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[4]私たちと議員をつなぐ「回路」が足りない

双方向のコミュニケーションが重要だ

三浦まり 上智大学法学部教授

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、3月4日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページ

http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

講演する三浦まり教授講演する三浦まり教授

さまざまな形の「代表」

 マニフェストがあったときに私たちが期待したのは、選挙のときに約束をし、それを履行するという関係性でした.これも一つの代表のあり方です。

 皆さんは選挙行くときに、現職の候補者が前の選挙でなにをマニフェストとして掲げ、そのマニフェストをどの程度実行したかを、ちゃんとチェックしていますか? あまりしていないのではないでしょうか。私もしないことがあるかもしれません。

 「選挙のときの約束を守る」ということは理想的に聞こえますが、次の選挙のときに、約束を守ったかをチェックする有権者は少ないのです。前の約束を守ったかどうかではなく、任期の間に何をしたかという「業績」を評価することの方が多いのかもしれません。

 「マニフェスト選挙」が盛んだった頃は、政党がマニフェストを出して、その約束を守るのが民主主義だ、という考え方が強かったわけですが、実際の有権者の行動は、約束したかどうか、それを守ったかどうかではなく、任期中に何をしたかということを評価していることも多いわけです。

業績を評価し、落選させる力を持つ

 実は国会議員もそれを見越して行動しています。自分が過去の選挙、2年前、3年前に約束したことに縛られるのではなく、次の選挙のときに、どういう評価を受けるのかということを予想しながら行動することが多いと考えられます。

 約束の履行はチェックを受けないため、選挙前には良いことをたくさん言います.最近、奨学金の問題も少し動いてきたり、あるいはきょうは辺野古の問題で少し前進があったりしました。また、首相は「同一労働同一賃金」を突然言い出しています。あきらかに7月の参院選を意識しているわけです。

 選挙のあとに本当にやるかどうかわからないですが、7月までは甘い言葉を囁くわけです。2016年7月時点で政党が何を約束したかということを、しばらくしたら有権者はみんな忘れちゃうから、何を言っても大丈夫というふうに政治家は思っているわけです。

 このように考えると、何が重要になるかといえば、私たちがどれだけ落選させることができるかということになります。大野伴睦の有名な言葉で、「猿は木から落ちても猿だけど、政治家は選挙から落ちたらただの人」というのがあります。落選に対する恐怖は、ものすごいものがあるわけです。それは悪いことではなくて、私たちが政治家に言うことを聞かせることができるのは、唯一、落選させる力を私たちが持っているからです。

 落選させる力を私たちが持っていなければ、彼らは言うことを聞く必要はなくなります。政治家も次の選挙で自分の業績が評価される、政権であれば、自分の政権の評価がされると思うからこそ、選挙の前に慌てて業績作りをしようとするのです。こうしたメカニズムを知った上で、どうやって彼らを私たちの代表者にさせるべく、私たちは行動できるのだろうかという発想が重要なのです。

「回転機」のような代表

三浦まり教授三浦まり教授
 面白いことに、女性政治家にインタビューをして、「女性を代表していますか?」と聞くと、みんな怪訝な顔をするんですね。「していない」と、はっきりおっしゃる方もいらして、いかに政治家にとって「代表する」という日本語がなじみがないかということを思い知りました。

 多くの場合は、自分に一票を入れてくれる人が何を考えているのか、あまり考えていないようです。それに対して、「自分はこの政策をやりたい」という信念があるわけです。選挙はどれだけ握手をしたかで決まるから、名前を連呼して、どぶ板選挙をやることになります。選挙での活動と自分がやりたい政策の間には、大きな乖離があるのです。例えば外交をやりたい人は外交を訴えても選挙に勝てないから、それは別に言わなくて、ありきたりなことを言い、とにかくいろんな人と握手をする。そういった選挙運動をやる。でも、当選したあとは、自分のライフワークである外交なり女性政策なりをやるわけです。

 こうした状況を、政治学で「回転機のような代表」と言います。つまり、自分中心にくるくると回っている人という意味です。そういう政治家は意外と多いことに、

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