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[書評]『「文藝」戦後文学史』

佐久間文子 著

大槻慎二 編集者・田畑書店社主

伝承される遺伝子 

 〈「文藝」という雑誌がある。 昭和八(一九三三)年、かつて隆盛を誇った改造社から創刊され、当時の文壇の「文芸復興」の機運の中で注目された。〉 という「はじめに」の書き出しに触れて、ああそうか、この雑誌は今上天皇と同い年なのだなあ、とあらためて思った。

『「文藝」戦後文学史』(佐久間文子 著 河出書房新社) 定価:本体2400円+税『「文藝」戦後文学史』(佐久間文子 著 河出書房新社) 定価:本体2400円+税
 それがどうしたと言われればそれまでだが、時代のパースペクティブとしてはてっきりもっと古くからあったものだと思い込んでいた気もするし、日本史上初めて即位の時から「象徴」だった今上天皇の人生に重ね合わせてみれば、同じように大変な時代を生き抜いてきたのだとある種の感慨を抱いたりもする。

 いずれにしてもそう考えることでこの雑誌がぐっと身近に感じられるのだが、そうでなくとも他人事にはできない事情が当方にはある。

 なぜかと言えば、「文藝」の編集長を通算10年4カ月という歴代トップの長い期間務めた寺田博さんが河出書房を辞めてから創刊した文芸雑誌「海燕」の編集部に在籍していたからだ。

 どんな業種でも会社には社風というものがあり、それは代を渡って伝わっていくものだろうが、出版の場合、財産といったら人くらいしかなく、それも極めて濃密な関係において成り立っているものだから、組織の特性は生きて働く遺伝子として伝承される。

 母屋を借りていた福武書店(現ベネッセコーポレーション)とは、異種交配というか突然変異種まで産み出しもした関係だったが、本人が取締役本部長まで務めた出版部門には寺田博が持ち込んだ〈河出書房の遺伝子〉が跋扈し、当の「海燕」編集部にはDNA配列が強制コピーされるような強烈な影響を及ぼした。

 実際、本書に記される「文藝」の歴史を辿っていると、「そうか、あの目次づくりはこういうところから来ていたのか」とか、「あら、こんなところまでがソックリ」など、膝を打つ、を越えてもう笑うしかない瞬間が何度か訪れた。

 まず大前提として、創刊のころからいつの時代でも大手出版社の文芸誌の向こうを張って闘わなければならなかったこと、大家の原稿はなかなか貰えないため、新人作家の発掘と育成が生命線だったことなど、「文藝」も「海燕」も同じである。

 また、詩と戯曲も小説と同等に考えていて、巻頭を飾るのが戯曲や詩だったことも珍しくなかった。そうして海外文学の紹介に重きを置くこと、とりわけ批評を大事にすること、というよりも批評が根底にない文芸誌は文芸誌ではないと考えていたこと、そこに論争があるときは、誌面では両サイドの主張を公平に扱うこと、そしてポケット版「文藝」の最大の売りものであった〈文芸内閣〉ほどのあざとさは稀にせよ、寺田さんに限らず歴代の編集長は常に“売れる”文芸誌を目指していたのだということが理解できる。

 なかでも2度目の倒産のあと挨拶に出向いた作家から執筆を拒否された帰り道、公衆電話から編集部にいた部下の金田太郎氏に電話をかけながら、いわゆる「内向の世代」の面々を集めた座談会を思いつき指示する場面があるが、もうすでに「海燕」の編集長を後進に譲ったあと、取締役会で出張していた本社で校了間際の次号の目次を見て「発行人としてこんなものは出せない」と激怒し、その場で思いついた企画を指示していたことなどを思い出す。まるでいきなり卓袱台をひっくり返す星一徹のようだった。

 また「海燕」が吉本ばななのベストセラーを生み出したとき、これで積年の赤字を全部返してやったぞ、と息巻く姿には、幾たびかの危機を迎えながら、不思議に倒れる直前にベストセラーを生んできた会社の、バクチ打ちの血を感じた。

 ただ大きく違うのは当時の「文藝」が売れていた部数で、10万部とか、寺田編集長の時代でも3万部も刷っていたとか、1980年代以降の文芸誌にとっては夢のような数字である。

 もちろんその遺伝子は、直系として河出書房新社には伝わっている。それは巻末の資料で「文藝」の略年譜を見ても明らかで、寺田以降いま現在に至るまでの目次には、常に大手文芸誌の喉元に匕首(あいくち)を突きつけるような鋭い企画性が見られる。

 話は変わるが、同時代を伴走してきた者として、もっとも「愛すべき河出」の一面を体現してきたと信ずる編集者・飯田貴司氏が、新宿で朝まで飲んだあとそのまま出社し、酔った勢いで社内放送のマイクを握って、オハコである「伊那の勘太郎」を歌ったとか、『サラダ記念日』が版を重ねるごとに、担当者である長田洋一氏の装いが徐々にファッショナブルになっていったこととか、当時の編集者仲間では格好の酒の肴になっていたような話は、当然ここには出てこない。

 代わりに雑誌「文藝」の歴史を綴りながら、えてして業界の内輪話に流れてしまいそうな事柄に対して極めて冷静な姿勢で臨み、「公正公平」な筆致で描きながらそこに社会性をもたせているのは、元新聞記者としての著者の面目躍如というところだろう。

 個人的には中上健次が登場するあたりを非常に懐かしく思い出しながら読んだ。やはり河出書房新社から寺田さんの回顧録『文芸誌編集実記』が出ているが、こちらは中上時代には至らず、1968年の時点で中断されたまま終わっている。本書と合わせ読むと興味は尽きず、それが残念に思われて仕方ないが、そういえば寺田さんも昭和8年生まれだったといま気づき、「文藝」という雑誌とほぼ一心同体に歩んできた編集者の幸福を思った。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。