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[書評]『幻の雑誌が語る戦争』

石川巧 著

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

言葉の端々に宿る思いにふれる  

 これほどまでに情報のデータ化が進み、整理された時代にあって、「戦後の出版文化史に痕跡を残していない幻の雑誌」などあるのだろうか――本書『幻の雑誌が語る戦争』を手にしたとき、私はそんな疑問を持った。

『幻の雑誌が語る戦争——『月刊毎日』『国際女性』『新生活』『想苑』』(石川巧 著 青土社) 定価:本体2600円+税『幻の雑誌が語る戦争――『月刊毎日』『国際女性』『新生活』『想苑』』(石川巧 著 青土社) 定価:本体2600円+税
 著者はそんなつまらない固定観念とは無縁の人だったようだ。

 「文学研究者にとっての古書店は刺激に満ちた資料空間である。なかでもその土地に根ざして長く商売を続けてきた古書店の棚を覗くことには格別の悦びがある」と、各地の古書店に出向き、あるとき幻の雑誌と対面する。それはデータベース検索とはまったく逆の、アナログな出会いだった。

 戦後70年のあいだ、だれにも顧みられることのなかった雑誌との出会い。このような偶然はどれくらいの頻度で起こるかわからないが、かなり低い確率だろう。

 さらにおどろくことに、この数年の間に、著者は四つもの幻の雑誌に出会う。戦中戦後に創刊された『月刊毎日』『国際女性』『新生活』『想苑』の4誌だ。これらは、国会図書館をはじめとする日本国内の図書館などにそろっておらず、これまでの研究でもほとんど言及されてこなかったものだという。

 本書は、幻の雑誌4誌の成り立ちや内容、検閲との確執、寄稿者たちが述べたかったこと、そしてなぜ幻となったのか、などを1誌ごとに分析したものである。

 そのなかで最も紙幅を費やしているのが『月刊毎日』だ。

 最初この雑誌を見つけた著者は、「いままで見たことのない誌名に驚き、どこかのいかがわしい出版社が毎日新聞の名前をかたって発行したのだろうと思った」と書いている。ところが当時の国内の雑誌とは異なり、『月刊毎日』は紙質もよく、執筆者も著名人ばかりだった。さらに奥付には、発行所として、「毎日新聞北京支局内 月刊毎日社」とあった。つまり当時日本の占領地であった北京で発行されていたようなのだ。

 そうして雑誌についての調査が始まる。学者の方の「調査」とはこんなふうにするものなのか。その工程に私はぐいぐいと引き込まれた。

 まず奥付に記された毎日新聞社にあたる。「社内資料にも記録が残っていない」との返答があっても立ち止まらない。『月刊毎日』に掲載された作品がその作家の全集に収録されているのか、初出として『月刊毎日』が掲載されているかを調べる。国会図書館はもちろん、日本国内さまざまな機関をあたる。しかし『月刊毎日』の出版の記録は見つからない。「愕然とした」が、気を取り直して中国の資料保存機関に当たる。そして、北京大学に記録があり、全10冊のうち8冊が所蔵されているのを発見する。

 内容についての分析は本当に興味深い。『月刊毎日』は、1944年11月に創刊され、最終号は1945年8月1日の計10冊が刊行されたものだが(うち1冊は未発見)、その一つ一つを著者は丹念に読み解いていく。

 戦中の言論弾圧がもっとも苛烈だった時代、目次には「神州必勝論(徳富猪一郎)」、「敵米の爆撃戦法(森正光)」など、勇ましいタイトルが続くが、まず著者は創刊の辞に違和感を覚える。

 大本営がラジオや新聞をとおして一億総動員体制を謳っていた当時の言論状況にあって、それは極めて異例なメッセージである。「移り変る新事象を正しく理解する」という表現はメディアが流布させる情報に惑わされてはならないという戒めを含んでいるようにも聞こえるからである。

 さらに同誌に寄稿しているさまざまな作家や評論家などの分析を読み解き、著者は「誤解を懼れずに言えば」と前置きしてこう分析する。

 国内で封殺された言論の場を外地である北京において再構築しようとする体制への抵抗があるように思われる。

 日本国内と異なり、北京での検閲は中国語に対しては厳しかったが、日本語の書物までは手が回らなかったようだ。たとえば、斎藤茂吉や佐藤春夫などについて、『月刊毎日』と同時期の『朝日新聞』などに掲載された作品を比較している。前者には、死んでいった者たちへの哀悼がこみ上げるような作品である一方で、後者では、勇ましい表現や兵士の雄姿が高らかに歌われている。

 中でも私がおどろいたのが、石川達三の「沈黙の島」という作品だ。この作品は、1945年8月号に掲載された(奥付はこの号だけ1日、ほかは10日。理由は不明)。そのなかで石川達三は、天皇や日本人を仮託した「奇怪な島の奇妙な物語」を作中作として記している。著者は次のように分析する。

 厳しい言論統制によって表現の自由を奪われた国家が滅び去るという設定を日本が直面するかもしれない最悪のシナリオとしてとらえたはずである。その意味において「沈黙の島」は、一九四五年八月という段階においていまだ戦争を遂行し続けようとする軍部を挑発する危険極まりない作品だったといえる。

 終戦直前、国内は1億総玉砕の声が高らかに響き渡っていたことと思う。そのなかにあって、日本から離れた北京とはいえ、このような作品を記すことができるのだろうか。

 編集部も掲載の選択を迫られたことと思う。本書では、内務省の検閲がいかに苛烈であり、出版社や作家が苦しんでいたかも描かれている。戦争という特殊な環境下で絶対服従を強いられ、だれもが悩み、抗い、時にそれに飲み込まれながらも、どこかで矜持を保とうとしていた。戦局がひっ迫する中で、編集部はなんとか作家たちの本音の言葉を伝えようとしたのだと思う。その気概に触れ、感動を覚えた。

 そんな思いのあふれた雑誌も、偶然の出会いがなければ存在しないことと同義だった。著者と雑誌たちの出会いと、その後の調査に心から感謝したい。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。