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後継者の後見人は「北朝鮮のゴッドマザー」

小北清人

小北清人 朝日新聞湘南支局長

 父親にも祖父にも似た、いかにも気の強そうな太った若者だった。9月30日付の北朝鮮「労働新聞」一面で公表された金総書記の三男・金正恩氏の姿である。名指しこそないが、まず間違いないだろう。ベールに包まれていた20代の「後継者」がどんな男か、ついに明らかにされた。

 後継者登場かと論議をさんざん呼んだ、朝鮮労働党の最高幹部人事を決める28日の党代表者会の後、党幹部や代表者会出席者らと一緒に撮影した集合写真。最前列の真ん中に父親の金総書記、1人おいて左に正恩氏が座る。

 撮影されたのは正恩氏の祖父、故金日成主席(1995年死去)が執務室にしていた錦繍山記念宮殿の広場だ。100人以上はいそうな面々の背後の宮殿には、金日成氏の巨大な遺影。金日成、金正日、金正恩。この写真を見ると一目で「金王朝」三代の権力継承の系譜がわかるようになっているのである。

 ちなみに筆者は数年前に北に潜り込んだとき、この巨大すぎる宮殿に入ったことがある。金日成氏の遺体が生前の姿で保存されている。回転ドアにも似た、ブンブン回るどでかいブラシのようなもので全身を「掃除」した後、「永遠の主席」と対面した。近くに寄るのはダメ、撮影は厳禁だ。

 28日の党代表者会の開催場所は明示されていないが、万寿台議事堂か。断定は出来ないが、直接見たあそこの議場とそっくりだ。例の金日成氏の巨大な銅像のすぐ近くにある。

 正恩氏は「人民軍大将」の称号が贈られ、代表者会では労働党中央委員、さらに党軍事委員会副委員長という新設ポストに就いた。事実上の後継者デビューである。

 が、それに劣らず注目すべきは、集合写真の最前列、金総書記の右から5番目に席に座る初老の女性である。金総書記と顔がよく似た実の妹、金敬姫・党軽工業部長だ。

 彼女に、今回、「人民軍大将」の称号が授与され、代表者会の決定で「政治局員」に就任した意味は大きい。

 金総書記の、現存するただ1人の、4つ下の同腹の妹(総書記には弟がいたが幼少時に溺死)。彼女の影響力の大きさはかねて知られてはいた。しかし、よりにもよって64歳のおばあちゃんが、いきなり「大将」だって? 

 まるで漫画の世界である。「ここまでやっていいんかい?」と呆れざるを得ない。

 だが、北朝鮮は大まじめである。金総書記は、本気である。

 彼は、信頼する妹に、ここで思いっきり箔を付けておかないと、「金王朝の行く末が心配で仕方がない」のだろう。

 一昨年8月に脳卒中で倒れて以来、左半身が思えにまかせない身。腎臓透析も欠かせないといわれる。

 「もし自分に万一のことが起きたとしても、何としても、権力を継承させ、王朝を維持しなければならない」。その執念。

 逆にいえば、周りの誰も信用できないのである。この妹以外は。あのスターリンのように「毒を盛られるのではないか」と被害妄想が極に達したのか。

 この金敬姫氏、以前はもっぱら「張成沢の妻」として知られてきた。張成沢氏は長年の金総書記の側近で、一昨年8月に金総書記が脳卒中で倒れてからは、事実上、「総書記代行」として内政を切り盛りしてきた男である。その彼の最大の後ろ盾こそが、「総書記の最愛の妹」敬姫氏だった。

 もともと公式活動が少なかった彼女だが、03年を機に動静が全く途絶え、健康問題も取りざたされた。だが09年6月から突如として病み上がりの兄の地方への現地指導に同行し始め、大々的に北朝鮮官営メディアに報じられた。今年に入っての同行数は72回と側近中トップ、夫の張氏の71回を上回った。

 兄の目となり耳となってきた彼女の「政治局入り」は早い段階で決まっていたのかもしれない。

 金総書記との絆は強い。1946年生まれの彼女は3歳で実母の金正淑氏を亡くし、朝鮮戦争で北朝鮮軍が国連軍に押され敗走したときは兄ともども中国に逃げている。父親の金日成氏の再婚後、兄妹は継母の金聖愛氏に「冷たい仕打ち」を受けたといわれている。

 「一度決めたらテコでも動かない気性の激しい女性」だという。金日成総合大学時代に同い年の同級生だったのが後に夫となる張成沢氏。「革命元老」の親族でもなく、ごく普通の家の出だった張氏を見初めたのは敬姫氏の方だった。娘を優れた軍人と結婚させたかった金日成氏は2人の結婚に反対、張氏を地方の港町・元山の大学に転校させた。だが彼女は週末になると平壌から自分で車を運転し、元山で未来の夫と逢瀬を重ねた。頑として譲らない娘に金日成氏もついに諦め、2人の結婚を認めた。

 金総書記が幹部を集めて開く深夜の「酒飲みパーティーの」の常連で、飲みだしたらとことん飲む酒好き。金総書記に言いたいことを言える唯一のひとで、夫の張氏が04年に「自前の派閥を作ろうとした」と糾弾され左遷されたときには、兄に泣いて夫の窮状を訴えた。それで張氏は06年末に「復活」がかなったといわれている。

 「おべっか使いに囲まれていて、兄は孤独なんです」

 1997年に韓国に亡命した黄長ヨプ(ヨプは火へんに華)元書記の著書によると、彼女は黄氏に泣いて訴えたという。

 そんな彼女に今回、与えられた「大将」の称号と「党政治局員」の肩書。代表者会開催前には「政治局員就任は確実」とみられた夫の張氏が得たのは党政治局員候補と党軍事委員の職務だけだった。会議に発言はできるが議決には参加できない政治局員候補は政治局員よりもかなりの格下。今回、北朝鮮当局は異例にも、政治局常務委員、政治局員、政治局員候補それぞれのプロフィールを発表したが、常務委員の金正日氏と金敬姫氏への言及はなし。張氏は他の幹部とともに経歴が発表された。

 しょせん、張氏はロイヤルファミリーの「入り婿」であって、王朝の直系メンバーではないということなのだろう。金総書記は張氏を心の底から信用してはいない。妹とは「格が違う」わけなのだ。

 一緒に暮らす「妻」を次々と変えてきた兄。その後始末をしてきたのは彼女だ。兄の子供たちの面倒もみてきた。ロイヤルファミリーのゴッドマザーこそ金敬姫である。張氏の間にできた一人娘は06年に留学先のパリで死亡。関係筋の話では、平壌に戻れと指示され悩んだ末の自殺という。

 敬姫氏は心臓を病み、アルコール中毒、鬱病に苦しんできたと伝えられる。

 その彼女と、日本に不法入国を図り国外追放された金総書記の長男・正男氏との間の電話の盗聴に、

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