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【復興アリーナ】被災地のリアリティを共有し、進みつつある忘却を止めたい 藍原寛子

――東日本大震災後、改めてメディアのあり方が強く問われています。

藍原寛子氏

藍原 震災当時、国会議員の公設秘書で、退職することが決まっていました。政府の危機管理のなさ、そのあまりにも酷い状況に、「日本はもう駄目だ」と本気で絶望していました。震災後も政治家は「国民はパニックになる」とエリートパニックに陥って、愚民政治のように被災者を見下す「上から目線」の振る舞いをしていました。ところがジャーナリストの世界に戻ってみると、フリーランスのジャーナリストのなかには国民と同じ目線で駆け回っている人たちがいた。とても感動しました。ですからわたしはジャーナリズムに悲観していません。

もちろん変えなくてはいけないところもあります。震災後、メディアは、国や県など行政の情報を中心に発信していましたが、そこにはいくつか問題がありました。

それはまず、メディアが行政からの情報を一方通行で流していたこと。政府や行政がすべて嘘をついていたとは思いません。しかし正確に発信していたかというと微妙です。メディアは国や行政をチェックすることが役割のひとつです。まず「それは本当か」と批判的な目が必要です。そうしてチェックしていくなかで、国や行政ができないこと、やっていないこと、発表していない内容が浮かんでくるはずです。メディアは、国や行政が発表していることを発表するだけでなく、発表すべきことを発表していないことを報道し、論評すれば、一般の人たちは今なにをすべきかを判断することができます。こういった作業をしてこなかった。

今、福島で子どもを持つ親や、メディアに関心の高い人と会話をすると、「○○について報じていない」「○○新聞は書いていたが、○○新聞は書いていなかった」という話が必ず出てきます。つまり、原発震災という危機的状況に直面して、生き延びる手段のひとつとしてメディア・リテラシーが高まり、「書いてあることを読む」だけではなく、「書いていないことを読もうとする」読者や、「放送していないことを視ようとする」視聴者が生まれています。メディアの人間がこれから視野に入れていかないといけないのは、情報を知識や教養や楽しみとしてだけではなく、実際に生き延びる道具として使う意思があり、なおかつ、リテラシーの高い読者、視聴者です。

現場の目線に立てないジャーナリズム

もうひとつの問題点は、メディアが読者や視聴者の声を受け止める役割を果たせなかったことがあります。メディアの役割は情報を発信することだけではありません。丹念に取材をして一般の人の声を拾い上げなくてはいけない。今回の震災では、多くの報道がテーマを決めつけてから取材に行っていたように思います。突発的な大震災、大事故のなか、余裕がなかったのかもしれませんが、看過できる問題ではありません。

取材に必要な作業は、現場にいる住民と同じ目線に立ち、自分の目で問題を発見し、明確にしていくことです。それは、ジャーナリズムの醍醐味といってもいいでしょう。現場に入って取材をしていくうちに、じつは目指していた幹の部分ではなく、広がっていった枝葉のほうが重要だったということがよくあります。震災直後、メディアはこうした作業をすっ飛ばしていました。そこには、現場に足を運ぶ記者が減っていること、さらには根本的に取材力が足りないだとか、調査能力が不足しているといった問題もあります。

良い例があります。郡山市内は去年の5月から、学校での子どもの屋外活動を3時間までと制限していましたが、「除染が進んだ」として、今年の4月に時間制限を解除しました。NHKではこのニュースをとても「前向きなこと」として報道していたのですが、じつは現場の反応はまったく異なっています。まず子どもたちは休日や放課後には外ではなく、屋内、たとえば郡山市内にある屋内遊技場などで遊んでいます。また郡山市の教職員組合は教育委員会に対して、「無制限に外で遊ばせないで欲しい。3時間ルールに戻して欲しい」と要望を出しています。報道とは違って、現場はいまだに不安にかられています。現場にいる人の目線に立てていないんです。

――そうした問題を生み出している原因はどこにあるのでしょうか。

藍原 柔軟に動けないことにあるのかもしれません。わたしが新聞社に勤めていた頃は、「取材者が当事者になってはいけない」「中立でなければならない」という鉄則がありました。その原則は尊重するとして、だからといって、足しげく現場に通って現場の感覚をつかみ、時間と空間を共有し、問題を発掘する作業をしなくていいというわけではありません。「中立であること」イコール「現場から遠ざかること」になってはいないか。もしかすると、基本的なコミュニケーション能力の問題かもしれませんが。

また、メディアが大企業の場合、たとえば新聞社ですと、まず埋めなくてはいけない紙面があり、そのための記事を書かなくてはいけません。ですから記者は、「ぜひとも書きたい記事」ではなく、「紙面を埋めるための記事」を書かされてしまっているという現状もあります。

ジャーナリズムは自分たちで訴えたいことや伝えたいことがあるからこそ始まったものだと思います。ですからジャーナリストにとって、個人の声を聞くことや伝えることは、個人的で切実なことでもあるはずです。だからこそ、自分たちのニーズに即したものを伝えていくことは「生きた声を伝えること」になっていると思います。それを既存のメディアではできていない。若い人のなかには震災後、仕事をすることや被災者との関係を考え、退職してしまう人もいます。

臓器売買の取材から学んだこと

――ジャーナリストがジャーナリストとしてではなく、企業の社員になってしまっているんですね。

藍原 そうですね。大手のメディアが必要ないと言う人もいますが、わたしはそうとは思いません。ただ、大きい新聞社だからといって、問題を的確に捉えて情報を発信しているとはかぎりません。

今回の震災で考えると、たとえば「福島県民」を捉えるとき、多種多様な人たちがいることを押さえておかないといけないでしょう。家が流されてしまった人、移住を余儀なくされた人。県外に避難する人もいれば、県内を移動する人、その場に留まる人。福島の人たちは、いろいろな決断をする隣人と共存していることを痛感させられたと思います。だからこそ、メディアは現場にいる多様な状況や人たちのもとへ足を運んで、その「今」という時間を共有し、「未来」の判断材料となるべき情報と、「多様で複雑な現状」をしっかりと発信しないといけない。実際に現場を踏んでみるとよくわかりますが、そういった取材で得る人々の声は、とても貴重で、魅力的なものです。

被災地や原発問題にかぎらず、やはり当事者に寄り添って考えていかなくてはいけません。わたしは、フィリピンで臓器売買の取材をしましたが、その間、取材者である自分と、違法な臓器売りをした取材対象(ドナー)との距離感を問われる体験がありました。臓器売買はフィリピンでも違法行為ですが、現地の警察官は決して取り締まらない。臓器売りは違法であっても、臓器移植が必要な患者の命を助ける人道的な行為だし、患者からの感謝の対価として現金を受け取ったまで。

そもそも貧困が原因で発生したビジネスのため、仮に臓器売買を取り締まっても、誰も得をしない。語弊はありますが、窃盗や強盗よりもずいぶんいいという。それを問題だと言う豊かな先進国の人々がいますが、途上国からさまざまなものを搾取して、それによってフィリピンの貧困が拡大しているのに、生きるためにやっている臓器売買を「けしからん」「問題だ」と言い放つのは無責任であると。

ところが実際にはやはり問題があります。現地の医師やブローカーが仲介役になって中間搾取していることや、臓器売りのドナーは腎臓摘出後に医療ケアが受けられず、体調を崩して働けなくなり、一層貧しくなること。ドナーは「貧困の底」よりも下へ下へと堕ちてしまう。

臓器売買の取材をするとき、ただ善悪で議論するのではなく、臓器売りドナーとの、「顔の見える取材」を重ね、その人々に接近し、家族や恋人のこと、手術の風景を話してもらいながら、問題を浮かび上がらせることを試みました。臓器売りのドナーにも家族や親戚がいて、今年のクリスマスこそ、親族全員にプレゼントを贈りたいと言います。そのために生涯ただ一度しかできない腎臓売買をする。それが至福の時だという人が現実にいるんです。貧困が根深くこびりつき、中間搾取や汚職がはびこっている社会に愕然としました。これも、当事者に寄り添ってみて、はじめて分かった問題でした。

風の人、土の人

また、現地ではNPOやNGOの方たちから、「あなたは風の人なのか、土の人なのか」と問われることがありました。これをジャーナリズムに置き換えて考えると、「風の人」は全国を次々に渡り歩き、よその土地で得た情報という種子を風に乗せて運び、各地に豊かさをもたらし、風のように駆け抜けていく人。全国紙の地方勤務記者と言ったらわかりやすいかもしれません。

一方で「土の人」は、いわば地方紙の記者。その土地に踏ん張り、根付き、田畑を耕すように長い時間をかけて人脈を作り、土地を豊かにする。わたしは、これからのジャーナリストのあり方は、「風の人」でありながらも、「土の人」でもあり得る、さまざまな人とつながっていけるもっと豊かな可能性を秘めた情報の媒介者としての存在ではないかと思っています。

以前、地方紙の記者としての可能性に非常に悩んでいたとき、福島に赴任した通信社の支局長からこう言われました。「全国紙だって世界から見ればただの地方紙だ。全国紙であっても一面トップ記事も社会面トップ記事も、地方紙と同じ、日本という国の地方欄でしかない。ところが、そのニュースのなかに普遍性を見出し、掘り下げて報道した時に、どんな記事も、世界の一面、世界の社会面に匹敵する深い記事になる」と。衝撃的でした。

どんな取材にも普遍性が見いだせる可能性があるのだ、と。ニュースのなかに普遍性を見出せば、土の人でも、風の人でもあり得る、と思いました。このアドバイスを意識して取材するようになり、その後、わたしは大きなブレークスルーを何度も得ました。そのたびに、現場取材の可能性と大切さを改めて確認しました。いろんな意味で自分の成長と視点の変化を体感できました。

メディアの真髄に立ち戻らせてくれるミニコミ誌

――今回の震災ではどういった声が聞かれたのでしょうか。

藍原 郡山市には、富岡町の仮設住宅があります。避難所を運営している方と先日話した時、「避難してきた人たちから今でも、『情報がほしい』と言われる」と聞きました。ではいったい、避難している人たちはどんな情報を欲しているのかと尋ねると、「心の通った温かい情報が欲しい」と。その言葉を聞いて、わたしたちが取材して発信してきた情報は、心の通った情報ではなかったんだ。被災地の人に今なお提供できていなかったんだ、と、ずしりとくるものがありました。

この体験は戒めとして持っていたいと思います。「なにも一被災者の声や意見をいちいち気にする必要はない」という人もいるかもしれません。しかし被災地の人たちが何を必要としていて、役に立つ情報を提供するためにどうすべきなのかをトライアンドエラーでやっていかないといけません。重要な課題です。

――必要とされている情報を提供するヒントはありますか。

藍原 今、福島では、個人が思い立って発行したミニコミ誌、市民グループ内の情報紙などがひとつのムーブメントになっています。行政やNPO、学生から農家の一主婦まで、さまざまな人がミニコミ誌やチラシを発行しています。被災者は生活を一変させるような出来事に直面して、日常が様変わりしてしまいました。そういった生活のなかで、抵抗力や行動力が湧き出ている。とにかく声を出し始めている。

情報を手から手へ届けたいという切実な思い。今起きていることは、もしかすると、大きな市民ジャーナリズムのうねりの一端かもしれない。あるいはサイレントマジョリティが声を上げ始めた「スピークアウト」の一環かもしれない。そんな予感もあって注視しています。

加えて、情報に関する需要も高まっています。福島県外に避難した人は、なかなか知りたい情報が得られないことが多い状況にあります。そこで、富岡町は、週1回、福島県内に避難している人を対象に配布していた広報を、今では月2回、全国に避難した町民に配布しています。発信したいと思っている人が本当に伝えたい情報を伝えていて、それを欲している人がいる。これはメディアの理想的なかたちだと思います。

ミニコミ誌やチラシを読むと、「そこに人がいる」という実感を得ることができます。人々の営みや息づかい、もがいたり笑ったりしている姿が伝わってきます。新聞とミニコミ誌では文体がまったく違います。情報の羅列になりがちな新聞に対して、ミニコミ誌ではある程度、情報が絞れていて、文体も親しみやすいものになっています。

ミニコミ誌を読んでいると、本当に重要な情報は取材する記者やジャーナリスト、伝えたいと思っている個人のなかにもあることに気づかされます。大きな新聞に載っていることが重要なのではありません。メディアの真髄は、思いや言葉、生き方を伝えることです。それを勘違いしてはいけません。ミニコミ誌は、メディアの真髄に立ち戻るきっかけを与えてくれるんです。

リアリティのある報道は実体験から生まれる

――今、メディアは何をすべきでしょう。

藍原 情報を出したいと思っている人がいて、その情報を知りたいと思っている声も増えている。しかしそういった場を提供する機会がなく、一方通行のコミュニケーションになってはいないでしょうか。メディアは徐々に受発信しつつあるけれど、情報はまだ足りていませんし、NGOやNPOが独自にメディアを立ち上げ、継続して運営していこうとすると、財政的に厳しくなかなかできない状態にある。

避難した住民は避難民であるだけでなく、情報難民にもなっています。少数ながら発信している人はいても、発信者と受信者がなかなか繋がりにくい。すると、入りやすい情報ばかり入ってしまって情報が偏り、情報に対して視野が狭くなってしまう。集会などに取材に行くと、原発に対して安全だと思う人たちばかりの集会か、危険だと思う人たちばかりの集会になってしまって、お互いの意見が交差したり、建設的な議論が成り立たないという状態になっています。

――多様な情報が手に入りにくいんですね。

藍原 メディアのなかでは「被災者の声」というのが特集などで出たりしますが、この震災は被災状況も多様であるというのを頭に入れないといけないと思います。ある被災者が、他の被災者全員の意見を代弁しているわけではありません。同時に、全員を「被災者」で片付けてはいけない状況もあります。

本当はもっと小さな団体や個別の声を拾い上げていかなくてはいけないんです。現場には報道されている内容とは違うリアリティがたくさんあります。リアリティのある報道は、新聞やテレビからではなく、実体験から生まれるものです。

多様なリアリティを繋げていく

――そうした声がミニコミ誌などであがっている。

藍原 そうです。ただし、ミニコミ誌の多くはペーパーで出しているアナログな活動で、繋がりが見えにくいのが現状です。ネットで流しているものもありますが、ほんの一部です。なにも既存のメディアが新たに情報を発掘しなくてもいい。すでに発行されているたくさんの試みを紹介することも、メディアができることのひとつです。多くのミニコミ誌を繋げていけば、被災者も外部の人たちも、それぞれが違ったリアリティを感じていることがよくわかるようになるはずです。

――繋げることで何がみえてくるのでしょうか。

藍原 市町村、避難所、商店街といった狭い単位で発せられている情報を横に並べて読んでみると、一本串で通せるテーマ、前に行ったような普遍性が顕在化してくる場合がある。

さらに、普遍的な課題やテーマ、疑問などはどういった意味があるのかを拾い上げ解説していく必要があります。そこでは、個人のメディアのほか、特定の問題を集中的に取材することで優位性を保っているフリージャーナリストの存在があります。そうした点になっている活動を繋げていく。新聞やテレビ、ラジオなどの大手メディアと、フリーランスの個としてのジャーナリストが相乗りし、お互いに刺激しあいながら、日本内外の情報格差を徐々に埋めていく。お互いの立ち位置から見えた普遍性をつなげて、広げて問題提起していく。そういったことを「復興タイムズ」ではやっていきたいと思っています。

今、福島をはじめ、被災地の人々の声が変わってきています。それは過去の自省も含めた、本当に深い、日本社会に対するさまざまな問いとなっています。こうした被災者の声を繋げて伝えていくことで、さまざまな問題を提起できると確信しています。

東北大学や福島大学、宮城県山元町、研究機関や図書館等では、資料収集やアーカイブ化が始まりました。今後、復興にはまだ時間がかかるとすると、「過去」を記録しながら、「今」を伝え、「未来」へのヒントを与えるジャーナリズム活動そのものです。同時にわたしたちジャーナリストは、人々の声のなかに問題を見出し、「福島・日本・世界」の未来を視座するところまで拡げることができるはずです。「ニュースは人のなかにこそある」と言いたいですね。

被災地の外にあるフィクションと、被災現場のリアリティの溝を埋めたい

――既存メディアではできない発信を行っていく。

藍原 そう言うこともできるでしょうね。「復興タイムズ」にかぎらず、今後は大手メディアと、自発的に出てくる市民メディアの情報は、ある部分では共存し、同時にある部分では棲み分けをしていくことになるでしょう。

そうしたなか、「復興タイムズ」は、既存のメディアに社員として所属するジャーナリストや市民ジャーナリストとして活動をしている人にとって、ともに大きなヒントになるばかりか、一個人の記者としても大きなブレークスルーをもたらす可能性を秘めていると思います。

冒頭で、現場に足を運ぶ記者が減っていると言いましたが、じつは他にも既存メディア各社の教育プログラム、とくに現場でのトレーニングであるOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が限界に達しているという問題があります。たくさんいろんな研修をさせた。社外研修、国内外留学、海外派遣もした。では次にいったい何をすべきなのかわからない。

そんな時、地域から、生活のなかから、何かを伝えたい、つながっていきたいという切実な思いを持つ市民ジャーナリストと、メディアの記者、フリーランスの記者、あるいは研究者など、多種多様なジャーナリストが、各々に持つジャーナリズムを出会わせ、広げていく場が必要なのではないかという気がしています。こんなジャーナリストがいる、あんなジャーナリストがいる。こういったジャーナリズムがあって、あんなジャーナリズムとも共存している。そんな風に、お互いに刺激し合い、良い意味のライバル関係もあり、新たな地平を見るような場面だってできるかもしれません。

職業的なジャーナリストにかぎらず、市民ジャーナリズムは、取材の方法や倫理の問題、あるいは生計を立てることが難しいといった課題もありますが、お互いにそれらを改善したり、学びあいながら、それぞれの世界が広がっていく。わたしはその可能性を信じています。

――そういった可能性を信じているからこそジャーナリズムに悲観していないわけですね。

藍原 個別の声を拾うジャーナリストはたくさんいます。そして市民ジャーナリストもさまざまな声をあげはじめている。ミニコミ誌を読んでいると、今、必要なのは「人間の復興」だということがわかります。すべてのジャーナリズムは、記者個人の「知りたい」という知的好奇心や興味関心をはるかに超えて、津波や原発に痛めつけられ、苦しめられ、辛い思いをしてきた人たち、わたしたちが、今後、復興や新生へ希望を抱き、方向性を見出せることに貢献できる世界であるべきだと思います。そして、今、被災地の外にあるいくつかのフィクションと、被災現場のリアリティの溝を埋めたいとも思います。それが、今まさに進みつつある忘却への歯止めになると思います。

そして忘れてならないのは、わたしたちは今の読者や視聴者、日本や目の前の人に向けてのみ、情報を発信しているのではないということです。未来を生きているだろう、世界のどこかで読んでくれているであろう読者に向けても、「震災後の今」を発信しているのです。それは長い意味での「人間の復興」と言えるのではないでしょうか。その復興に少しでも寄与できるのだとしたら、本当にジャーナリズムは素晴らしく、この仕事にかかわっていることが感動でもありますね。そう考えると、どうでしょうか、ジャーナリズムの世界の可能性を深く実感できるような気がしてきませんか。

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