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女優の引退から見える芸能界の「構造変化」(上)

簡単に引退するのがタブーだった芸能界を「辞めた」堀北真希と山口百恵

小野登志郎 ノンフィクションライター

 売れている芸能人が、こんなに簡単に芸能界を引退できる時代になったのか。それは、喜ばしいことだと思う。「辞める自由」。そんな当たり前のことが、日本の芸能界ではこれまである意味タブーだった。

  「この度、これまでやってまいりましたお仕事から離れることを決意致しました。現在私は母になり、愛する家族と幸せな日々を送っています。このあたたかで、かけがえのない幸せを全力で守っていきたいと思っています。夫とも話し合い、私の気持ちを尊重してくれました。これからも2人で力を合わせ、愛情いっぱいの家 庭を築いていきたいと思います。いつも応援してくださったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様、素晴らしい14年間を本当にありがとうございました」という引退声明文が発表されての堀北真希の引退。

  所属事務所のスウィートパワーも随分とダメージをうけたことだろう。KAT-TUNの赤西仁とできちゃった結婚をした黒木メイサという前例があったものの、引退までとなると話は大きい。

  堀北真希には、「嵐の櫻井翔との熱愛を事務所に阻まれた」との噂もあり、その轍は踏まないということで、山本耕史とのスピード婚にいたったとも言われている。

  それにしても、だ。

一世をふうびした山口百恵=「GOLDEN BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」から一世をふうびした山口百恵=「GOLDEN BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」から
  結婚して引退、という堀北の芸能人としての幕の引き方だが、前例として比較してみたいのは、山口百恵のケースだ。堀北真希も尊敬する芸能界の先達として、山口の生き方を視野に入れていたともいう。

  堀北と山口の結婚引退、その共通点と違いを見る中で、芸能界の変遷を見てみよう。

  山口百恵は、日本の戦後歌謡史を語る上では、美空ひばりと並び、欠かすことのできない人物だが、彼女の引退劇もまた、日本芸能史上、特記すべきできごとだった。

  『プレイバックPart2』や『イミテーション・ゴールド』など、宇崎竜童・阿木耀子などといった作詞・作曲者との共同作業で世に送られた曲の数々は、世代を超えて歌い継がれている。

  そのような歌手が突然引退を発表した。1979年10月20日に「私が好きな人は、三浦友和さんです」と発表、80年10月5日、日本武道館でのファイナルコンサートでは「どうもありがとうございます。みなさん、本当にどうもありがとう。あたしが選んだ結論、とてもわがままな生き方だと思いながら押し通してしまいます」と述べて芸能界を去ったわけだ。

 一方で、堀北真希の引退は、2016年3月には「引退か」との報道はあったものの、具体的に引退が発表されたわけでもなく、そこから1年後、17年3月1日、「家庭に専念するため」とのことで、同年2月28日付で正式に芸能界を引退した、という形になっている。

  堀北真希との違いは、引退を匂わせる報道こそあったものの、ある種青天の霹靂ともいうべき堀北の引退に比べ、引退発表から実際までに、1年をかけているという手間のかけ方の違いもある。

  お礼奉公のようにすら見える、時間をかけてのある種古風な引退劇。引退することによって

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