メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[書評]『1968[3]漫画』

中条省平、四方田犬彦 編

野上 暁 評論家・児童文学者

過激で革命的な斬新さが、マンガを芸術に押し上げた

 四方田犬彦編著による『1968[1]文化』、四方田/福間健二編『1968[2]文学』につぐ、シリーズ3冊目。

『1968(3) 漫画』(中条省平、四方田犬彦 編著 筑摩選書)定価:2600円+税『1968[3]漫画』(中条省平、四方田犬彦 編 筑摩選書) 定価:2600円+税
 1968年を起点に、72年までの5年間は、「世界の文化が同時性のもとに成立した歴史上初めての瞬間であった。この5年間には、政治を表象する文化があったのではない。文化が政治的たらざるを得ない状況が存在していたのだ」と四方田は言う。

 そして[1]では、美術、演劇、舞踏、図像、映画、音楽、流行、写真での各分野で起こった様々な現象を、カラーも含めた豊富な図版資料を本文中に紹介しながら、当時のドラスティックでそれだけにエキサイティングな文化状況を鮮やかに浮かび上がらせる。

 ところで、1968年とはどんな年だったのか? 1月に佐世保でのエンタープライズ寄港反対闘争があり、東大闘争が始まり、2月に金嬉老事件、成田空港阻止集会で反対同盟の戸村一作委員長が警官隊との乱闘で重傷を負い、4月に日大闘争が始まり、学園闘争は以後各大学に波及して全共闘運動へと拡大していく。

 海外では、1月に南ベトナム解放戦線の「テト攻勢」が始まり、3月に南ベトナムのソンミ村で米軍による虐殺事件、4月にアメリカで黒人運動指導者のキング牧師暗殺事件、チェコでプラハの春、翌月にはフランスの5月革命などなど、1年の前半だけ見ても内外ともに激動の年だった。そしてまた、ベトナム反戦にからんで「若者たちの反乱」が世界各地に広がっていった時期でもあった。

 マンガもまた、その時代をまさに反映するかのように、1968年を起点にして革命的と言っていいくらいに斬新な作品が、新しい作家たちによって炸裂する。

 1959年に、『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』が同時創刊され、60年代の前半を通して激しい部数争いを展開して10年目。64年に青林堂から刊行され劇画ブームを牽引していたマンガ月刊誌『ガロ』が絶好調で、意欲的な新人が次々と登場し、それまでになかったような過激な作品が頻出していた。それに対抗すべく、手塚治虫は67年1月に虫プロ商事から月刊『COM』を創刊し、そこでもユニークな作家が育ちつつあった。そして、68年には、後に600万部を超える大雑誌に成長した『少年ジャンプ』も月2回刊で創刊された。

 ぼくは1967年に雑誌編集者になり、その年の10月から手塚治虫を数年間にわたって担当し、以後亡くなるまで様々に付き合ってきた。その頃すでに手塚は大御所中の大御所だったが、他の作家の作品の評判を著しく気にしていて、新人作家や新連載の感想を担当編集者に尋ねるのだ。そのため、編集者は主な雑誌にくまなく目を通しておく必要がある。

 いま思えば、その頃手塚はまだ38歳か39歳で、まさにこれからという年齢だったのだから、ライバル意識も強かったのだろう。だからぼくは、『週刊少年マガジン』『ガロ』『COM』は自宅で定期購読し、それ以外も会社で出来る限り目を通していた。そんなこともあって、この本で四方田と中条が論じている作家と作品については懐かしく思い出され、鶴見俊輔と天沢退二郎が『展望』に寄せた評論も印象に残っているものだった。掲載されている作品の多くも、かつて読んだときの記憶がかすかによみがえってくる。

 とはいえ、編集者として一種の職業的な感覚で作品を読んだぼくと、60年代に少年週刊誌とともに成長し、当時まだ10代の後半だった編者の四方田や中条とは、作品に対するのめり込み方や受け止め方もずいぶん違う。

 赤塚不二夫の70年代の実験的作風を強めた作品について、「漫画界のゴダールともいうべき批評性とノンセンスを、作品のなかに導入するようになった」とし、この時期の『天才バカボン』について、「様式における徹底した過激さにおいて、漫画史に記憶されることだろう」とする四方田の指摘になるほどと思う。作品の選び方には、読者として幼い頃からマンガを読み込んできた二人ならではの、その時代に衝撃を受けた作品への思い入れも反映されているようだ。

 四方田は山上たつひこの『光る風』に託したメッセージに触れ、「2010年代の現代、その予言性によってますます重要になろうとしている」と述べるが、まさにその通り。本書では、山上の作品は『週刊少年マガジン』に掲載された「回転」を載せている。この作品は、ベトナムに送る兵器を製造する工場の社長の死と、学徒出陣で恋人を失った女性の無念を、フラッシュバックさせながら戦争への怒りを鋭く突くもので、今日的にも胸に迫るものがある。

 佐々木マキの『ヴェトナム討論』は『ガロ』に掲載された作品だが、実在のタレントや著名人の写真をネガ状に反転加工させてコマに収めた斬新な手法の、それ故に妙にリアルな作品だ。そこに込められた状況批判と批評性は鋭く、手塚治虫が彼の作品に厳しく反応して拒否的であったと四方田と中条は記している。佐々木作品については、巻末に掲載されている村上春樹の「佐々木マキ・ショック・1967」から、当時の佐々木作品が読者に与えたインパクトの強さがわかる。

 つげ義春の作品は『ゲンセンカン主人』が収められているが、その前に『ガロ』に掲載された『ねじ式』の衝撃はいまだに生々しく覚えている。まさに68年のマンガにとっての大事件だったのだ。石子順造が「存在論的反マンガ」と評した言葉が当時話題になったが、この本の巻末に収められている天沢退二郎の「つげ義春覚え書――『ねじ式』における芸術の状況」は、シュールでセクシャルで夢幻的な作品の魅力を、気鋭の詩人が論じた文章として話題になり、雑誌『展望』に掲載されたときに仲間内で回し読みした。

 天沢と同じく仏文学者の中条は、巻末解説でつげのマンガを評して「私たちの精神の奥底を刺激するマグマのような喚起力が漲っていました。こうして〈前近代〉の恐怖の魅惑もまた、1968年前後の日本のマンガにあふれていた特徴でした」と述べている。

 やはり巻末に採録されている鶴見俊輔の「『ガロ』の世界」も印象深かった。白土三平の「カムイ伝」を評して、こう書く。「ここには、たやすくは転回の方法のない現代の状況に対して、自己欺瞞なくこれと対決する姿勢がみられる。吉本隆明の詩論と白土三平の漫画、それらの発表舞台となる『試行』と『ガロ』とは、大学生に現代の総合雑誌によって与えられることのない本格的な精神の糧を与える」。この一文が66年の『展望』に載ったとき、まだ大学生だったぼくらは喝采した。

 ちなみにこの本に収められているマンガ作品には、林静一「山姥子守唄」、岡田史子「墓地へゆく道」、宮谷一彦「緑色なる花弁――性紀末伏魔考」、水木しげる「涙ののるま」、大山学「化石の森」、花輪和一「肉屋敷」、池上遼一「三面鏡の戯れ」、楠勝平「臨時ニュース」、安部愼一「美代子阿佐ヶ谷気分」などのほか全部で21作品。当時の政治状況を反映させた暴力とテロルの予感が横溢し、エロチシズムと退廃と死のイメージや恐怖を抱え込み、いずれも刺激的で、先行する文学や映画芸術をも凌駕するかのような、革命的ともいえる斬新さに満ち溢れている。

 マンガという一種アナーキーなメディアが、戦後世代の表現者を中心にその創造的想像力を刺激し、時代の暴力的なエネルギーを背景に過激に変化を遂げていくまさにその瞬間の作品群なのだ。こうして、長らく俗悪な子ども文化として蔑まれていたマンガが、芸術にせり上がっていったのだ。そして、この本に収載された作品を、改めて読み直してみても、今日的なアクチュアリティーが失われていないことに驚かされる。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。