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なぜ被災地はボランティアを活かしきれないのか

熊本・益城町で見えた課題

宮前良平 大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員

 熊本地震から2か月余り。この間私は、大きな被害を受けた熊本県益城町で活動してきた。

 21年前に起きた阪神淡路大震災以降、災害ボランティアの認知度は上がり、受け入れ態勢も整えられてきた。しかし、熊本地震の被害を受けた中心地一帯に来るボランティアの数は多いものの、それを十分に生かし切れているとは言えない。なぜか。

ボランティアを断わらざるをえない事態

 筆者は4月15日、益城町に救急救援に入った。以来、時には、益城町の社会福祉協議会が主催するボランティアセンターを手伝い、またある時は、特定の組織に属さず仲間と自由に動く「遊軍ボランティア」として、被災された方々のニーズを拾い上げる活動をしている。

 最近は、メロンやトマト、スイカの出荷の手伝い、避難所での足湯活動などさまざまなニーズに応える「なんでんかんでんするっ隊」を熊本や大阪の大学生の仲間と結成した。

大勢のボランティアが訪れ、手際よく木材を片付けていた=14日午後、熊本県南阿蘇村20160514熊本地震の被災地で木材を片付ける大勢のボランティアたち=2016年5月14日、熊本県南阿蘇村
 通常、世間からの注目を浴びた被災地は、支援の手が伸びやすい。

 筆者が益城町災害ボランティアセンターの活動を手伝っていたゴールデンウィーク真っ只中の5月1日日曜日は、8時半からの受け付け開始時に、様々な年齢層のボランティア希望者の長蛇の列が生じて、わずか10分で受付を終えてしまった。

 この間の受付人数は延べ630名に達したが、すでにボランティアセンターの能力を大幅に上回っていた。ボランティアを断られた人のうちには、まだ募集を行っている近隣のボランティアセンターを急いで回るという「ボランティア難民」になる人も多かった。

 しかし、このボランティアの多さとは裏腹に、益城町でのボランティア支援がうまくいっているとは言いがたい。

 ある時、筆者は、震災後出会った方のお宅の片づけを遊軍ボランティアとして手伝っていた。そのお宅は、益城町内の応急危険度判定で「半壊」と言われており、3世代の6人家族は敷地内の別棟に暮らしていた。40代の女性に話を伺うと、「雨が降ったりなんかすると、少しずつ崩れていくんですよ」という状況であった。

 休憩中、半壊した家から取り出したコーヒーをいれていただきながら、「ボランティアは手伝いに来ますか」と訊くと、「ボランティアセンターからは来ないですね。私たちだけじゃなく困っている人はたくさんいるのに、ボランティアセンターが動いている様子が感じられない。聞いたところによるとせっかく来ていただいたボランティアを追い返しているらしいじゃないですか」。やり場のない怒りが表情にはっきり感じられた。

 なぜボランティアの人数が多いにもかかわらず、それが被災者に届かないという状況が生じてしまうのだろうか。

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