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[2]欠落した日韓和解への意志

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 次に、戦後日本の各国との和解の歩みについての記述を見ていきたい。報告書ではアメリカに対して、占領期において戦前の日本に存在していた民主主義を希求する流れを回復させ、現在に至るまで安全保障上のパートナーであり続けたとの評価を行っている。

 また、豪州、欧州との和解については、捕虜の扱いについて日本が他国の5倍近い死亡率を示すような環境に置いたことで、1990年代まで和解の道は十分なものとはならなかったものの、この20年の官民を通じた努力によって改善していると評価する。

 一方で、報告書はそれらの国との和解に対して、特定国の姿勢を批判する論法をとっている。

 戦争を戦った国々においては、終戦後二つの選択肢が存在する。一つは、過去について相手を批判し続け憎悪し続ける道。そしてもう一つは、和解し将来における協力を重視する道である。日本と米国、豪州、欧州は、後者の道を選択した。血みどろの戦いを繰り広げた敵との間でなぜ日本とこれらの国々は和解を遂げ、協力の道を歩むことができたのか。日本との関係で一つ目の道を選択し、和解の道を歩まなかった国々との違いはどこにあるのか。その解は、加害者、被害者双方が忍耐を持って未来志向の関係を築こうと努力することにある。加害者が、真摯な態度で被害者に償うことは大前提であるが、被害者の側もこの加害者の気持ちを寛容な心を持って受け止めることが重要である。(19頁)

有識者懇談会」の初会合であいさつする安倍晋三首相(右手前から3人目)。左から3人目は座長の西室泰三・日本郵政社長=25日20150225T「有識者懇談会」の初会合で挨拶する安倍晋三首相(右)=2015年2月25日
 日本が戦争を行い、関係を修復できていない国という条件を考えれば、「過去について相手を批判し続け憎悪し続ける」としているのは中国であろう(「国々」と書かれているので、戦争を戦った国ではないが、韓国も暗に含まれている可能性も否定できない)。

 前掲のように、報告書では20世紀に入ってから1930年までの中国への日本の姿勢を検討に入れていない。

 もちろん、近年の中国の姿勢に問題が無いわけではないものの、自らの非の全体像を示さずに特定の国(日中戦争だけでも日本軍の被害を大幅に超える数百万人の被害を中国は出している)の寛容性の低さを非難するのは、総理大臣に意見を具申するために作成された報告書の言質として適切とはいい難い。

 また、そうした欧米諸国と中国(あるいは韓国)を意識させつつ比較する方式は東南アジアとの和解についても述べられている。

 記載の順番は前後するが、その記述を見ていくと、東南アジア諸国においては当初、日本に対する反発が強かったものの、経済支援の充実や賠償交渉、およびアジア女性基金の活動等により同地域では対日意識が改善したことが述べられる。その上で、下記のような評価を下すのである。

 日本と中国、韓国との関係に比べ、日本と東南アジアとの関係は、この70年間で大きく改善し、強化された。この背景には、中国、韓国の国民の歴史において戦争、植民地支配の苦しい経験の中で、まさに日本が敵となっているのに対し、東南アジアの国々の国民の物語の中では、日本は主たる敵とされていないことがある。日本の支配下、たいへん苦しい思いをした東南アジアの人々は大勢いた。しかし、その前に長年にわたる欧米の植民地統治を経験していた彼らにとって、日本は第二、第三の植民地勢力であり、植民地支配と戦争の苦難が全て日本の責任であるということにはならなかった。(29頁)

 つまり、この報告書の冒頭に示された欧米列強による植民地支配の歴史が、東南アジアにおける日本の植民地支配や戦争被害に対する反発を緩和し、一方で中国や韓国は植民地支配や戦争の苦難を全て日本の責任とし、和解の道を示していないとの立場がとられているのである。

日本と中韓に対する異なる印象

 そうした評価を踏まえ、中韓との和解の経緯についての記述を見ていく。

 中国に対しては中華人民共和国と中華民国(台湾政府)との関係が時系列に述べられ、中国の転換点として1980年代半ばから鄧小平主導で日本と対抗した自国の歴史を強調する教育が始まったことを挙げている。

 もちろん、日中関係の改善を意図した数々の試みも紹介されていくものの、現在に至る日中関係に対しては「双方の思惑が十分には合致しなかった70年(23頁)」との評価を下す。

 ただ、一連の中国との和解に関する記述で気になるのは、

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