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日野晧正の少年への暴力と、2人の将来に望むこと

映画「セッション」をほうふつとさせるシーンだが、やり過ぎ感は否めない

久田将義 TABLO編集長

世界的なトランペッターとして知られる日野晧正氏=1985年、東京・渋谷世界的なトランペッターとして知られる日野晧正氏=1985年、東京・渋谷
  暴力はいけない、絶対に。これは大前提である。

  しかし、なぜ「世界の日野皓正」ともあろう人が公衆の面前で、しかも中学生に暴力をふるってしまったのだろうか。

  紫綬褒章を授賞し、世界的トランぺッターとして知られる日野皓正氏が、世田谷区教育委員会が主催する「日野皓正 presents “Jazz for Kids”」で、教え子である少年に、演奏中にもかかわらず、折檻というには度をこした暴力をふるう様子が動画付きで広まった。

  ただ、少年(以下A君)の父親が「日野皓正氏は悪くない。自分の子供が良くなかった。息子も反省している」という趣旨の事を答えており、従ってこの件に関しては被害者と加害者はいない。刑事、民事でも日野皓正氏は訴追される事はないという意味ではこの問題はいわば解決されている。が、なぜこのような大きな問題となってしまったのか。

  暴力とは、僕の考えでは「強者が弱者に対して行う強制力」である。肉体ではなく言葉を使ったものも暴力ととらえている。そういう意味では、日野氏のとった行動は暴力と言えよう。世界的ジャズプレイヤーという絶対的地位の人物が、アマチュアであり教え子のA君に行った行為は暴力なのである。

  「20年前では通じたけど今は通じない」という論調も散見される。いや、

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