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[3]マッカーサー三原則と憲法9条

長尾龍一VS木村草太 「憲法と、国家と、人間と」

木村草太 首都大学東京教授(憲法学)

木村草太さん(左)と長尾龍一さん木村草太さん(左)と長尾龍一さん

 この原稿は長尾龍一・東大名誉教授と木村草太・首都大学東京教授が6月14日、ジュンク堂池袋本店で行ったトークショー「憲法と、国家と、人間と」をもとに、両氏が加筆修正したものです。

長尾龍一 1938年生まれ。東京大学法学部卒。東京大学大学院総合文化研究科教授、日本大学法学部教授を経て東京大学名誉教授。主な著書に『憲法問題入門』(ちくま新書)、『リヴァイアサンー近代国家の思想と歴史』『法哲学入門』(いずれも講談社学術文庫)、『ケルゼン研究』(信山社出版)、編著に『カール・シュミット著作集(1・2)』(慈学社)などがある。
木村草太 1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て首都大学東京教授(憲法学)。主な著書に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)、『憲法の急所』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)などがある。

占領期と天皇

木村 時間の関係もあって各論に入っていきたのですが、「占領期と天皇」というテーマで少しお話をうかがっていきたいと思います。

 日本国憲法と明治憲法を比較したときに、まず大きな違いとして、国民主権が鮮明にされて、天皇主権、あるいは天皇の大権というものは否定されました。資料の4ページに宮沢俊義先生の「昭和史探訪5」という本の中でのインタビューから引用しているんですけれども(以下、引用)。

 「私なんかも、率直にいって思わなかったんです。今の新憲法、結構だと言ってるけど、当時、今の憲法と同じものを作ったとしても、司令部がだまっていれば、議会は通らないし、第一そんな案ができるはずがない、というような状態でしたからね。
 だから、あのマッカーサー草案みたいなものができあがるとは、ほんとうに考えませんでしたね。あとで松本先生がしみじみ言っていましたが、おれには日本国民っていうのは実際わからん、ほんとうに、ものがわかったかどうかわからんって。
 つまり、自分は日本国民におこられちゃ困ると思うから、たとえば主権は国民にありなんて、天皇主権を否定するようなことばは使わないようにしたんだと。ところが、日本国民は、国民主権なんて言いだしたら、もう平気になっちゃって、あの選挙のときでも、だれも気にしないっていうんです。
 <宮沢俊義 「新生日本の道標『新憲法』」『昭和史探訪5』(角川文庫)187頁 引用終わり> 

木村 つまり、宮沢先生によれば、ご自身も終戦直後はいまの新憲法のようなものができるとは思っていなかったし、松本烝治先生は、「日本国民っていうのは実際わからん、ほんとうに、ものがわかったかどうかわからん」と、非常に途方に暮れた発言をしていたと。この当時の知識人たちからすると、美濃部先生にしても、松本先生にしても、国民主権を鮮明にする憲法ができるとは到底思っていなかったということですね。

天皇制について考えていること

長尾龍一さん長尾龍一さん

長尾 ええ。そうです。それでですね、天皇制問題については私も最近またちょっといろいろなものを読んで、いろいろ考えているんですけど、まあちょっと天皇制自体の話をしてよろしいですか?

木村 もちろん。

長尾 まず終戦直後、日本共産党、それから講座派マルクス主義という人たちは、明治国家体制を基本的に半封建的ないし絶対主義的体制だというように見ていた。

 そして天皇制がその中心にあり、天皇制の本質は軍国主義と警察、それから明治新政府が外様大名から巻き上げた山林を御料林に入れて、皇室は日本一の大地主になっていた。それからまた三井や三菱、その他の大株主で、天皇制は軍隊・警察・財閥・大土地所有によってつくられた権力だ、と。

 天皇制の本質をこのようにとらえる議論は、戦前のマルクス主義以来のもので、終戦直後の言論の中で、それを展開したわけですね。それに対して、幣原首相とか、当時のいわゆる中間派というか、戦争中おとなしくしていたけれども、それほど革新的でもないような人たちは、「まあそんなことを言うけれども、天皇というのはもっと古くからあって、戦国時代に朝廷にはまるで武力もなければ経済力もなかった、江戸時代もほぼ同様だった、そういうときに日本国民が天皇制をずっと支持して、江戸時代にも尊王論が盛んになって、それが明治維新に導いていったわけで」。

 だから天皇制の本質が共産党の言うように、軍閥、財閥などの、現在の言葉で言えばハードパワーが本質ではない。敗戦と共に、天皇からそのハードパワーは全部奪われていた。憲法の88条で、皇室財産もみんな奪われてしまった。ハードパワーが本質だったら、天皇制はもう存在理由を失ったはずだけれども、当時の国民の多くはそう考えなかったんですね。従って、天皇制の本質は、共産党の言うようにハードパワーではなくて、ソフトパワーだったんではないかと考えたんですね。

人権論の観点から

木村草太さん木村草太さん

木村 長尾先生は『リヴァイアサン』という著作の中で、人権論の観点からすると天皇制というのはとても問題がある制度だということをおっしゃってますけれども、そのあたりもお聞かせいただけますか?

長尾 世襲制は、やっぱり近代社会に合わない。だから天皇や皇族の人権は大きな問題です。

 天皇や皇族に生まれたというだけで、一生涯拘束されて暮らす。伊藤博文が、大正天皇が生まれたときかな、皇太子っていうのはかわいそうなもので、周りの人間の操り人形になって暮らさなきゃいけないっていって、人形を操る仕草をして見せたとベルツの日記にありますけど。

 天皇の生活はまったく自由のない生活ですよね。昭和天皇自身も「籠の鳥」だった自分が英国旅行ではじめて籠から出たという趣旨のことを言っている(帰国してまた籠にもどったとは言っていませんが、実際はもどったんでしょう)。昭和21年11月3日、三笠宮が憲法発布の日に書いたという文章が後に出てきたんですけれども、その中で天皇に死以外に譲位の道を開かないのは、新憲法18条の「奴隷的拘束」だと言っているらしい(『毎日』2003年8月6日)。そういう点で、天皇制は、個人の自由とか人権とか、特に職業選択の自由とかそういう点から見て、近代的感覚の持ち主から見ると、問題を持った制度だと思うんです。

ソフトパワーとしての天皇制

木村 ええ。そして『リヴァイアサン』の中で、天皇はハードパワーではなく、ソフトパワーというか、ハードパワーではないところに存立の基盤のある制度でもあるとおっしゃっています。このような観点から、今後の天皇制について、長尾先生はどういう展望を持たれているでしょうか?

長尾 ああ、そういことはなかなか難しい。僕の予測は外れてばかりなので。

木村 難しい。

長尾 とにかくですね、僕もマッカーサー時代に育った人間だから、当時の意識として、天皇制ってそうは長くは続かないだろう、いまの老人世代が死に絶えた頃にはなくなるんじゃないかなんて思っていたんですが、そうならずに、そのあとの世代が、やっぱりそれなりの仕方で天皇制を支えてきた。

 いまの新聞記者諸氏なんて、40、50代の人たちですが、僕よりも20歳も年下の人たちが、やっぱりうやうやしく、皇室行事やなんかをありがたそうにして新聞にも書いたりしてるのを見ると、ソフトパワーとしての天皇制は、人為的に作られた点もありますけど、戦後の日本人に支持されてきたと感じざるをえない。共産党が天皇制をハードパワーとしてとらえて、これが天皇制の本質でこれを倒さなけりゃ日本の民主化は不可能だって言ったけれども。いまの日本が民主化しているかどうかっていうのは議論をする人もありうるかもしれないけど(会場・笑)。ともかく一応、形式的には民主的な制度が定着している中で、天皇制もソフトパワーとして国民が承認してきているようなので。うん。だから……。

木村 長尾先生は、天皇制を続けるにしても、例えば国事行為が多すぎるのではないかとか、あるいは、生涯退位できないのは、人間疎外の中で生涯を終えなければいけないということになってしまうから、古典時代のように、兄弟で順に就位するなど、人生の一時期天皇をやるという形にしていったほうがいいのではないか、と著書の中でご提言されてることもあったかと思いますけど。

長尾 ええ。いまでも本心はそう思ってるんですけど。

木村 (笑)、そうなんですか。

長尾 しかしもう皇族がこんな人数が少なくなってくると、人材のスペアがなくなるので(会場・笑)。それで、ちょっとその議論ももうなかなか……。

木村 たしかにそうですね。兄弟の中でまわすと言っても、兄弟がすごく少ないので。

長尾 ええ。そういう点もあって。僕はね、国事行為なんてもう大部分やめて、京都に帰って、京都の朝廷が持っていた文化の維持を一生涯の10年とか15年とかやって、また引退して、あとは自由に暮らすというようなことが天皇の人権と……

木村 日本の文化ということですね。

長尾 こういう在り方が日本国憲法の個人主義と天皇制の存在理由、文化的存在としての天皇の可能な接点ではないかというようなことを昔書いたんだけど。

天皇の地位は大きく変わった

長尾龍一さん長尾龍一さん

木村 なるほど。いや、あのとき書いたことが、いまの状況でそのようなご意見になるなんてとても興味深いです。続いて非武装化という論点にも進んでいきたいわけですが。

 日本国憲法制定によって、まず天皇というものの地位は大きく変わったわけです。明治憲法の第一章は天皇に関する章ですが、有名な第一条は、「大日本国帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」となっています。松本委員会では、1月4日ぐらいに宮沢先生が甲案、乙案と2種類の改正案をまとめています。

 乙案は保守的な内容で、この条文はそのままです。甲案では、「日本国ハ君主国トス」とされていて、立憲君主制であることを明確にするように改正してはどうかという提案がなされていました。

 ただ、いずれの案にせよ、天皇制は維持し、また法の骨組みも大日本国帝国憲法を基本的に受け継ぐというスタンスでした。当然、軍の排除というか、軍をなくしてしまうっていうような提案は、松本委員会でも当然されていなかったわけです。

マッカーサー三原則

木村 有名なマッカーサー三原則(「天皇制」「戦争放棄」「封建制の廃止」)の第2項が、いわゆる戦争放棄の条項で、戦争を放棄するんだ、軍隊を持たないんだ、ということが書かれています。

 マッカーサー三原則では、日本の安全を維持するための武力行使も放棄するんだというかなり踏み込んだ提案もしています。しかし、GHQ案第8条では、日本の安全を維持するための武力行使も放棄するという趣旨の条文はなくなり、我々がよく知っている憲法9条の文言になるわけです。まずこのニュアンスの違いというのをどう見ておられるかっていうことをうかがいたいんですけれども。

長尾 第9条がどうしてこんな形で出てきたかっていう話は、やっぱりある程度、まあ相当程度の方はご存知かもしれませんけど、一言は触れないといけないでしょう。

木村 そうですね。

長尾 まずアメリカ側は、日本の政府に憲法を起草されることにしていて、別にGHQで憲法をつくろうなんて思ってなかったんですけど、その頃に起こったことですが、幣原首相が72歳か3歳。僕よりも、いま4つも年下で、ちょっと信じられないんですけどね。なんか昔おじいさんだと思ってた人が、自分より年下なんて(会場・笑)。

 下らない雑談をすると、孔子が死んだのが73歳。僕が74になったときにね、東洋的な長幼の序から言うと、孔子が目の前に出てきたら、「孔子くん」と言うようになるんだなと(会場・笑)。

 いずれにせよ、幣原首相が風邪を引いたんですね。で、終戦直後っていうのは、みんな健康状態が悪くて、配給だけでは食っていけなくて、闇米を買うなんていうことは個人の才覚ですから、どんな地位の高い人でも、本人や家族が実際にあちこち飛び回って闇米を買ってこなきゃ、まずは栄養失調になるんですよ。

 ですから、幣原首相が正月に風邪をひいて。で、栄養状態が悪い時代に七十何歳で風邪をひくと命も危なかったわけですよね。で、マッカーサーが当時新薬だったペニシリンを幣原首相に贈ったんですよ。そのせいだか何だか幣原は治って、1月24日に司令部にその礼に行ったっていうんですね。少なくとも幣原さんの主観はそうだった。マッカーサーのほうは何かもっと公式の用向きがあって来たと思ったのかもしれない。で、幣原さんは、「自分はもう年で、長くは生きていられない。しかし私はやっぱり天皇制だけは維持したい」と言ったんですね。

長尾 「天皇制」という言葉は共産党用語で、32年テーゼという共産党テーゼで初めて使われた言葉です。いまは「天皇制」という言葉を使うと、天皇制に対して否定的な見方をする人が多いというようなニュアンスがありますけれども、終戦直後の議論の中では、幣原さんや芦田首相なども「天皇制」って言ってるし、必ずしもそうじゃなかったんですよね。だから「天皇制」という言葉が左翼用語として保守派の中でタブーになってきたのは、戦後が進行して、昭和30年代、40年代にだんだん…これはまあ雑談ですけど。

木村 ちょっと巻いていきましょう(笑)。

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