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福山幹事長が語る、立憲民主党が目指す政治

立憲主義を守りつつ、多様で寛容な社会を実現。SNSも駆使して「草の根」と連携を

宇野重規 東京大学社会科学研究所教授

 この秋、突然おこなわれた衆院選で、解散後に立ち上がった立憲民主党が民進党にかわって野党第1党に躍進しました。立憲主義の砦(とりで)、リベラルの救世主として期待を集めた同党ですが、枝野幸男代表は自分は「保守リベラル」と言い、保守・リベラルの二項対立の政治とは違う、「草の根」からの新しい政治を目指す構えです。

 衆院選では自民党が大勝、しばらくは「安倍一強」が続く気配が漂います。立憲民主党はどんな「世界観」をもって、政治にのぞもうとしているのでしょうか。結党の理念、いまの立ち位置、これらの課題、将来的に実現したい政治について、聞き手の政治学者、宇野重規・東大教授を相手に、幹事長の福山哲郎・参院議員に思いの丈を語っていただきました。(収録は12月15日。構成・WEBRONZA編集部 吉田貴文) 

リベラルを前面に出さないワケ

福山哲郎氏福山哲郎氏

宇野 先の衆院選は民進党の分裂もあり、自民党の大勝で終わりました。そんななか、衆院解散後に急きょ旗揚げした立憲民主党が、予想を上回る伸びを見せて野党第1党に躍進。希望の党に排除された民進党のリベラル派の受け皿になった面もあり、リベラルの拠点が残ったと期待する向きもあります。ただ、枝野幸男代表は「自分は保守リベラル」、「右でも左でもなく前へ」、「上からか、草の根からかが対立軸」などと言い、リベラルを前面には出していません。

福山 民主党政権の後、第2次安倍晋三政権が発足して5年、世の中は保守一辺倒で、誰も彼もが保守を名乗る時代になっています。その対極として、リベラルはマイナスイメージで語られることが多いです。

 私たちはもともとリベラル政党を標榜(ひょうぼう)するつもりはありませんでした。リベラルも保守もあいまいな日本で、リベラルとは何か、保守の定義とは、といった論争をする余裕も時間もなかったからです。日本特有のリベラルに対するネガティブなイメージで語られることは避けたかった。枝野代表の「右でもなく左でもなく前へ」という言葉には、そうした含意もありました。

 一方で、多様性や寛容さを大事にする欧米で言うところのリベラルを、意識していたのは事実です。枝野代表は選挙中、「困ったときにお互い様に支え合う社会」を主張してきましたが、これは政治志向でいう「選別主義」から「普遍主義」への転換に他なりません。そのことをもってリベラルと言われれば、リベラルかもしれません。

不毛な保守とリベラルめぐる論争

宇野重規氏宇野重規氏

宇野 確かに、いまは猫も杓子(しゃくし)も「保守」を自称します。とはいえ、「何を保守するのか?」と尋ねると、よくわからない。政治における保守主義とは、現行体制を革命で一気に改めるのではなく、いままでの理念を尊重しながら、漸進的に改革するものなのに、保守を名乗る人たちが現行の体制の理念、たとえば憲法の理念を尊重しなかったりする。

 他方、多様性と寛容を尊重する思想として長い歴史を持つリベラルを、ある種、「左翼」と同義語のように使い、ひずんだレッテル貼りをして、からかったり、批判したりしています。

 こうした不毛な状況でリベラルか保守かという論争をすることが、新党の発足にあたりふさわしくないと考えられたのは理解できます。また、リベラルに込められた「意義」を継承したいという思いがあることもわかりました。この点については後ほど触れるとして、まずは党名にも入っている立憲主義に関してお聞きします。そもそも「立憲民主党」という党名にした理由はなんですか。堅苦しくて今風ではないという声もありますが。

早朝の電話で「やりましょう」

福山 枝野さんと新党の検討をはじめたとき、2人の間で党名の候補にあがったのは「民主党」でした。民進党に改称するまで約20年間続いたこの党名に愛着があったからです。

 ただ、単に戻すのはかわり映えしないし、民主党へのネガティブイメージが依然、強いことから断念。次に「新民主党」、「民主新党」などがあがりましたが、日本新党をはじめ「新」のつく政党は長続きしないと枝野さんに抵抗感がありました。

 ときに10月1日の夜。民進党は9月28日の両院議員総会で希望への合流を決定したものの、小池百合子・希望の党代表の「排除発言」があり、大混乱に陥っていました。

 10日が公示なので、新党で選挙を戦うとすれば、資金や候補者集め、公約の作成などを考えるとギリギリのタイミングです。でも、枝野さんはまだ悩んでいました。

 「無所属でやられても枝野さんは勝てると思います。でも、『枝野、立て』の声がネットにあふれ、希望から排除された人が『政党をつくってくれ』と願う状況で、たとえ無所属で当選を果たしても、枝野さんという政治家としては厳しくなるかもしれません」。そう言った私に枝野さんは、「一晩、待ってくれ」と言い、その夜はわかれました。

 枝野さんはその後、何人かに相談したようです。翌朝一番、電話をかけてきて「やりましょう」と言われました。「どなたかに相談されたのですか」ときくと、「しました。全員に止められました」と。私が「名前はどうしましょう」とたずねたら即答でした。「立憲民主党です」。

枝野代表の「申し訳ない」の一言

宇野重規氏宇野重規氏

宇野 「立憲民主党」は枝野さんの命名だったのですね。ちなみに、福山さんが立憲民主党入りを決断したのはいつだったのですか?

福山 私は参院議員ですが、ここまで新党の旗揚げにかかわった以上、もう後には引けません。2日に枝野さんの結党宣言。3日に結党と進むなか、党のロゴマークを発注したり、資金調達をしたり、立候補予定者と連絡をとったり、不眠不休の作業が続きました。

 安保法制に賛同する希望の党に私がいけないことは自明でした。流れからすると、立憲民主党に入るのが自然ですが、選挙区である京都での私の立場を知る枝野さんは「自分の口から、そこまではお願いできません」と。私は京都でずっと前原誠司さんと一緒に活動してきましたし、京都の民進党の衆院議員はみな希望の党にいきました。私だけが立憲民主党にいくのは、確かに難しい選択でした。

 公示日が近づき、衆院の方々は次第に選挙準備が忙しくなる。参院の私がいよいよマスコミ対応をせざるを得なくなった時点で、民進離党を決断しました。4日の夜、枝野代表に「入党させてください」と申し出ると、黙ってうなずかれて「申し訳ありません」と言われました。「いや、とんでもない」と答えたのを覚えています。

立憲主義めぐる危機的な状況

宇野 話を戻します。党名の由来はわかりました。ただ、立憲主義は必ずしも日本人になじみのある言葉ではありません。「憲法を制定するのか」と言い出す人もいる始末ですから。党の根幹とも言えるこの考えはうまく伝わるでしょうか。

福山 戦前の日本には「立憲」を冠した政党が幾つもありました。憲法で国のかたちを規定し権力を抑制する立憲主義が、所与のものだったわけです。

 昭和の一時期、軍部の独走もあってそれが崩れた反省から戦後、日本国憲法が生まれ、憲法にのっとって国を動かすことになりました。それがあまりに当たり前になったので、立憲主義という言葉はかえって耳にしなくなりました。

 ところが最近、安倍政権のもとで、当たり前だった立憲主義をないがしろにする事態が相次いで起きました。そんな危機的な状況のなか、立憲民主党を立ち上げたことによって、国民に立憲主義をきちんと説明する機会ができたと前向きに捉えています。当初は「立憲」という漢字が書けないとか、言葉が難しくて浸透しないといった批判もありましたが、その後、「立憲」は意外と国民の間に広がり、ホッとしています。

宇野 確かに、テレビのワイドショーの中でも、「立憲主義とは何か」という解説をするようになりましたね。国民の理解は深まったと思います。

 立憲主義の要諦(ようてい)は「権力は絶対ではない」に尽きます。大切なのは人権をはじめとする個人の権利であり、これを守るために権力はある。権力がどれだけ自らを律することができるかが肝要なのに、それが怪しくなっている。権力が暴走しているのではないかという危惧が国民に広がっている。そんな空気を立憲民主党はうまくつかんだのでしょう。

 とすれば、立憲民主党は立憲主義の観点から、どんな政治を目指すのか、まず、衆院選の与党の勝利によって現実味を帯びてきた憲法改正。安倍首相の悲願ともいえる改憲への構えをお聞きします。

「立憲的改憲」とは何か

福山哲郎氏福山哲郎氏
福山 憲法改正に賛成か、反対かとよく問われますが、理解ができない問いです。誰のため、何を目的に、憲法をかえるのかというところから議論するべきだからです。

 現状は改憲、護憲の両方ともそれが自己目的化している。改憲派は何のために改憲するか明確にしないまま改正を求め、護憲派は9条も含めて日本国憲法を一言一句たりとも変えない立場から一歩も出ない。この二項対立のまま、ずっといっていいのでしょうか。

 そうではないと私たちは考えています。

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