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埋もれた声を発信し、大衆社会に幕

ブロガー1千人超のハフポストの狙い

竹下隆一郎 ハフィントンポスト日本版編集長

ハフィントンポスト日本版

 米国をはじめ世界15カ国・地域で展開するネット上のニュースサイト「ハフィントンポスト」グループの日本拠点。2013年5月に開設し、朝日新聞社がパートナー企業に。ユニークユーザーは月間1500万。国内のニュースサイトではトップクラス。全世界の月間ユニークユーザーは2億人。

ハフィントンポスト日本版の編集部。アルバイトの大学生の「声」も尊重し、18歳選挙権のブログを寄稿してもらったハフィントンポスト日本版の編集部。アルバイトの大学生の「声」も尊重し、18歳選挙権のブログを寄稿してもらった
 毎週「ハフポストブログレビュー」をハフポスト日本版で発表し、1週間で最も印象に残ったブログを数本紹介している。

 村上正晃さんという人をご存じだろうか。

 広島県生まれの23歳。原爆死没者の慰霊碑がある広島市の平和記念公園でボランティアのガイドをしている。大学生のとき、外国人観光客と話すことで「英語の勉強になる」と公園に行ったことがきっかけで始めたガイドだったが、若者が原爆を伝えることの大切さを感じ、卒業後もアルバイトをしながら活動を続けている。これまで72カ国から来た計1万1581人を案内してきた。

 村上さんは、有名人ではない。原爆に関する歴史に詳しい学者でもない。だから、これを読んでいる方も当然知らないはずだ。

村上さんの記事から見えてきた新聞の姿

村上正晃さんのブログはトップ記事として掲載した村上正晃さんのブログはトップ記事として掲載した
 朝日新聞の記事データベース「聞蔵Ⅱ」で検索すると、彼をとりあげた記事は数本ある。試しに、村上さんが初めて取り上げられた2015年4月15日の記事をみてみよう。

 《県被団協(坪井直理事長)と連合広島は、若い世代と連携する被爆70年事業の一環として、「若者に伝えたい『ヒロシマ講座』 空白の10年」と題した講演会を開いた。中高生ら約280人の参加者が被爆者の訴えに耳を傾けた。
(中略)
 6月にも高校生や大学生、被爆2世らが被爆者と語り合うパネルディスカッションを開催する。実行委の村上正晃さん(22)=広島市西区=は「自分も平和にかかわり始めたのは昨年から。以前の自分のようにこの問題に興味のない人にも来てもらえるようにしたい」と話した》

 私は2016年5月にハフィントンポスト日本版(以下「ハフポスト日本版」)の編集長になる前、朝日新聞で10年以上記者をしていた。日々魅力的な人に会ってきたが、いつも思っていたのは、数百万部を毎日印刷する全国紙では、村上さんのような「ふつうの個人」の声をうまく伝えられないということだ。

 前述の朝日新聞記事を読んでも、村上さんの原爆や平和への思いが伝わってこない。彼の言葉は、記事の最後にお決まりのように置かれる「コメント」という部品として扱われ、まるで決まった文章のパターンに個性が押しこまれるように、圧縮して紹介されている。

 この記事を書いた記者は、冷たい人間なのだろうか。村上さんの魅力を探る取材力がなかったのだろうか。そうは思わない。ただ、スペースが限られる紙の新聞ではこれが限界。「本題」と関係ないことをダラダラと書けないのだ。

 その他の記事はどうか。たとえば15年8月5日の広島版では、「若いからこそ伝えられる」という大きな見出しとともに、村上さんの人となりが、たっぷりと900字以上も使って描かれている。さきほどの「工業製品」のような記事と同じ記者が書いている。良い記事だ。

 だが載ったのは、主に広島県内で配布された新聞だ。記事が掲載された当時、私はこの記事と出会うことはなかった。

 そう。朝日新聞は「全国紙」「日本を代表する新聞」というブランドを掲げているが、実際は各都道府県、あるいは関西や九州など地方ごとに、紙面に載る記事が異なる。世界に向けて記事を発信する本格的な体制も整っていない。

新聞に載らない普通の個人も扱うハフポスト

村上正晃さんのブログは英訳され世界に発信された村上正晃さんのブログは英訳され世界に発信された
 朝日新聞に入った私は、22歳のときに新人記者として宮崎県に赴任した。村上さんのような、魅力的な若者や農家の人、地方議会の政治家に出会った。いも焼酎と、宮崎のおいしい地鶏を食べながら、たくさんのことを語り合った。彼らからいつも言われて、申し訳なく思っていた言葉がある。

 「朝日新聞に期待していますよ。ぜひ面白い宮崎県人を全国に発信してください。地方紙には出来ないことですから」

 私は常に曖昧な返事をした。朝日新聞の「全国版」に載る個人は、こうした宮崎県の方や、村上さんのような人ではない。それは、大きなニュース性があることや社会的に珍しいことを成し遂げた人、有名人や権力者、肩書きがある人、大事件や大事故に巻き込まれた人、あるいは歴史的な裁判の当事者などだからだ。もちろん個別の「例外」がある。ただ、おおむね、そういう「特殊な個人」が取り上げられる傾向がある。

 一方、ハフィントンポストは、アメリカの著名な文化人であるアリアナ・ハフィントンが05年に創設したインターネット新聞。ピュリツァー賞も受賞した、ネットメディアの雄だが、朝日新聞のような伝統メディアと決定的に違うのが「ふつうの個人」によるブログの寄稿を大々的に扱う点だ。編集部が書く記事以外に、さまざまな立場の人に書いていただくのだ。筆者には大学教授や大臣経験者ら著名な人もいるが、名も無い大学生、会社員、市民団体のメンバーなど「ふつうの個人」の声も重んじている。

 寄稿や投書を新聞記事の「補完」とみなす新聞社と違い、ハフポストは、新聞の1面に相当するスプラッシュ記事(「ハフィントンポスト」という題字のすぐ下の記事)に、個人の寄稿であるブログを取り上げることが少なくない。

 全国の人に読んでもらい、時には英語や韓国語などにも訳し、世界に配信する。約30万のファンがいるフェイスブックや約20万のファンがいるツイッターなどのソーシャルメディアでも寄稿を紹介する。

「平和公園のオバマ」が大統領の広島訪問論ず

ハフポスト編集部にはいつも会話があるハフポスト編集部にはいつも会話がある
 朝日新聞を退職する前、編集長候補としてインターネットの動画通話サービス「スカイプ」で創設者のアリアナと「面接」をしたとき、こんなことを言われた。

 「権威や肩書きは関係ない。今まであなたが聞いたことがない、誰かの、個人の『心の声』を日本の読者に紹介して欲しい。それがハフポストであり、その理念に共感してくれるなら、あなたをチームに迎え入れたい」

 私はこの言葉を聞き、もし編集長に選ばれたら、迷わずハフポストに転職しようと決心した。

 新聞記者時代に感じていた疑問や不満は、ハフポストなら解消できる―。今まで記者として、宮崎、佐賀、福岡、北九州などの勤務地で出会い、「なんとかこの声を全国や世界に届けて欲しい」と私に語りかけてくれたような人たちを、もうがっかりさせることはないと感じたのだ。

 先に紹介した、広島の村上さんも、ハフポストのブロガーだ。私が編集長に就任してわずか20日あまりたった5月、オバマ米大統領の広島訪問時に2本のブログを書いてくれた。1本は英訳して、ハフポストのUS(アメリカ)版に載せ、世界に配信した。

 もう1本は、ソーシャルメディアのフェイスブックで広まり、記事を読んで良い印象を持ったときに押す「いいね!」というボタンが、インターネット上で4400回以上押された。

 ブログはどちらも4千字以上。ぜんぶ村上さんが書いた。編集もほとんど入れていない。写真も村上さんが撮ったものを何枚も並べた。

 2016年5月26日付のブログの題名は「オバマ大統領の広島訪問を控えて23歳のボランティアガイドが思うこと。」だ。

 《どうも、平和公園のオバマこと村上正晃です。(自称)》というユニークな文章で始まる記事で、村上さんはまず、「変化」を唱えて、アフリカ系アメリカ人として初めて大統領に当選したオバマ氏と、高校の生徒会選挙に立候補した自身の経験を重ね、人々の期待を力にしてきた大統領の決断をたたえる。そのうえで、単に訪問することに注目するのではなく、私たちが訪問後に何をするかが大事だ、と力強く訴える。

 名も無い若者の文章が4千字以上、新聞で載ることはない。ハフポスト日本版では写真を12枚載せたが、新聞では多くて2、3枚だろう。さらに、たとえこうした文章の寄稿を受けたとしても、「どうも、平和公園のオバマです」という書き出しや、本論と直接関係ない生徒会の経験は「不要なもの」として削られる可能性が高い。英訳されて、世界に配信される例もゼロに近いのではないか。要人以外の個人の寄稿を翻訳しようと考える人に新聞社内で会ったことは皆無だ。

本題に入るまで回り道 心地よいブログ的語り

 私は、この長く、写真が多く、一見無駄ともいえる文章が続く原稿を読んで、今回のオバマ氏の広島訪問のインパクトが非常によくわかった。それは、原爆が落ちたことを直接体験していない日本人が、訪問についてどう思うのか。歴史や外交の知識が専門家ほどなくても、どのように自分事として語ればいいのか。戦後70年以上がたち、戦争体験者が少なくなった今の時代をどう捉えればいいのか、ということであった。

 村上さんは、《実は最初はガイドをしようなんて気持ちは全くなくて》と正直に告白し、《最初は、原爆を伝えたいという思いよりも、シンプルにせっかく広島に来てくれた人たちに喜んでもらいたいという思いが強かった》とガイドを始めた理由を語り始める。

 本題に入るまでがゆっくりとしていて、いきなり本質を冒頭で掲げる新聞記事とは様相が異なる。ただ、その「回り道」がいい。親しみが持てる。あたかも落語家がネタに入る前、ゆったりと観客に「マクラ」となる雑談のような話題を紹介し、私たちに江戸の下町を想像させる「準備期間」を与えてくれるようで心地よい。

 読者の中には、「広島」や「原爆」のことを普段、考えてこなかった人もいる。だが多くの新聞記事は、読者が社会問題に詳しく、新聞を毎日読んでいるという前提で記事を書く。

 ハフポストはそうは考えない。たとえば電車の中でスマートフォンのゲームをし終えた瞬間、たまたまこの広島の記事に触れた若者がいたら、どう読んでくれるか、と考える。読者を、常に社会問題にアンテナを張っている「意識が高い人」ではなく、「ふつうの人」と捉えるのだ。

 村上さんのことを掲載した先述の朝日新聞記事(15年4月15日)は、村上さんの思いを「コメント」という「部品」として扱ったように、私には思えた。その後、たっぷりと書き込んだ記事もあったが、せっかくの全国紙なのに、それは広島などに配られる地域版に掲載された。紙媒体というフォーマットの、窮屈さを感じる。

 もちろん朝日新聞には、ネット上の「デジタル版」がある。そういう意味では、「世界に配信」しているのだろう。だが村上さんのことを紹介した記事は、「広島」という地域専用のページの中の「平和・ヒロシマ」というコーナーに、ひっそりと置かれていた。デジタル上でも、この記事は単なる地方記事、名もなき個人のことを書いた記事として扱われて、目立つ場所にはなかったように見えた。

 ハフポスト日本版には、村上さんのようなブロガーが約1000人いる。自薦や他薦も多く、毎日のようにブロガーになりたい方から連絡がくる。

「声」を懸命に発信する「ふつうの個人」を発掘

 それだけでなく、ブログエディターと呼ばれる専門の編集者が、ネットでの言論に目を光らせ、まだ世に知られてはいない「声」を一生懸命に発信している「ふつうの個人」を探している。フェイスブックやツイッターなどを渉猟し、魅力的な言葉に出会ったら、すぐに発信者に連絡を取る。こうして、ブロガーは日々、増え続け、年内には1200人に達する見込みだ。

 「かつてメディアは大勢の人々をマスとして扱っていた。多数の個人を塊として、一人の大きな人間のようにみなして扱っていたのだ。個人を個人として扱い、一人ひとりと個別につながることが容易にできるようになった今も、メディアはその姿勢を続けていくべきであろうか」

 現在、メディア業界で最も影響力がある学者であるニューヨーク市立大学大学院のジェフ・ジャービス教授は、近著『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか』(夏目大訳、茂木崇監修・解説、東洋経済新報社)においてこう問いかけ、「インターネットがマスを殺した」という主張を展開している。

 確かに新聞やテレビが発展した20世紀は「大衆の時代」だった。日本でも、

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