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[2]中央集権体制の呪縛

熊谷徹 在独ジャーナリスト

なぜ内部告発がなかったのか

 欧州最大の自動車メーカー・フォルクスワーゲン(VW)は、全世界に約60万人の従業員を抱えているが、その内約4万人が研究開発業務に携わっている。

 今回の排ガス不正が発覚する端緒を作ったのは、米国の環境NGO「国際クリーン交通協議会(ICCT)」だった。ICCTの委託を受けたウエストバージニア大学の助教授が、半ば手弁当でVWの車2台を走らせて排ガス検査を行ったところ、試験場での窒素酸化物の排出量と、路上での走行時の排出量との間に大きな差(1台では25倍、もう1台では35倍の差)があることが判明した。

 ドイツでは、「1100万台もの車に違法なソフトウエアが組み込まれていたのに、なぜVWの4万人の技術者の間に、メディアや規制当局に対して情報を暴露し、内部告発を行う者が1人もいなかったのだろうか」という疑問の声が出されている。どうしてVWには、NSAの電子盗聴の実態の一部を暴露した、エドワード・スノーデンはいなかったのか。

 ドイツの報道機関の中には、「その理由は、過去のドイツ企業の体質をひきずる、経営姿勢にある」という意見が出ている。

フォルクスワーゲン本社=2013年3月、独ウォルフスブルク市フォルクスワーゲン本社=2013年3月、独ウォルフスブルク市

 ドイツの報道機関の中には、「VWが米国で伸び悩んだ原因の1つは、その企業体質にある」という意見が出ている。

 VWは、中央集権的な性格が極めて強い企業だった。細部にこだわるヴィンターコルンCEOの命令は絶対であり、その経営手法は家父長的ですらあった。社員の中には、「VWには、上司の言うことは絶対であり、反論してはならないという、“不安に満ちた空気(Klima der Angst)"があった」と語る者もいる。

隠し撮りされたビデオに映っていたもの

 ヴィンターコルンの経営スタイルを示す、ビデオ映像がある。彼は、VW社内で「マイクロ・マネジャー」、「コントロール・フリーク」として知られていた。このビデオが撮影された場所は、2011年にドイツのフランクフルトで開かれた国際自動車見本市(IAA)である。ダブルのスーツに身を包んだヴィンターコルンは、部下たちを引き連れて、韓国の現代自動車の展示スペースを訪れた。

 CEOは、不機嫌そうな表情で、現代自動車の乗用車の後部のドアを開くと、ペンシル型懐中電灯まで使って、細部をなめまわすように点検。CEOというよりは、整備工場のオーナーのようだ。運転席に座ると、ハンドルの高さを変えるためのレバーを操作した。彼は「ビショッフ!」と技術部長を呼びつける。「レバーを操作しても、全然ガタガタしない。現代自動車にできるのに、なぜ我が社はできないのか?」と詰問する。技術部長は蚊の鳴くような声で「我が社でも可能なのですが、値段が高くなりすぎるのです」と弁解した。ヴィンターコルンは部下の説明に納得せず、「なぜ現代自動車には、これが可能なんだ!」と父親が子どもを叱るような口調で部下をなじった。

 このビデオは隠し撮りされたものなので、ヴィンターコルンのありのままの姿が映し出されている(ちなみに、現代自動車はこのビデオに「当社の製品は、手ごわいライバルまで感嘆させるほどの品質を持っています」というテロップをつけて、自社の製品の優秀性を消費者にアピールするために使っている)。

 「ヴィンターコルンは、自社の車のトランクが閉まる音にまでこだわった」という逸話もある。たたき上げのエンジニアであるヴィンターコルンは、CEOでありながら細部に執着する人物だったのだ。

 2013年末に米国ビジネスが不調だった時にも、居並ぶ部下を大声で叱責したとされる。気に入らないことがあると、大声で部下をこき下ろす。つまりヴィンターコルンは自動車の細部にまで目を光らせ、部下を畏怖させることによって、服従させるタイプの経営者だったのだ。

 元々VWは、1937年にナチス政権が「全ての市民が購入できる割安の自動車、つまり国民車(フォルクスワーゲン)」を開発させるために創設した、国営企業だった。現在もニーダーザクセン州政府が株式の一部を保有し、州首相が監査役会に参加するなど、公的な性格が強い企業である。こうした企業の成り立ちも、中央集権的な性格を強めることにつながったのかもしれない。

 VWが米国市場でシェアを拡大できなかった理由の一つも、この中央集権制だった。

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