と興行的成功を両立させたい」

叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師

 好評公開中のアイルランドの長編アニメーション『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』。日本公開に際しては、制作スタジオのカートゥーン・サルーンからアニメーターのローリー・コンウェイ氏が来日した。コンウェイ氏は、初日となった8月20日のトークショーに登壇し、満席の観客を前にして次のようなエピソードを披露した。

 「本作は、トム・ムーア監督が『ブレンダンとケルズの秘密』制作の激務から1週間休暇をとって、アイルランドのスケリッグ島で2日間で構想した企画から出発しました。制作には2年半かかり、各国の助成金を得るべく5カ国のスタジオで作業が行われました。2コマ作画で撮影し、約7万枚の動画を費やしました。製作費は6000万ユーロ(約68億円)でした。ディズニーの『ベイマックス』製作費は1億5000万ドル(約150億円)と聞いていますから比較になりません」

 ちなみに日本国内で過去最大規模であったスタジオジブリ『かぐや姫の物語』の制作期間は8年、製作費は51.5億円とされている。6000万ユーロでも日本では並ぶ作品がないほど破格であり、超大作であったことが伺える。

 本作は、どのようにして実現したのか。そして、本作の成功は今後にどう影響するのか。前回に引き続きトム・ムーア監督インタビューの続きをお届けする。

日本公開実現『ソング・オブ・ザ・シー』(上)――トム・ムーア監督に聞く 「『わんぱく王子の大蛇退治』に学んだ様式と映像美」

ミッシェル・オスロと小津安二郎の空間構成を意識

――本作では真正面や真横のレイアウトが多用されており、空間の捉え方が平面的です。たとえば、シアーシャが歌いながら昇って行くラスト近くのカットなどは、日本の作品ならばカメラがキャラクターを追いかけてくるくる回り、短いカットを積み上げて空間の立体性を強調するのではないかと思いました。

 しかし、『ソング・オブ・ザ・シー』ではカメラはゆっくりPAN(パン)する程度で派手に動きません。ワンカットも比較的長い。どちらかと言えば主観的でなく客観的です。様式という意味では、日本の多くの商業用アニメーションとはかなり異なる印象です。

妖精3人組ディーナシーとシアーシャ、隠れて見ているベン。特徴的な真正面の重層的レイアウト。石像と木立のコントラストが美しい妖精3人組ディーナシーとシアーシャ、隠れて見ているベン。特徴的な真正面の重層的レイアウト。石像と木立のコントラストが美しい (c)Cartoon Saloon, Melusine Productions, The Big Farm, Superprod, Nørlum

トム・ムーア 『ソング・オブ・ザ・シー』は風景画のような様式を意識しました。カメラワークにはあまり興味がないんです。

 芸術的な様式については、ずいぶん前からミッシェル・オスロ《注1》の影響を受けています。彼は友人です。私が若い頃に色々なアドバイスを頂きました。

《注1》ミッシェル・オスロ
フランスを代表するアニメーション監督。社会的なテーマを平面的なレイアウトと美しい美術で描く独創的な作風。高畑勲監督と深い親交があり、主要な長編の多くが三鷹の森ジブリ美術館の配給によって日本公開されている。代表作『キリクと魔女』(1998年)、『アズールとアスマール』(2006年)、『夜のとばりの物語』(2011年)など。

――大変よく分かります。オスロ監督の諸作品も正面・真横を多用した平面的な空間で豊かな色彩と様式美を重視されていますね。前作『ブレンダン−−』では様々な画角のレイアウトや短いカットを積み上げたアクションなどもありましたが、『ソング・オブ・ザ・シー』はオスロ監督的様式という意味でも一層進化しているように思います。

ムーア 私の長編2作品の編集は正反対の方針で臨みました。『ブレンダン−−』は言わば黒澤明監督のマルチカメラ撮影による編集(複数カメラで同時撮影した後、最適カットを編集する)の影響を受けています。一方、『ソング・オブ・ザ・シー』は小津安二郎監督のような静的な設計を目指していました。

――小津監督は極端に低い位置にカメラを固定し、正面に役者を正対させたアップの切り返しによる会話シーンを多用しました。そうした演出を意識されたということでしょうか。

ムーア 小津監督は舞台の全てを見せずに細部でつなぎます。そして、正面で話しているキャラクターの後方で他のキャラクターが動いている――といった奥行きがあります。『東京物語』《注2》のように、重層的な空間構成にしたかったのです。長回しで切り返しのカットを多用しようとも思いました。しかし、制作の途中で変更することになってしまいました。テレビ用の作品に馴れている子供たちにとっては、ワンカットが長すぎると飽きてしまうという弊害があったのです。当初の想定よりずっと早いペースになってしまいました。

《注2》『東京物語』
1953年、松竹製作。監督/小津安二郎、脚本/野田高梧・小津安二郎、出演/笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、三宅邦子、香川京子ほか。国内外で最高の日本映画として賛辞を浴び、世界各国の映画監督・映像制作者に多大な影響を与えた。何度もリメイクされている名作。

――さらに静的なスローペースを予定されていたのですね。長編アニメーションでは冒険だと思います。

ムーア 観客のみなさんから「随分ゆったりした映画だね」とよく言われましたが、私はその度に失笑してしまうんです。90分の本編(エンドクレジットを除く)になる筈だったのですが、圧縮を重ねて85分まで絞って完成させたものですから(笑)。

シアーシャ(左)とベン(右)。ベンは同名のトム・ムーア監督の息子がモデルだというシアーシャ(左)とベン(右)。ベンは同名のトム・ムーア監督の息子がモデルだという (c)Cartoon Saloon, Melusine Productions, The Big Farm, Superprod, Nørlum
 ただ、ワンカットが長いとその分キャラクターが崩れる可能性が高まるので、実は大変な危険を伴うのです。アニメーターの腕がないと成り立ちませんから。

 高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は長いカットが実に多くて「うわぁ、何と大変なカットばかりなのだろう……」と驚きました。高畑さんは御自身で絵を描かれないそうなので、こんな大変な仕事をアニメーターに強要出来るのではないかと思いました。

――正確に申し上げると高畑勲監督は絵コンテ設計の段階でラフな絵を描かれます。それを元にアニメーターの方々と話し合いながら仕上げていくのです。

ムーア それは初めて聞きました。御自身で描かれていても「描いていない」と謙虚に語っていらしたのですね。

 長編アニメーションの指揮はアニメーター出身の監督が多いと思います。一方で、余り絵を描かない人が監督をするということはアニメーションにとって良い芸術的効果をもたらすと思います。技術的な可否よりも演出を優先出来ると言いますか。たとえば、スタンリー・キューブリックがアニメーションを制作したらどんな作品になったのだろう――と考えると私はワクワクしてしまいます。

スタッフ全員が「自分たちの作品」と言える長編を目指す

――監督御自身はアニメーター出身で、中心となる作業は大量に担われていると聞いています。ストーリーボードもキャラクターも御自身で描かれていますよね。「描いて演出する」というスタイルと考えて良いのでしょうか。

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