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法制度を変え、NHKは独立行政委員会の監視に

武田徹 評論家

 今回のNHK会長人事、そして会長を決めた経営委員会人事については、かねてより安倍首相への「近さ」が批判的に指摘されてきた。

 ただ個人的には、こうしたNHKの問題、つまり公共放送を巡る問題について、たとえば会長就任した人物の思想信条面の傾向など、いわゆる「内容」の議論に過度にこだわるべきではないと考えている。それよりも、選考に至る法制度についての「形式」の議論が必要だと思うのだ。

NHKはなぜ政治介入を許すのか

 確かに安倍首相とNHKの間には過去にも因縁があった。放送前から著しい偏向があると右翼団体の批判に晒されてきたETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」の第二夜「問われる戦時性暴力」が、2001年1月30日に実際、放送されてみると事前に問題視されていた慰安婦問題などを扱うシーンが大きくカットされ、戦争を裁く「民衆法廷」という設定自体に対する批判的コメントを含む内容になっていた。

 この「改変」が、NHK幹部と面会した安倍氏と中川昭一氏(故人)による「政治介入」の結果ではないかと問題視された。しかし、この事件についても、「内容」の議論に過度に踏み込むと、改変前後の「偏向」の有無を巡って、空虚なイデオロギー論争に耽ることになる。ここでも問題すべきだったのは「形式」なのだ。

 この事件は番組で「民衆法廷」を企画したVAWW-NETジャパンが出演者側の期待に反する番組内容になっていたとしてNHKと制作プロダクションを提訴した。最高裁まで争ってVAWW-NETジャパンの期待権は認められないとして斥けられたが、高裁判決で「NHK幹部が接触した政治家の発言を必要以上に重く受け止め、その意図をそんたくして、できるだけあたりさわりのない番組にするために修正を繰り返した」と指摘したことに留意すべきべきだろう。この判決をもって安倍、中川両氏は自分たちの政治介入がなかったことが裁判で認められたとコメントしたが、それはさておき、ここで注目すべきは「なぜNHK幹部が必要上にそんたくしたのか」にある。

 放送法では、NHKの事業計画や予算などを国会で承認することになっている。NHKの場合、税金を財源としない受信料経営なので、大蔵省、財務省のコントロールを受けない。しかし放送の公共性の高さに加えて受信料徴取を法的に認められている以上は、完全な独自経営に委ねるわけにはゆかない。そこで国会をNHKのお目付け役にしたわけだし、NHKの最高議決機関となる経営委員会委員も国会同意人事である。

 官庁の支配から独立させ、国民の代表である国会議員によってチェックをさせる制度設計は、電波監理委員会が廃止されて放送局の許認可権が郵政省、総務省に握られている中でかろうじて行政権力から公共放送を独立させるはずだった。しかし、その思惑は果たされない。自民党政権が続いた55年体制の中で、官僚は族議員と持ちつ持たれつの関係を形成し、立法と行政の権力分立は曖昧になっているし、NHKの場合は予算等の承認を巡って国会議員の顔色をも窺わざるを得なくなった。政権与党は経営委員会人事を通じてもNHKをコントロールできるし、その力は会長選抜にも及ぶのだ。

私物化を乗り越えてゆく「形式」の議論を

 こうした制度の「形式」こそが問題なのだ。もちろん公共放送を私物化するような具体的動きがあればそれを厳しく告発してゆくべきだが、個々の経営委員や会長の傾向に議論を限定すべきではない。今回の人事が問題だからといって、会長はNHK内部から選ばれるべきだと短絡もできない。NHKが政治家やNHK内の一部勢力のいずれにも私物化されることなく、公共放送の使命を果たせるようにしなくてはならないのだ。

 そのために、まず放送局の許認可を含む放送行政を総務省から切り離し、独立行政委員会的な第三者機関――仮に「放送委員会」と呼ぶ――に監視させるシステムを作り、

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