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障がい児を持つ親として問う国の在り方(下)

相模原事件から2カ月が過ぎてもなお

辰濃哲郎 ノンフィクション作家

  ネット社会に留まっていた障がい者への差別意識の発露が、表の社会に飛び出してきたのはいつのころからだろう。

  石原慎太郎氏が都知事になったばかりの1999年、重度心身障がい者施設を訪れた後の記者会見で、「ああいう人ってのは人格があるのかね。つまり意思持ってないんだからね」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるじゃないかって気がするんだけど」などと感想を述べた。

  悪意に基づく発言でないことは、私にもわかる。問題なのは、障がい者やその親が最も敏感になる「安楽死」という言葉を安易に使った無知さだと思う。社会的なリーダーである彼の言葉は、独り歩きして社会の深層に浸透していくのだという自覚が足りなかった。

  昨年11月には、茨城県教育総合会議の席上で、教育委員のひとりが「妊娠初期にも(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」などの発言が問題視され、その教育委員は後に辞任している。

  つまり出生前診断を普及させ、障害の有無によっては堕胎を促しているとも受け取れる発言だ。この委員の発言にも悪意はないと信じるが、それだけに深刻だ。公的立場の有識者が出生前診断の問題の核心さえ理解していないことに落胆した。

  今年6月に麻生太郎副総理兼財務相の問題発言も、根っこは同じ。冷え込む消費について、お年寄りもお金を貯めるのではなく使ってほしいとの文脈での発言だった。

  「90歳になって老後が心配とか、訳のわかんないこと言っている人が、こないだテレビに出てたけど、オイ、いつまで生きてるつもりだよと思いながらテレビを見てましたよ。私のばあさんは91歳までピンとしてましたけど、この人は、金は一切息子や孫が払うものと思って使いたい放題使ってましたけど、ああ、ばあさんになったらああいう具合にやれるんだなと思いながら眺めてました」

  彼のようにお金に困ったことがない政治家の傲慢さが、こんな発言につながっている。昨年の国民生活基礎調査では、58%の高齢者世帯が生活について「大変苦しい」「やや苦しい」と感じている。年金で汲々と

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