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被害者を裁き「レイプ神話」を再生産する者(下)

「裁判になっていれば、無罪主張をした」は偽善である

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

性犯罪被害者の現実――レイプは精神的な殺人である

5.「被害女性が示談に応じた以上、実は被害事実はなかった」――

 レイプの被害女性は、急性ストレス障害(ASD)に、かつその後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)に陥ることが多い。それはしばしば、自らの存在価値を疑うほどに強いものとなる。性犯罪は被害者の深部を傷つける。被害者は自暴自棄になって、被害事実の想起を拒否する姿勢を示す。その痛々しい姿を目にしつつ、周囲の人々が本人の状況を思い測って、早急に示談に応じることは十分ありうる。

性暴力被害者に寄り添い支える 「とちエール」、開設1年で相談件数165件済生会宇都宮病院内のとちエール性犯罪被害者を支援する社会の仕組みづくりも求められる=栃木県が開設した「とちぎ性暴力被害者サポートセンター」(「とちエール」、済生会宇都宮病院内)
 そうではなかったとしても、女性はしばしば被害後に深刻な「セカンドレイプ」を受けることを知っている。それは一般に警察や検察による取り調べ、公判での加害者側弁護人・裁判官による尋問等を通じて、被害者に加えられる。

 だが今回は人気俳優が当事者であっただけに、その後のマスコミの過熱ぶりを見てもわかるように、被害女性は多くの激しいセカンドレイプにさらされる可能性があった。さらしものになりたくないという想いから、あるいは最早同じホテルで仕事を続けられないという想いから、示談に応じた可能性も高い。そして被害者は、早く被害事実から解放されるきっかけを求める。それが示談交渉につながるもう一つの要因である。

 メディアやネット上では、不起訴決定後、高畑裕太氏が支払った示談金はいくらだといった話題も目立ったが、この無神経さについては何と言うべきなのだろう。何より問われるべきは、女性が受けた、その後の人生を決定づけるほどの大きな被害事実ではないのか。

 高畑氏の今後の芸能界復帰いかんも話題になったが、第一に問われるべきは、そんなことではなく、被害女性が今後陥りうる激しい心理的苦痛・経済的な困難であるはずだ。

 一般的な事例から推せば、今後被害女性は同じホテルでは働けなくなる可能性が高い。周囲の目をおそれ、加害者との邂逅およびメディアによる追及の可能性におびえ、自らの職場が被害を想起させる苦痛の場となった事実に苦しむからである。その感情が高じれば、それまで住んだ街にさえいられなくなるだろう。

 年齢的に見て、今後被害女性が他の職業を得るのは困難である上に(特にホテルへの再就職は被害をフラッシュバックさせるために、おそらく不可能であろう)、己の存在価値を強く疑うにいたれば、仮に他の職業につけたとしても、仕事は長続きできないかもしれない。そして己の存在価値への疑いは、ついに自殺への想いにつながる危険性がある。

 同時に、被害後のPTSDが強ければ(被害者はしばしば、日々にフラッシュバック、動悸、頭痛、不眠等をくり返す)、支援の手をさしのべうる周囲の人たちとの関係が、断ち切られてしまうこともある。それは時に、経済的援助の手立てを失うことを意味する。

 こうして被害者は孤立無援となり、それがさらに自殺への誘因となる。1980年代にカナダで、レイプ被害者を描く映画がつくられた。それは日本では『声なき叫び』と題されていたが、その原題は「絶叫して死ぬ」Mourir à tue-tête であった。ここで被害者は、日々にPTSDに陥り、恋人との関係もついに維持できず、自らの人生に価値を見いだせないまま死を選ぶ。

 幸い被害者の自殺にいたらなかったとしても、レイプは被害者を殺す。

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