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[4]「愛される権利」から他人の尊重へ

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

 コスタリカの小学校に入学した子どもたちは最初に「だれもが愛される権利を持っている。この国に生まれた以上、あなたは政府や社会から愛される」と教えられる。基本的人権を小学1年生でもわかる「愛される」という言葉で習う。

 しかも、「もし愛されてないと思ったら憲法違反に訴えて、政府の政策や社会を変えることができる」とも習う。コスタリカではなぜ小学生も憲法違反の訴訟を起こすかというと、6歳でこれを教えられるからだ。

 なにも小学生が憲法のすべてを学ぶのではなく、人権という最も大切な一点を最初にしっかりと頭に入れる。政府や社会は一人一人の人間の人権を守るべき存在であることも、このときすべての子どもの心に根づく。

 この国の教育を知ろうと、日本の文部科学省に当たる公教育省を訪れた。

公教育省で語るグロリアさん公教育省で語るグロリアさん=撮影・筆者
 学生生活課のグロリアさんは教育の目標を「市民の権利意識をきちんと持ってもらうこと」と明瞭に語る。

 さらに「だれもが一市民として国や社会の発展に寄与でき、一人の人間として意識でき、何よりも本人が幸せであること」が目標なのだという。

 そのうえで「わが国は人権の国です。他人の権利を認めることが平和につながる。自分と同じく他人の人生を人間として尊重することから民主主義が生まれる。コスタリカは平和の文化を創ろうとしています」と話した。

 学習指導のガイドラインや教科書もあるが、「先生が教科書のページを追うことに懸命になるのはよくない」と語る。

 教科書に頼らず先生の自主的な授業作りを奨励するのは、先生の創造性をなくしてはならないという考えからだ。環境教育では農業を理科の時間に組み込んだ。実際に畑に行って農業を体験しながら考えるようにしたという。

 日本では教科書に沿って授業をどんどん進め、理解できない子は置いていかれることになると話すと、グロリアさんは「コスタリカではそれぞれの子どもに合ったやり方で教えます。授業についていけないのはその子のせいでなく制度が悪い。全員が同じ速さで覚えなければならないというシステムがおかしい」と指摘した。

 さらに「一生懸命やっている生徒を排除してはなりません。それぞれの子がどうしたら頭に入りやすいかを、先生が考えるべきです。生徒各自に合ったやり方があります」と一気に話した。

首都サンホセ郊外の小学校首都サンホセ郊外の小学校=撮影・筆者
 とはいえ、教科書を見れば教育の指針がうかがえるだろう。町の書店で教科書を探すと、日本の中学2年にあたる公民の教科書があった。

 第2章は「コスタリカ 自由の祖国」というタイトルだ。いきなり「テーマについて調べてみよう」という項目があり、「『平和とは戦争がない状態ではない』といわれるのは、なぜでしょうか?」と書いてある。

 日本では、「平和とは戦争がない状態」だと思われているが、コスタリカではそうではないのだ。

 そのあとに「平和とは理想、希求する心からなるものであり、それを実現するためには個人がそれぞれの平和を確立することが必要です」と書いてある。

 平和といえば、日本ではまず国家の平和を考えるが、コスタリカでは個々人が平穏に暮らせることが出発点だという発想である。さらに平和とは「すでにある」状態ではなく「これから創る」ものだという発想が基本にある。

 これは国際的な平和学に沿った考え方だ。北欧や米国で発展した平和学では、ただ戦争がないだけの状態は「消極的平和」と呼ばれる。

 しかし、一見平和に見えても飢餓や貧困、虐めや差別、社会格差など、構造的な暴力はある。それがない状態を「積極的平和」と呼ぶ。安倍首相の言う積極的平和主義とはまったく逆の概念である。

 公民の教科書にはそのあと、こんな記述があった。

 「国家を統治している多くの人々は、ある一つの似通った、嫌な考えを持っています。

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