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[1]2025年のリーダー像を探る――佐藤よし子

希望と幸福を与えてくれる人々を知っていますか?

服部篤子 DSIA常務理事

 希望と幸福観を与えてくれる人々がいる、といわれています。それは、極めて繊細な感性を持ったダウン症の人々の制作を通じて明らかになってきた事実です。その事実に、芸術、医学、教育、福祉、宗教の各専門家が注目し始めてきています。
 その活動の中心が、アトリエ・エレマン・プレザン(以後AEP)の佐藤よし子さん(35)です。佐藤さんは、ダウン症の方々が、福祉の枠の中で語られるだけで人々に正しく知られていない中で、その方々の本当の良さを伝えるための活動をしています。
 その活動の中から生まれたダウン症の人たちを中心とした芸術村である「ダウンズタウン」構想が動き始めました。本記事では、企画「リ☆パブリカン」の主要メンバーの服部篤子(DSIA常務理事)を聞き手として、その佐藤さんにその活動や考え方について語っていただきました。

”ダウンズタウン”構想始動

――ダウン症の方々の作品を展示する「楽園としての芸術」展が東京都美術館の主催で開催されました。月曜日を除き65日間の会期中に1週間程度の公開制作がありました。これは初めての試みだったようですね。私も見せていただいたのですが、作品が次々と湧き出てくる光景を目にして本当に驚きました。同美術館の学芸員の中原淳行さん(事業係長)は、「息をするかのように軽々と作品を生み出していく」と表現していますが、まさに彼らの自然な動作が、静かな川の流れのようだ、と思える制作風景でした。どういう経緯で開催されることになったのですか。

佐藤よし子 公開で制作することについて、東京都美術館から提案がありました。展示場で圧倒的な作品を鑑賞するだけではなく、AEPがもつ柔らかい場所の雰囲気を出したい。生きるエネルギーにつながる創作の場を生でみてもらいたい、という趣旨でした。それなら、とAEPの中の何人かが手を挙げてくれました。結果的に成功だったと思っています。

「『笑い』と『愛情』いっぱいの社会」という自身が目指す社会のフリップをもつ佐藤よし子さん。着ている服は、本文中で紹介されているダウン症の方がデザインしたフラボアのもの。「『笑い』と『愛情』いっぱいの社会」という自身が目指す社会のフリップをもつ佐藤よし子さん。着ている服は、本文中で紹介されているダウン症の方がデザインしたフラボアのもの。
――しかし、これらの素晴らしい作品を彼らが描くかどうかは、制作の現場の環境と、何より伴走者にかかっていると伺いました。

 「AEPのスタッフには、繊細な感情の持ち主であると同時に絶対的な安心感を与えることのできる強いメンタリティーが求められている」という解説を聞き、一層驚きました。信頼を得たスタッフがいる時、彼らは、自らの奥深い清らかな感性を表わしてくれる、と。

 佐藤さんはどうやって才能を引き出すその資質を身につけたのでしょうか。

佐藤 ダウン症の子どもたちとは長く付き合ってきましたから。物心ついた時から、両親が主宰するAEPに多くの子どもたちが通ってきていました。私自身が柔らかい感性、豊かな感性に触れて育ったわけです。

 その世界が私にとっては普通だった。しかし、社会に出てみると違っていました。彼らに共通する普遍的な感性を多くの人が知らない。それはもったいないと思いました。

 そのような状況を変えたいと思って、今、「ダウン症の感性を文化として発信」することに取り組んでいます。

――その一つの方法がダウンズタウンの建設ですね。芸術村のようにダウン症の人々が中心となって創作活動を行い、どんな人とも共生する新しいコミュニティと言えますね。

 8年ほど前、ある座談会にご一緒させていただいた時に、文化人類学者の中沢新一さんが、佐藤さんのこの構想は、「河合隼雄さんが『中空構造日本の深層(中公文庫)』の著書の中で、社会の真ん中に意味を持たない場所があれば、人の営みや考えがうまく展開していくと言ったけど、その具現化だ」とおっしゃったのをよく覚えています。そして、「町の中心にダウン症の人たちの営みが展開していくダウンズタウンを実現したい」ともいわれていました。

佐藤 益々、現代社会にダウンズタウンが必要だと思うようになりました。ダウン症の人たちは、アクセルを踏みっぱなしの社会にちょっとブレーキを踏むように、警鐘を鳴らしに来た人ではないかと思います。

 事実、「楽園としての芸術展」に、会社で行き詰まった人たちから「広告をみてふらっと立ち寄ってみたら、すごく来てよかったです」という感想をもらっています。美術館でも普段の企画展よりアンケートの回収が多いと、驚いていました。柔らかく豊かな感性が人々に希望を与え、幸福感を高めてくれることに確信をもっています。

――具体的には、ダウンズタウンはどこまで進んでいるのでしょう。

佐藤 三重県志摩で動き出しました。まずは、「気まぐれ商店」という合同会社を立ち上げました。三重で彼らの作品を用いたデザインの製品を製造し、資金調達につなげます。保護者の方にもお手伝い頂き、子どもたちの将来を心配しているお母さんたちにとっても、新しい生きがいになる事を期待しています。社員はダウン症の人たちが夢です。東京ではダウンズタウンの法人化にむけて弁護士さんたちと準備を進めています。

――ダウンズタウンはどうすれば実現するのでしょうか。社会がどう変わればいいのでしょうか。あるいは、何が変わればいいのでしょうか。

佐藤 社会が変わるのを待っていたらいつになるかわかりません。だから、言いだした者が動くしかない。プロジェクトを始めた頃はがむしゃらにやっていました。なぜダウン症の子どもたちのためにこんなに頑張っているのかって、周りは理解できなかったかもしれない。保護者のみなさんとうまくコミュニケーションができない時期がありました。

 そうか、まずは、『自分が変わればいい』と気づいたんです。そしてできることとできないことを丁寧に伝えていくようになりました。すると、周りの人が力を合わせてやろう、というようになりました。手伝ってくれる人がいれば前に進むことができます。

――どんな方が手伝ってくれますか。

佐藤 ありがたいことに、企業の人たちが共感してくれています。例えば、名古屋の繊維問屋大手の豊島株式会社は、展示会でアトリエの作品を紹介してくれ、メーカーが商品化するようになりました。BIGIが展開しているフラボアさんは、3年目ですが、オーガニックコットンでダウン症の人たちのデザインを用いて商品を開発してくれました。デザイナーさんも彼らの作品に触発されてお互い相乗効果が生まれた部分もあると思います。

 生意気かもしれませんが、一方的な支援を受けるのはなるべくお断りしていて、何かメリットを感じてもらう企画提案をお願いしています。その方が関係性が長く続くと思うからです。それが結果的に、社会の中でダウン症の人たちについて正しく知られる機会になると思います。徐々にギャップが埋まり、社会の土壌が変わっていけば、と願っています。

――正しく知らない、ということが社会の課題ですね。

佐藤 知る機会が少ない事が課題だと思っています。ダウン症の人々の生活は、特にメンタルな部分は、周囲の環境に大きく影響を受けます。正しく知られていないが故に、不当な扱いを受け、心身共に健康でない状況に置かれた人たちも多くいます。実際、お医者さんでさえも、ダウン症を専門にずっと診る人がいません。昔よりも長寿化していることもあって、彼らの実態が正しく知られていない。

 先日も医学系の学会で講演しましたが、例えば、AEPには30年ほど通っている人々もいるので、ずっと彼らの成長を見てきた我々だからこそ社会に発信していかなければと思うようになりました。

――そのためにも、ダウンズタウンはどうあるべきでしょうか。

佐藤 海外の多様なコミュニティもみてきて具体的なイメージはできています。1つ言えるのは、閉じた場所にしたくないということです。あらゆる可能性を排除して障がい者を守る、という考え方ではありません。どこからどこまでがダウンズタウンだと境界を示すのではなく、彼らの良さを伝える開かれた制作の場にしたいです。

――AEPの創設者、画家のご両親ですね、ダウンの人たちは「調和する能力をもっていることが最大の特徴だ」と書いていらっしゃる。つまり、ダウンの人々が日常生活を送っていることで、その周りにいる我々の軋轢も和らいでくるということでしょうか。

佐藤 そうです。彼らの大きな特徴として受容する力があると思います。お互いが歩み寄る事で共生は可能だと思います。このタウンに、賛同してくれる人も、制作活動をしたい方も移り住んでくるようになればいいですね。

 既に、一人県外から引っ越してきてくれました。他にも志摩に移住したいという若者がでてきました。三重県には空き家バンクという制度があって情報を提供し、積極的に支援しています。市長さんたちからも頼まれて私も空き家探しをしています。

 いい形で地域活性化につながるといいなと思っています。ダウン症の人のためにもなり、新しい雇用も生まれ、明るい心を持った村ができると思います。

――新しい発想で地域の財産づくりですね。また、彼らの作品に出会うことを楽しみにしています。

服部篤子のコメント
 AEPは、ダウン症の人々が幸福度を高め、希望を与えてくれる、という価値観を提示しています。最近、幸福とは何かといった研究や議論が活発になっていますが、幸福とダウン症の人々との関係は知られていません。

 もちろん、幸福度調査に、ダウン症の人々との接点は?といった質問項目はないでしょう。しかし、経験に基づいて確信をもった佐藤さんは、気づいた人がやり始める、という考えから、ダウン症の人々の魅力を発信してきました。福祉政策として問題視するのではなく、ダウン症の人々の本当の姿を知る機会がないことが課題だと位置付けた点に注目したいと思います。それゆえダウンズタウンという発想が出てきたのではないかと思います。

 この考え方に賛同する企業が出てきています。そして、作品に惚れ込んだ東京都美術館の学芸員の方が学術的専門性をもって選択した作品とその背景を紹介しました。

 このように考えていくと、既成概念と異なるアイデアを実現しようとする時に、社会の新たな価値を見極め伝える「社会価値のキュレーター」が必要ではないでしょうか。佐藤さんはその役割を担っているのではないかと思います。強要するのではなく、人々が意識し、感じることによって、社会の土壌を変えていこうとしています。

 2025年には、多様な人々と共生する社会が現実的になっているでしょう。佐藤さんの、立場の異なる人々を尊重し、彼らの本来の魅力を引き出す力をみて、これからのリーダーが持つ要素の1つを見たように思います。がむしゃらにやっても理解されず、自らが変わることで周囲が変わっていったといいます。時間がかかるかもしれません。

 この挑戦は、三重の美しい自然をもった志摩で始まりました。新しい価値観をもった活動を後押しし加速化させることが、地域創生に不可欠だと思います。

アトリエ・エレマン・プレザン
1991年、伊勢志摩国定公園のなかに、画家の佐藤肇氏と佐藤敬子氏夫妻により設立。現在、三重と東京に拠点をおき、ダウン症の人々50名が通う。作品は、榊原記念病院、日本IBM豊洲支社、聖路加国際病院、東京大学医学図書館、レストランアマルフィ(クジラグループ)などに常設展示されたほか、国内外での展覧会多数。現在、長女佐藤よし子氏の発案による「ダウンズタウン」が始動している。
佐藤よし子(さとう・よしこ)
1979年、東京都出身。ダウンズタウン代表で、アトリエ・エレマン・プレザンで活動。文化学院にて美術を学び、代々木にアトリエ・エレマン・プレザン東京開設。同東京代表を経て、現在、合同会社気まぐれ商店代表も兼務。多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。著書に「学校つくっちゃった!」(ポプラ社)など。