『「ひきこもり」に何を見るか』
2014年11月25日
つい先日出版された、『「ひきこもり」に何を見るか』(鈴木國文、古橋忠晃、ナターシャ・ヴェルー編集、青土社)は、ひきこもりについての日仏の精神科医、社会学者、人類学者などの議論を闘わせた成果本である。
文科省の科学研究費の助成も受け、現在も継続中のこの研究には、私自身も最近参加しており、2013年1月の名古屋大学での日仏シンポジウムにも出席した。
編者である、精神科医の鈴木・古橋氏は、いまや精神科医の中では数少ない、精神分析を研究する精神科医で、ラカン派グループである。私自身も、東京から豊橋に移って以降、ラカンの読書会に参加するなど、影響を受けてきた。
鈴木氏は、『時代が病むということ』『同時代の精神病理』など、社会精神医学的観点をもち、ポストモダン社会における青春期の困難など、時代についての鋭い発言を行っており、私自身、刺激を受けている。このように精神医療を社会や文化の中で相対化する視点は、まさにラカン派のものである。
古橋氏は、名古屋大学学生相談総合センターの相談員として、多くの学生のメンタルヘルスにかかわっている。古橋氏は、同じセンターの相談員が驚嘆するほど、ひきこもりの学生を惹きつけるパーソナリティ的な力があり、またひきこもりにおける生活モデルや自助グループの重要性を指摘し、自らの学生の治療にもこの点で成果を上げている。
この書は、2013年春にパリで行われた日仏のシンポジウムの記録であるが、そのメンバーは豪華なものだった。
アラン・エレンベルグは、フランスでは数少ない、心理学や精神分析についての深い知識をもつ社会学者であり、日本ではまだ翻訳もなく社会学会でも存在をほとんど知られていないのだが、フランスでは主著『自己であることの疲れ』が、そのままキーワードとして流通している大御所であり、鬱病が隆盛するポストモダン社会の特性から、フランスとアメリカ社会の特性と病理の比較など、さまざまな社会と心理の交錯をテーマとした研究を行っている。最近では、DSM5に見られる、精神医学の脳科学化について研究しており、まもなくこの著書が出版予定である。
エレンベルグと共同研究を行っている、ピエール・アンリ・カステルは、
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