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清武氏、頑張れ!

辰濃哲郎

辰濃哲郎 ノンフィクション作家

私の手元に「渡邉恒雄 メディアと権力」という本がある。読売新聞グループの会長兼主筆を務める「ナベツネ」の光と影を追ったノンフィクション作家、魚住昭氏の力作だ。

 鶴の一声で編集方針を覆してしまうほどの権力を握った渡邉氏の半生をつづっている。これを読み返しながら、読売巨人軍球団代表の清武英利氏の渡邉氏に対する造反劇が、単なる「お家騒動」と矮小化されて語られていることに、私は違和感を覚える。

 渡邉氏と清武氏が、読売巨人軍の会長と球団代表であるという役職だけに目を向ければ、ごく限られた狭い世界のお家騒動に過ぎない。組織の中で、経営トップが現場の人事に口を出すことは、よくあることだ。ここまで泥沼の闘いを繰り広げることでもなかろう。

 だが、忘れてはならないのは、渡邉氏は、日本で最多の販売部数を誇る読売新聞グループ会長でもあり、主筆でもあることだ。

 若いころから政治部記者として政界とのパイプを築いてきた渡邉氏は、自民党の副総裁だった大野伴睦に可愛がられ、中曽根康弘首相の誕生に尽力した。もちろん政治部記者だから、政治家の懐に飛び込むことは必要だ。だが、自分自身が政局のプレイヤーになって奔走するのは、報道の中立性や信頼性を担保する観点から、記者が踏み込んではならない一線のはず。それを彼は確信犯的に超えてしまっている。

 魚住氏の「渡邉恒雄 メディアと権力」によると、論説委員長だった渡邉氏は独断で社論を変え、自分の意に沿わない記事を排除した。親しい中曽根首相を批判したコラムを、筆者に相談もなしに休載してしまうなど、報道機関としてはあってはならないことが繰り返された。対立する幹部を追い落とし、人事権を掌握した。報道機関の頂点に立つ人物が、その絶大な権力で新聞の論調を独断で変え、かつ政局のプレイヤーになることは、報道機関として自殺行為に等しい。

 記憶の新しいところで言えば、

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