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低調な「個人識別番号法案」 報道法案成立後も継続して検証を

臺宏士(毎日新聞社会部記者)

 外国人を含む日本国内の居住者全員に生涯不変の番号を割り当て、行政機関がその番号を使って個人情報を管理するシステムの導入を柱とした、個人識別番号法案を巡る報道が総じて低調だ。法案は今年3月、国会に提出され、同22日の衆院本会議で審議入りした。新聞、民放労連などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」は、「マスメディアは、一部を除いてほとんどが早期成立を期待するかのような報道に終始していることに懸念を覚える」との内容の声明を4月5日付で出した。

 東京で発行される新聞の社説に関して言えば、全国紙は今国会での成立を求める読売をはじめ賛成側で、東京(中日)が異議を唱えるという構図になっている。法案自体も自公民の3党が成立で合意。今国会での成立が確実視され、こうした情勢が低調な報道を招いている背景にあるだろう。

 東京電力・福島第一原発事故は、将来の危険性を見通し、事前の警鐘を鳴らすことが、新聞報道の重要な役割であることを改めて示した。共通番号制と原発。「システムの安全性」を強調し、危険性を低く見積もる政府の姿勢は重なって見える。根本的な議論を世論に提起するような報道は一層、重要だ。

 今回の法案では、身分証も兼ねたICカード「個人番号カード」の配布と、行政機関と民間分野での個人情報データベースのネットワーク化―情報提供ネットワークシステム(情報ネット)―を図るシステムが構想されている。本当に悪用や、情報漏れの恐れはないのか。インターネット社会では、個人情報は放射性物質のように、一度外に出てしまえば回収は事実上、不可能だ。いつでも、だれかが自分の個人情報を悪用しかねないという精神的な苦痛や不安は、健康被害と同様、未然に防ぐ必要がある。

 実際に国が安全だと主張してきた「住民基本台帳ネットワークシステム」(住基ネット)で住民票コードの流出はあったし、住民基本台帳カードを不正に入手した事件は後を絶たない。「マイ・ポータル」という自分の個人情報や各官庁からのアクセス記録を確認するサービスはインターネットを利用することからシステムに弱点が存在することは内閣官房の向井治紀審議官も国会で認める答弁をしている。昨年は長野県警の警察官がOBの探偵業者に車検情報を漏らし、見返りに現金を受け取る事件があった。個人情報を売って小遣い稼ぎをする警察官もいる時代に、罰則を根拠に問題ないというのは、楽観的すぎる。

わかりにくい朝毎の社説の変化

 そもそも本当に違憲性はないのだろうか。情報ネットは住基ネットを基盤とし、個人番号は住民票コードを変換して生成する。住基ネットは、「国民監視のための総背番号」として、2002年8月の稼働に際し、福島県矢祭町など離脱自治体まで出たことは記憶に新しい。

 住基ネットの違憲訴訟で、金沢地裁(井戸謙一裁判長)は05年、大阪高裁(竹中省吾裁判長)も06年に「住基ネットは原告らのプライバシーの権利を犠牲にしてまで達成すべきものとはただちには認められない」(金沢地裁)、「個人情報保護対策の点で無視できない欠陥がある。拒否する人への適用はプライバシー権を著しく侵害する」(大阪高裁)とプライバシーを保障した憲法13条に違反するとの判決まである。最高裁判決(08年3月6日)で、住基ネットで扱われる個人情報が氏名、生年月日、住所、性別、住民票コードなど「個人の内面に関わるような秘匿性の高い情報とはいえない」として合憲だと判断され、辛くも違憲性を免れた。

 これに対して、情報ネットでは、社会保障、税、災害分野での利用に始まり、さらに民間分野にも広げる。一元管理される個人情報の種類や利用範囲は、住基ネットをはるかにしのぐ。最高裁の判決に照らせば、違憲性を帯びる可能性のあるシステムと言えなくもない。

 合憲判決に対する新聞各社の社説での評価は割れた。積極評価したのは、読売、日経、産経。朝日、毎日、東京は、説得力に疑問を呈した。「万能のお墨付きではない」(毎日)、「合憲判決で安心できるか」(朝日)、「個人が透視される怖さ」(東京)。疑問視した毎日、朝日も今回の法案に対しては、毎日「マイナンバー制 将来像も含め議論を」(3月5日)、朝日「マイナンバー―活用拡大への目配りも」(3月26日)と評価。東京「マイナンバー 導入は問題が多すぎる」(3月2日)と異なり、朝毎の立ち位置の変化は、わかりにくいように思える。

 共通番号は管理が便利なため、一度導入されるとその利用は際限なく広がっていく。住基ネットを利用できる行政事務は当初93件に限られたが、02年のうちに264件、05年には283件と増えた。最近も、消えた年金記録の突合や、東日本大震災で失われた住民基本台帳記録の復元に使われた。そもそも民主党が昨年2月に法案を提出した理由は、消費増税に伴う低所得者対策として採用しようとした給付付き税額控除にあった。しかし、それは遠のきつつある。

 政府は北欧のケースをしばしば引き合いに出して、共通番号制の有用性を強調している。1946年に導入したスウェーデンのデータ検査院長官は、96年に来日した際の講演で「(個人番号は)多くの人々にとってプライバシーに対する脅威のシンボルとなった技術だ。お勧めしない」と述べたという。違憲と考えているドイツのほか、犯罪の温床となった反省から、米韓では共通番号から距離を置きつつあり、イギリスは国民IDカード実施を前に廃止した。

 仮に法案が成立したとしても、個人番号の利用が始まるのは16年1月だ。かつて導入が見送られたグリーンカード(少額貯蓄等利用者カード)のケースを考えれば、日本でも引き返せた過去はある。継続的な検証報道は今後も欠かせない。

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臺 宏士(だい・ひろし)

毎日新聞社会部記者。1966年埼玉県生まれ。早稲田大学卒。90年毎日新聞社入社。著書に『個人情報保護法の狙い』(緑風出版)ほか。

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本稿は朝日新聞社発行の専門誌「Journalism」5月号より収録しました。

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