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「棄民から帰民へ」―― 広域避難者にこそ社会的包摂の手立てを 山中茂樹

WEBRONZA×SYNODOS復興アリーナ

「人は誰しも独りでは生きていけません。悩み、挫け、倒れたときに、寄り添ってくれる人がいるからこそ、再び立ち上がれるのです。我が国では、かつて、家族や地域社会、そして企業による支えが、そうした機能を担ってきました。それが急速に失われる中で、社会的排除や格差が増大しています」

第94代内閣総理大臣、菅直人氏は、所信表明演説の中でこう問題提起し、「支え合いのネットワークから誰一人として排除されることのない社会、すなわち、『一人ひとりを包摂する社会』の実現を目指します」と高らかに宣言した。東日本大震災が起きる273日前のことである。

社会的包摂、ソーシャルインクルージョン(social inclusion)とは、「すべての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、誰もが“居場所”や“出番”を実感できる社会の実現をめざす」という理念だ。

■信頼へのメルトダウン

民主党が「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズを掲げ、衆院総選挙で圧勝、政権を奪取したのは2009年8月のことだ。それから約1年半後の2011年3月11日に起きたマグニチュード9・0の大地震。東北地方のみならず、円高、デフレ不況下の日本に大打撃を与えた。その復興諸施策は、果たして立党の精神に沿ったものだったのだろうか。

関西学院大学災害復興制度研究所は、震災直後の昨年3月17日、広域避難者の漂流防止策や被災者生活再建支援基金の積み増し、震災遺児や震災障害者の把握と支援策の構築、自治体間の日本版対口支援の実施など、13項目にわたる政策提言を記者発表した。その後、3次にわたる追加提言では、基礎自治体にとって使い勝手の良い復興交付金制度の創設や取り崩し型復興基金の造成、そして、復興増税には所得税を充てることなどを求めた。

提言から消費増税を外したのは、被災地への増税を避けたかったことと、デフレ不況下では富の水平分配ではなく、垂直分配、つまり富裕税や資産課税など、持てる階層からの所得移転が鉄則だという財政学にとって「イロハのイ」の原則に従ったからだ。

所得税については、課税所得(年収のうち税金がかかる部分)が5千万円を超える人への税率(最高税率)を40%から45%に引き上げる。相続税は基礎控除(遺産額のうち相続税がかからない部分)のうち、定額の控除を5千万円から3千万円に、遺産を相続する人(法定相続人)1人あたりの控除額を1千万円から600万円に下げ、対象を増やすという案だ。だが、消費増税法案のとりまとめにおける民主・自民・公明の3党合意にいたる交渉過程で、この垂直分配にいたる税制改正は見送られた。

この件について、朝日新聞6月21日付朝刊のオピニオンのページに、次のような投書が掲載された。

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民主、自民、公明の3党が消費増税法案の修正協議で合意した。私は、消費税の増税も若干はやむを得ないと思う。だが、情けないのは、この協議の中で富裕層の所得税や相続税の増税に自民党が待ったをかけた理由だ。富裕層は増税されれば海外に移住するだろうというのだ。

もちろん、そういう人もいるだろう。だが、所得増税と言っても、最高税率を40%から45%へ上げる程度の話だ。それで国の税収に影響するほど、富裕層が一斉に海外へ脱出をはかるとは思えない。そもそも安倍晋三元首相が提唱した「美しい国」をはじめ、自民党議員の話によく出てくる郷土愛とか愛国心とはその程度のものなのか。富める者でありながら、少しくらい多く税金を払っても社会に貢献しようという発想が無いのだろうか。だとしたらそれは自民党議員に「住みづらくなったら日本から逃げだせばいい」という発想があるからではないか。

一方、日本を脱出するすべなど持たぬ私たち庶民は毎日の生活に四苦八苦しながらも消費増税に耐えるしかない。自民党の主張に同調した民主党や公明党も含めて、こんな幼稚なやり取りで重要政策を決めた議員や政党に将来を託さなければならないかと思うと、情けなくなる。

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先立つ2012年6月8日、国会が設けた東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の黒川清委員長は記者会見で、「国家の信頼へのメルトダウンが起きている」と弾劾していた。黒川氏のこの指摘は、原発事故の原因解明を待たず、政府が原発再稼動に踏み切ったことへの非難であった。だが、「国家の信頼へのメルトダウン」は、それより政権交代の根幹であった「コンクリートから人へ」の大義が、よってたかって反古にされたところにあったのではないか。

■棄民から帰民へ

「棄民」という言葉がある。移民政策や戦争などで国家責任を追及する際に使われる常套語だが、阪神・淡路大震災の折、作家小田実(故人) は、著書『これは「人間の国」か』 の中に、この言葉を登場させた。「自然災害に国は責任がない」として、被災者の再起を原則、自力再建・自助努力としてきた、この国の歪みに対する告発であった。

阪神・淡路大震災でプレハブの仮設診療所「クリニック希望」を開設し、被災地医療に献身的役割を果たした医師・額田勲氏(故人)は、「孤独死」という言葉を掲げ、だれに看取られることもなく、亡くなっていく被災者の背景には、無縁社会と格差社会があることを暴いてみせた。

災害は、ただでさえ人々の日常を構成している「つながり」を突然、断ち切ってしまう。家族、住まい、仕事、コミュニティ、学び、医療、果ては自治体とのつながりまでも。復興の狭間に落ちた民は漂流し、やがて社会的に排除され、棄民となるケースさえ少なくない。そのことを私たちは、幾多の被災地でみてきた。

アイデンティティの喪失 ―― 自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念さえ失う。そして家族の崩壊、蒸発、アルコールへの依存、孤独死、自殺‥‥。このような事態に「私有財産自己責任論」や「絶対的平等」を被災者に強いることこそ、まさに国家や社会のメルトダウンといえるだろう。

「前を向いて頑張ろう」という励ましに、「前向きに 生きたいけれど 前どっち?」と川柳で返した東日本大震災の被災者の心情は察してあまりある。

東日本大震災で、わが国の宰相は二代続けて「元に戻す復旧ではなく、創造的復興でなければいけない」と宣言した。「これからは山を削って高台に住むところを置き、そして海岸沿いの漁港まで通勤する。地域で植物、バイオマスを使った暖房、地域暖房を完備したエコタウンをつくる」のだという。

野田佳彦総理は、消費増税やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加、原発の再稼動をめざし、復興構想会議は「被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す」という復興原則を掲げた。さらに、富裕税の見送りや法人税の事実上の減税に民自公は腹を合わせ、宮城県知事は水産特区への企業参入を推し進める。これらのピースをつなぎ合わせると「災害を奇貨」として新自由主義的復興をめざすという文脈が読み取れなくもない。

2005年8月のハリケーン・カトリーナの際、米共和党下院議員のリチャード・ベーカー氏は、「これでニューオーリンズの低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。われわれの力ではとうてい無理だった。これぞ神の御業だ」と発言し、不動産業者のジョゼフ・カニザーロ氏は、「私が思うに、今なら一から着手できる白紙状態にある。このまっさらな状態は、またとないチャンスをもたらしてくれている」と述べた。著書『ショック・ドクトリン』の中でカナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クライン氏が明らかにした惨事便乗型資本主義の実態だ。

一方、わが国はどうだろう。社会保障費を消費増税の中に封じ込め、ゆとりのできた一般財源で、震災後の日本を競争国家としてテイクオフさせる。福祉国家との決別とも思える政策と菅氏の掲げた「社会的包摂」とは、どう折り合いがつくのだろう。

菅前総理のひと言で大合唱になった高台移転も、現実は遅々として進んでいない。移転すべき高台は少なく、当然のことながら地価は上昇し、建築制限のかかった旧集落の地価は値を下げる。行き場を失った人たちは漂流し、被災地はサプライチェーンを支える工場群や再生エネルギー基地に占領されるという「壮大な地上げ」になるのではないかと懸念を募らせている。

私たちは研究所創設当時から「人間の復興」を哲理に、夢のような未来都市づくりではなく、被災した人たちが可能な限り震災前の状態に戻れるような法制度や社会的支援システムの研究を進めてきた。著書『倒壊』(筑摩書房)で、大震災で生じたマイホームの二重ローン問題を初めて世に問うたルポライター島本慈子氏は、「被災者の想いは、ユーミンの『あの日に帰りたい』 だ」と喝破した。2004年の新潟県中越地震で「山が動いた」といわれ、全村民が避難した旧山古志村の村長・長島忠美氏(現衆院議員) は、被災者の心をつなぐのに「帰ろう!山古志へ」を合言葉にした。

災害復興の定義をめぐる議論は、それぞれの国家観や思惑がからんで果てしない。しかし、これだけはいえるだろう。被災者を「棄民にしない」ということだ。被災前の生活に戻る。避難を余儀なくされていたふるさとへ戻る。「帰民」こそ、災害復興の要諦ではないのか。

■原発避難

「帰民」、そして社会的包摂から、ほど遠いところに置かれているのが福島の避難者たちだ。東京電力福島第1原子力発電所の事故で、県外避難は6万人を超え、福島県の人口は30年後に半減するとの推計値さえ出ている。一方、「ふるさとへ戻る人vs戻らない人」「東電の賠償をもらっている人vsもらっていない人」「子どもの放射線被曝を心配する人vsふるさとの復興を第一と考える人」「強制避難の人vs自主避難の人」……。先が見通せないまま、県民間の離反は次第に修復困難となり、放射能汚染へのストレスは人々の心身を蝕む。

しかし、政府は早々と原発事故収束宣言を出し、除染地域への帰還と東電賠償という枠組みの中に「フクシマ問題」をすべて封じ込め、原発問題は全国民にとっての宿痾(しゅくあ:不治の病)という命題を消し去ろうとしているように見受けられる。

われわれは原発事故のメカニズムを徹底して解明するよう求めていくとともに、福島県にとどまる人、福島県に戻る人、福島県から去る人、それぞれの人権と未来が尊重される制度的・社会的枠組みを構築するため、さまざまな提案・働きかけを強めていく必要がある。

■帰還政策のあやまち

まず、問題は、政府が進めようとしている除染―帰還論にある。当初、居住に適さないとして避難を命令、もしくは指示した警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域を再編成し、順次、帰ることが可能な地域を増やして行こうとの発想だ。

現在、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に線引きを改めつつあるが、事実上、原発事故が収束していないうえ、昨年の爆発事故以降、汚染地域では、決定的な対策は何もとられていない。

政府の考える手順はこうだ。まず、放射線量の低い地域に拠点をつくり、周囲を除染しながら、次第に居住可能な地域を増やしいくという。たとえは悪いかもしれないが、この方式は、落下傘部隊が敵地に降下し、周囲を制圧しながら、支配域を拡大していくようなものだ。しかし、一つ間違えれば、先発組が除染も済んでいない地域のまっただ中で立ち往生し、孤立してしまうこともあるだろう。

福島大学が2011年秋、福島県双葉郡8町村の協力を得て避難住民の悉皆調査をしたところ、「帰還の意思がない」と答えた人は全体の3割弱。年代が下がるに連れて、その割合は増え、34歳以下では50%を超えた。戻らない理由(複数回答)をみると、トップが「除染が困難」で83.1%、次いで「安全レベルが不安」65.7%、「原発収束に期待できない」61.3%だった。

野田佳彦首相は2011年12月16日夕方に開いた記者会見で、東京電力福島第1原子力発電所の1~3号機の原子炉が「冷温停止状態」を達成したとして、原発事故の収束を宣言した。しかし、政府の発表を信じている福島県民はほとんどいない。除染も放射能で汚染された土や葉っぱの場所を移すだけ、つまり、「移染に過ぎない」として、不信感をあらわにしている。

ただ、「すぐにでも戻りたい」と答えている階層もいる。おおむね年齢が高くなるほど、割合が多くなっており、80歳以上で1割強、65-79歳で1割弱となっている。これまで三宅島噴火災害(2000年)や新潟県中越地震(2004年)、能登半島地震(2007年)の被災地でも、災害前に比べ、帰還する階層は高齢化・単身化・病弱化・年金依存の割合が増えるという傾向をみせている。このままでは、高齢者だけが汚染地域のうち限られた除染地域で孤立するという、新たな「棄民政策」が進められることになりはしないか。

そもそも一年間も立ち入りが規制されてきた地域のインフラがそのまま使えるかどうか疑問だ。「埋め殺し」という物騒な行政隠語がある。インフラを修復するより、全部埋めたままにしておいて新しく一から作り直す方式だという。双葉地方では、この方式でインフラをやり直すしかないのではないかというのが、行政関係者の観測だ。

さらに、下水道に濃縮された放射性物質がたまっているのではないかという指摘がある。もし、そうであるならば、こちらの方がやっかいな問題だ。

さらに、帰れたにせよ、仕事として見込まれるのは除染と廃炉作業だ。必要で、大切な仕事ではあるが、危険なうえ、あすの希望を感じさせる仕事ではない。必然的に高齢者たちが取り組むことになるだろう。若者たちは積極的な雇用創出がなければ、やはりふるさとを見限ることになる。

つまり、政府の進めようとしている方式では、事態の改善にはつながらない。除染地域に「何としてでも帰る人たち」と「帰ろうとはしない人たち」との間にある溝は決して埋められることはなく、固定化され、分断化される恐れさえあるのだ。

では、どうすればよいのか?

■避難者カルテの整備を

まずやるべきことは、福島県内外にいる全避難者の実態把握と登録台帳の整備、避難先自治体との名簿共有だ。住民票移転の有無や強制避難か自主避難かを問わず、全避難者に帰還の意思、現在の住所、家族の被災・離散状況、被曝の時期・程度、健康状態、住宅の損壊程度、仕事・学業の現況、国家資格や職業経歴などを集中管理するシステムを構築する。基本的には当該市町村が管理することになるが、自治体クラウドにより福島県や避難先自治体も把握できるようにすることが大切だろう。

登録台帳をつくるツールとしては、阪神・淡路大震災の際、兵庫県西宮市が開発した被災者支援台帳(被災者カルテ)をはじめ、新潟県中越沖地震で、京都大学防災研究所などが実用化した被災者台帳、さらに福島大学うつくしまふくしま未来支援センターや福島県富岡町が今年度中の開発をめざしている被災者支援管理システムなどがある。

西宮市の被災者支援台帳はすでにデジタル化され、CD―ROMとして総務省の外郭団体「地方自治情報センター」から全国の自治体に配布、無料でインストールできる体制が整っている。京大の被災者台帳は東日本大震災で岩手県内の自治体で導入されている。一方、広域避難者の把握をめざしている福島の被災者支援管理システムは、「見守り隊」とよばれるメンバーが各世帯を訪問し、被災世帯の実態を把握して、その情報をタブレット端末により電子化してサーバで一元管理するという最も新しいシステム。しかし、いずれも決定打にはなっておらず、各自治体の住民把握システムはまちまちだ。

全自治体が同じ仕様の被災者台帳を採用してネットワークで結んでおけば、今回の原発事故などで自治体がサーバを持ち出せないことがあっても、被災者の避難先自治体が被災自治体のサーバにアクセスして必要なデータを打ち込むことができる。ところが、内閣府は「様式がばらばらだという、逆説的に言えば地方公共団体の創意工夫という見方もあるのかもしれません」(8月28日・参議院厚生労働委員会)として、全国の被災者情報の登録システムの共有化には消極的だ。

東日本大震災で総務省は、全国避難者情報システムを初めて採用したが、本人の届け出制としたため、重複や漏れがあって実態との間に乖離があるとの意見が多い。税と社会保障の一体改革でマイナンバー制も検討されているが、本稿の執筆段階では見通しが立っていない。

いずれにせよ、今後、首都直下地震や東海・東南海・南海地震の発生が予想され、これまで以上に広域避難者の出現する恐れがあることを考えると、早急に全国的な被災者支援台帳の整備とネットワーク化、運営を監視する組織の設置などが求められているといえる。

■「つながり」の構築へ

強制避難・自主避難を問わず、福島県内外に避難した人たち全員を対象に「ふるさと県民カード」と「原発手帳」を交付し、被災者が制度の狭間で漂流しないような仕組みをつくる方法も考えられるだろう。当研究所の自治体調査でも、すでに移住者が、避難者なのか、一般的な転居なのか判別できないという回答が一部自治体から寄せられている。県民カードは、いわば「ふるさと納税制度」の逆バージョン、原発事故で人生の軌道を狂わされたことへの証明であり、福島県が決して見捨てないという決意表明でもある。

住民票が福島県内にあるかどうかは問わない。本人がカードの停止・打ち切りを求めない限り効力を持ち続ける。カード所持者には、福島県やかつて居住していた市町村の広報、子どもの在籍していた学校の学級通信などが定期的に配信される。また、原発手帳を見せれば、国内のどこに転居しても定期的に健康診断を受診できるようにし、健康情報を福島県内の機関で集中管理できるシステムを構築する。受信料の減免、健診内容の統一、健康情報のシステム管理、診断結果の分析、本人への告知方法、異常があった場合の治療などの具体的な支援プログラムは、「原発事故子ども・被災者支援法」(略称)をもとに練り上げていく必要があるだろう。

すでに、福島県浪江町が、避難時の動きなどを記録する「放射線健康管理手帳」を制度化し、原爆の被爆者健康手帳と同様に、手帳を持つ人には医療費の自己負担分が免除されるような支援の仕組みを提唱している。

これに対し、差別を恐れる声も聞かれるが、それこそ社会的排除を許さない官民挙げての教育・啓発活動が必要だろう。まさに、菅総理が掲げた社会的包摂の取り組みになるはずだ。

■自主避難という概念

問題は「自主避難者」と呼ばれる人たちの処遇だ。被災者支援台帳(被災者カルテ)やふるさと県民カードなどのシステムは、元の自治体が広域避難者を把握し、漂流を防ぐ手段だが、避難者を受け入れた自治体にとっても避難者の把握はさまざまな支援行政を実施していくうえで必要だ。

ところが、現行法で地域外へ避難した人たちを被災者と識別する方法は、二種類の証明書しかない。住宅が全壊か大規模半壊した人に交付される「罹災証明書」と、災害対策基本法や原子力災害対策特別措置法に基づいて避難している人たちに出される「被災証明書」である。被災証明は、一般的には家屋以外の被害に対して用いられているが、今回の広域避難の場合は、行政の指示で避難を余儀なくされた地域の人たちに発行されている。

しかし、放射線の被曝線量が高くても、行政が避難を指示しなかった地域の人には被災証明が出ず、結果的に自主避難となってしまった。といいながら、一方で政府の原子力損害賠償紛争審査会は「自主的避難等対象区域」を設け、被災証明が出ていない地域についても賠償を行うとした。しかし、である。ここでも新たな線引きが行われ、福島県内でさえ、賠償が認められる自主避難地域と、賠償が認められない自主避難地域ができてしまった。

この複雑さは、全国で避難者の分断と混乱を招いている。

例えば、当初、公営住宅や「みなし仮設住宅(借り上げ民間賃貸住宅)」への入居受け入れに当たって罹災証明か、被災証明を所持していることを条件とした自治体も少なくなかった。ところが、大震災の発災直後は混乱状態にあり、多くの自治体は福島県からの避難者については、ほぼ無条件で公営住宅などで受け入れた。ところが、その後、被災証明が出ない地域の人たちを受け入れたことが判明。退居を要請するかどうか、避難者の線引きに頭を痛めるというケースが多々見られた。

自主避難の人たちの悩みもつきない。

「身内から、国が言っていることに逆らうのか。そういう風にも言われたんです」「非国民とすら言われることもあったんです」。さまざまな独白がブログに綴られ、支援団体の交流集会で語られる。

自主避難した人は、ある程度お金に余裕があるのではないかという陰口は、阪神・淡路大震災で兵庫県外へ避難した人たちについてもささやかれた。朝日新聞の記事に次のような記述がある。

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「当時、広域避難者はただの転居者同然に見なされ、家賃補助などの支援策はもちろん、情報提供もないまま、事実上放置されていた」(1999年1月10日付朝刊日曜版)

「県外避難者とは、震災後に被災地を離れ、今もその地に住み続けている人たちのことだ。“生活に余裕がある人たちだったのではないか”と思う人がいるかもしれない」(2000年5月6日付夕刊第2総合面)。

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世間的には、こんな誤解が一般的だった。当時、立ち上げられた阪神・淡路大震災の県外被災者支援団体、市外・県外避難者ネットワーク「りんりん」の会報には、こんな声が掲載されている。

● 「県外へ避難している者は、もはや被災者ではない扱い」(52歳女性、大阪此花)

●(神戸市)東灘対策本部の職員から「避難所を出て自主独立した人は借金もかい性のうち」と言われた(52歳男性、門真)

●被災地の職員「わたしどもは自力で市外、県外へ出ていかれた方は経済的にも恵まれた方だと認識しております」「勝手に出ておいて今更、めんどうは見られない」

●相談所では「兵庫県以外の人まで面倒みられない」と言われた(1996年9月のフォーラム「帰りたい、帰れない」から)

政府は、阪神・淡路大震災から何も学んでいないのだろうか。とりわけ、今回の原発事故のように、実際の放射線量ではなく、人為的な線引きで法的な避難と自主避難とを区別したやり方は非人道的であり、稚拙であり、誤りである。

■準市民制度の創設を

「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(略称SAFLAN)」は、選択的避難区域の設定を求めている。「被爆線量が1ミリシーベルトに達するおそれがある地点を含む市区町村のうち、政府が設定した警戒区域及び計画的避難区域以外の地域を選択的避難区域に指定する」という考え方だ。確かに原発事故では関東地方からの避難も少なくない。当面はこういう方法も必要だろう。

ただ、災害全般をみると、避難は原発だけでなく、火山や津波災害でも長期避難者は発生する。今後、発生が高い確率で予想されている首都直下地震や東海・東南海・南海地震では、仮設住宅の建設の遅れや仕事場の被災で、やむなく地域外に避難する人も多数、生じるだろう。

そこで、災害救助法の適用条件に「原子力関連施設や化学工場等の事故で地域が汚染、もしくは汚染される恐れがあるとき」を加え、救助法適用地域から避難した人は「地域外居住被災者」として、被災証明が発行されるようにしてはどうだろう。

一方、2011年8月に施行された原発避難者特例法を災害全般に拡大、災害避難者特例法とし、地域外居住被災者すべてを対象とするよう法改正する。通常、他地域から来た被災者に対して、受入自治体が行政サービスした場合、かかった費用は被災自治体に求償、被災自治体は国に補助金や国庫負担金を求めることになる。しかし、手間が二重、三重にかかることから、原発避難者特例法は、要介護認定や予防接種、児童扶養手当など219の行政サービスについて、受入自治体が国に直接請求できるようにした。ただ、現在、対象になる避難者の出身区域は、福島県いわき市、田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、川内村、葛尾村、飯舘村の13市町に限られており、自主避難者は対象外だ。

そこで、「地域外居住被災者」の考え方を導入するとともに、住民票を移していない避難者については、住民基本台帳法や住民登録法を改正して外国人登録のような在留登録制度(準市民制度)を創設、市民と同様の行政サービスが受けられるようにする。

東日本大震災では、避難者の所在地把握のために総務省が全国避難者情報システムを作動させた。しかし、住民基本台帳とは独立した単なる所在地情報であり、行政サービスのための基本情報でもない。避難が長期化し、しかも住民票を元の住所地に置いたままでは、いずれ所在地が不明になり、支援の谷間に埋もれてしまう恐れもある。また、自治体側にとっても一定の階層に、ある行政サービスを実施する場合、住基台帳に記載されていない階層は、よほど担当者が気を配っていない限り、ほとんど捕捉できないという弱点がある。そこで、住民票に準じる「在留登録制度(準市民制度)」を設けようというわけだ。

同時に汚染地域が相当、広範囲に達し、汚染濃度が高いときは、避難命令・勧告・指示を出し、被災者生活再建支援法に基づく長期避難地区に指定、一定の支援金を交付することも必要だろう。

■雇用対策と個人情報の共有

阪神・淡路大震災では、情報の途絶が、県外に避難した人たちとふるさととの絆を絶やす原因となった。現在、福島県では大型量販店に「ふるさと絆情報ステーション」を設置、避難を強いられている自治体からの情報などを掲出、展示することを計画している。

一方、東日本大震災における被災者支援活動に携わるNPO、NGO、企業、財団、社団、協議会、機構などのセクターをつなぐ災害支援のためのネットワーク組織として結成された「東日本大震災支援全国ネットワーク」(JCN)は、全国各ブロック単位にハブとなる支援団体を見つけ、ハブ団体を核にして、さらにブロック内のネットワークをつくる構想を練っている。また、「とみおか子ども未来ネットワーク」のように一つの町単位で、「子育て世代」を中心にメーリングリストなどによって、ゆるやかなつながりをつくる努力も始まっている。

とはいえ、ネットワークの基本は顔の見える関係を築くことだ。三宅島噴火災害でもパソコンを配って電脳三宅村をつくろうとした東京都に対し、あるボランティア団体はファクスを配った。それも、わざと約10世帯に1台の割合で配備した。情報が流れるたび、ファクスのある家にみんなが集まる。あるいは世話係がニュースを持って各世帯を訪ねる。その顔の見える関係こそが大切だという発想からだった。

そこで避難先ごとに福島県人会を組織し、このうち数人を福島県や避難元自治体とのリエゾンオフィサー(連絡官)として採用する。雇用対策にもなるうえ、将来、避難先で自立していく人たちの支えともなるはずだ。

ただ、その場合、障害となるのが避難住民の個人情報問題だ。避難先自治体と避難元自治体、受入自治体と支援団体、受入自治体と避難者間で、名簿を共有することがネットワークを形成するうえで必須だが、まだまだ情報の提供は一部の自治体にとどまっている。

災害弱者の救援にあたって個人情報の提供が検討されているが、社会的弱者と被災者は平時の法体系では別個の存在で、ひとくくりにする法律が見あたらない。しかも、主務官庁がどこになるかはっきりしないだけに、どの省庁もこの問題には消極的だ。各自治体が個人情報の審議会にかけ、個別に公開を認める方式もあるが、なにより情報の提供を求める支援団体の存在が前提となる。さらに、当該団体が的確に個人情報を管理できるという行政の信頼を得ていることも不可欠なだけに、にわかに結成された団体では難しい。

東京都渋谷区は、震災対策総合条例を設け、個人情報保護条例の除外規定を設けている。国法レベルでもこのような対策が必要だろう。

■避難者援護会の設立を

今、議論されているのは、せいぜい災害救助法が適用されている期間の支援策だ。今後は、東電の賠償問題がクローズアップされてくるだろう。しかし、原発事故の補償で、この問題が終わるわけではない。賠償は過去の償いに過ぎない。賠償の次のステップとして、人生の軌道を狂わされた人たちの再出発、再起を支える仕組みをつくらなければならない。

昭和30年代の初め、大量の炭鉱離職者が出ることから、炭鉱離職者の再就職や生活の安定を図るため、炭鉱離職者臨時措置法が制定され、この法律のもと「炭鉱離職者援護会」が設置された。この法律を下敷きにした「原発避難者臨時措置法」の制定と、「炭鉱離職者援護会」や森永ヒ素ミルク事件での「ひかり協会」をモデルにした「原発避難者援護会」を、国や東電、電気事業連合会の出資で設立し、原発避難者の支援に当たらせる必要がある。

支援内容は以下の通りだ。

1.原発避難者が他の地域に移住する場合に、移住資金を支給すること。

2.原発避難者が職業訓練を受ける場合に、手当を支給すること。

3.事業主が原発避難者を雇用する場合に、当該労働者用の宿舎を貸与すること。

4.原発避難者に対し、再就職のために必要な知識や技能を習得するための講習を行うこと。

5.原発避難者の求職活動に協力すること。

6.原発避難者が独立して事業を行おうとする場合に、生業資金の借入の斡旋を行うこと。

7.原発避難者に対し、生活の支援を行うこと。

8.その他、上記の各業務に附帯する業務を行うこと。

援護会の設置は時限立法になるだろうが、最低でも10年は必要だ。生活支援の制度設計にあたっては「平成3年(1991年)雲仙岳噴火災害に係わる食事供与事業」や「平成12年度有珠山噴火災害生活支援事業」「三宅村災害保護特別事業」など、これまで実施された長期避難者に対する生活支援事業が参考になるだろう。

■セカンドタウン

広域避難した人たちの支援と同時に、避難した人たちが故郷に戻れるような環境づくりも考えなければならない。政府が考えている二段階帰還論には不信感が強く、問題の解決にならないことはすでに述べた。福島大学が実施した福島県双葉8か町村の悉皆調査では、若い人ほど「戻らない」と答えた割合が多かったが、そもそも回答した絶対数が壮年層に比べて極端に少ないだけに、態度を決めかねている人たちも多いとみるべきだろう。

そこで、さまざまなところで議論されているのが、福島県内の被曝線量が低い地域に新しい居住地を設ける案だ。「セカンドタウン」「仮の町」「町外コミュニティ」などと呼ばれており、使う人によってイメージが異なるだけに、概念の整理と実現のための制度設計が必要だろう。

このうち「セカンドタウン」は、いわば領土割譲だ。新たな自治体の建設で、ほかの考え方とは法制度面でも町の運営面でも大きく立場を異にする。かつて19世紀末に奈良県十津川村の人たちが水害をきっかけに北海道空知地方に入植し、原野を切り拓いて「新十津川村」を建設した例はあるが、戦後、我が国では合併はあっても、すでに境界が確定している自治体の一部を割いて新たな自治体をつくった前例はない。

それだけに新たな立法が必要となる。例えば地方自治法に「分割自治区」という新たな特別地方公共団体の制度を設ける。もちろん、分割する自治体に迷惑をかけないよう山林原野を切り拓いてニュータウンをつくるか、すでに開発されてはいるが利用されていない遊休地を利用することになる。ニュータウンの建設には、津波防災地域づくり法を活用してインフラを整備し、住宅は災害復興公営住宅で建設する。

一方、国は、汚染され住めなくなっている元の町を借り上げ、その支払うべき賃料を分割自治区を受け入れた自治体に交付する。いわば分割される自治体への迷惑料である。また、元の町(ファーストタウン)へ帰られるようになっても、セカンドタウンが無人のデッドストックとならないよう半永久的に2地域居住とする。

次に「仮の町」だが、こちらはニュータウンを造成するものの、地方自治法上の自治体ではない。あくまで受入自治体の地域内に間借りをする格好である。したがって、ファーストタウンの除染が済めば、帰ることになる。ゴミ処理や上下水道などは、間借りしている自治体に使用料等を支払うことになる。一部事務組合をつくり、共同で処理する方法もあるだろうが、仮の町の一番の問題は、住民がファーストタウンに移住したあと、がら空きになった街の活用方法だ。

浪江町が復興計画の中で打ち出している「町外コミュニティ」は、実現の可能性がもっとも高い。現在、各地に分散している住民を、なるべく役場が避難している二本松市の中心部、数カ所に集め、顔の見えるコミュニティを形成しようとの考え方だ。三宅島噴火災害の折、東京都に分散避難した島民たちが、次第に口コミで島民が多く住むエリアに集まってきた方式を人為的に創出しようとの戦略である。この場合、既存の町並みを活用するから、おそらく復興公営住宅を限定的に集中建設するだけで実現可能だろう。

このほか、帰還困難区域については隣接の南相馬市やいわき市などと合併し、合併特例法に基づく「地域自治区」として旧町名を維持する。元の地域は当面住めないから、合併先の街に住居を構え、何十年先かに帰還可能となれば、合併を解消して、元の自治体に戻るという方法もあるだろう。この場合は、現行法を適用するので、比較的、実現が容易だが、分離のための制度が新たに必要となる。

■前例のない対応を

ただ、セカンドタウンの法的スキームができたとしても、クリアすべき課題は少なくない。まず、雇用の創出だ。仕事がなければ若い人たちは戻らない。第2に避難自治体の受け皿となる自治体にどのようなメリットを用意するか。第3に避難自治体がファーストタウンに戻ることになった場合、跡地を有効活用する方法を検討しておくことだ。

福島県双葉地方は原発を軸にして2次産業、3次産業が組み立てられてきただけに、原発が廃炉にされた場合、新たな地域産業を興していかなければならない。避難自治体を受け入れた自治体を特区とし、企業誘致にさまざまな優遇策を用意することも必要だろう。とはいえ、原発にほかの企業が取って代わるだけの企業城下町づくりは避けなければいけない。一つの企業に町の運命を委ねる危うさは骨身にしみたはずだ。避難自治体と受入自治体でまちおこし会社をつくり、行政サービスの多くを「新しい公共」として民間に任せるなどの雇用創出が必要ではないか。

新しい街をデッドストックとしないためには、人口減少時代に向けた新たな暮らし方を提示し、全国のモデルケースとなるような取り組みが大切だろう。例えば、それぞれが独立した専用の住居と、みんなで使ういくつかの共用スペースを持ち、生活の一部を共同化する共生のまちづくりなどの実現だ。

ただ、問題はこれらの施策は受入自治体が納得してこそ、初めて実現する。国や福島県が頭ごなしに命じても反発を買うだけだ。しかし、未曾有の事態である。だからこそ「前例のない事態には、前例のない対応」が必要である。国は、あらゆる手法・メニューを福島の人たちに提示し、被災地が選ぶ再起の手段にできうる限りの財政的・法的支援を用意する。「コンクリートから人へ」の公約を掲げた政権党の総理にとって、これこそ政治生命をかけるべきミッションではないだろうか。

■参考文献

『漂流被災者 「人間復興」のための提言』(山中茂樹著)河出書房

『避難する権利、それぞれの選択 被爆の時代を生きる』(河崎健一郎ほか著)岩波ブックレット

山中茂樹(やまなか・しげき)

1946年生。大阪府出身。現在、関西学院大学災害復興制度研究所主任研究員・教授。朝日新聞神戸支局次長のとき、阪神・淡路大震災に遭遇。これを機に震災・防災担当の編集委員に転じ、震災10年にあたる2005年4月、朝日新聞社に在籍したまま関西学院大学の災害復興制度研究所創設に参加、主任研究員に就任した。

兵庫県の「台風23号災害検証委員会」や国の「首都直下地震の復興対策のあり方に関する検討会」の委員などを歴任。専門は災害復興論。日本災害復興学会理事(総務委員長、広報委員長など)、大規模災害対策研究機構副理事長、減災・復興支援機構副理事長。

著書に、『震災漂流者―「人間復興」のための提言』(河出書房)、『いま考えたい~災害からの暮らし再生』(岩波ブックレット)など。

この記事は、WEBRONZA×SYNODOS復興アリーナと連動しています。