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日本社会の成熟度を映す「在住外国人」(上)

日本に来て、日本に暮らし、日本が嫌いになる人々

岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員

イラン各地の民謡・踊りを楽しむイベントでイスファハン料理を用意する人々=2017年11月23日、大阪府箕面市のコムカフェで

 日本で働く外国人が増え続けている。彼らの前に立ちはだかるのは偏狭で不寛容な日本社会だ。外国人労働者と共生する道を探ることは、ひたすら経済発展をめざす「成長社会」から、多様な人々と分かち合う「成熟社会」へ脱皮する試金石となろう。これから到来する超高齢者時代を乗り越えるヒントがそこにある。

日本社会はすでに多民族化している

 厚生労働省の「外国人雇用についての届出状況」によると、日本で働く外国人は2017年10月末で1,278,670人。前年比で18%増えた。外国人雇用の届出が義務化された2007年以来、過去最高を毎年更新している。

 国籍別では中国が最も多く372,263人(全体の29.1%)。次いでベトナム240,259人(同18.8%)、フィリピン146,798人(同11.5%)の順だ。

 対前年伸び率はベトナム(39.7%)、ネパール(31.0%)が高い。外国人労働者の8割近くはアジア地域出身である(この統計でいう「外国人労働者」には戦前から日本で暮らす朝鮮半島や台湾にルーツを持つ「特別永住者」は含まれていない)。

 在留資格別では「専門的・技術的分野」の労働者が238,412人で、前年同期比37,418人、18.6%の増加。最も多いのは永住者や永住者を配偶者に持つ人など「身分に基づく在留資格」の459,132人で、前年同期比45,743人、11.1%増えている(厚労省資料)。

「トルコランチ」終了後。シェフは筆者の夫(左端)が務めた。スタッフの出身地は韓国、ロシア、モンゴル、日本と多彩だ=2018年5月11日、箕面市のコムカフェで

 かくいう私も国際結婚で、トルコ出身の夫がいる。在住外国人支援に長く携わってきた立場から、そして多文化な家庭を持つ立場から、この国で暮らす外国人たちの目に映る現代日本像を伝えたい。

酷使され、夢破れ、日本嫌いに

 日本は人口減による労働力不足を補うため、アジアから技能実習生や就労制限のある留学生を低賃金労働の担い手として受け入れてきた。彼らは期待を胸にはるばる日本へやって来たが、酷使され、夢破れ、日本嫌いになって帰っていく人が少なくない。

 私の夫は16歳から修行を積み、イスタンブールでは名の知れた製菓職人だった。結婚を機にどこで生計を立てていくかを話し合ったとき、彼は「自分は手に職があるから、世界のどこででも大丈夫」と言った。母国でキャリアを積みたかった私のために、日本への移住を決意したのだ。平仮名・片仮名だけが読める状態で来日したのが今から15年前、2003年のことである。

 日本に来て驚いたのが、飲食業界の待遇のひどさだった。スタッフの多くが最低賃金に近い時間給で働かされ、無料の賄いがついているところはごくわずか(トルコでは賄いや昼食代の補助があるのは当たり前だ)。年1回、2週間ほどのバカンスを取ることはおろか、有給休暇も満足に取得できない。

 日本人特有のコミュニケーションの取り方にも戸惑った。相手の目を見て話す人が少なく、皮肉交じりの冗談も通じない(相手には「きつい」ととられる)。トルコでは話し相手との緊密圏が近く(日本人では1m、トルコでは30㎝以内くらいと思う)、肩をたたくスキンシップをセクハラ扱いされて彼は大きなショックを受けていた。

「まるでモノのように扱われていると感じる。こんな働かせ方をしていたら、企業は儲かるに決まってるよ。日本がこのような国だと事前に知っていたら、違う国での生活を考えたのに」

 時折、ため息まじりにつぶやく彼の言葉に、私もやるせない気持ちになる。

偏狭で寛容性を欠く日本社会

 私は大阪府箕面市の外郭団体に勤務して13年になる。仕事は在住外国人支援と国際交流活動を通した多文化共生のまちづくり。日本語教室の開催や多言語による生活相談、行政情報の多言語発信とともに、在住外国人が主体となって等身大の交流をするコミュニティづくりにも取り組んでいる。

箕面市のコムカフェの5月ランチメニュー。どの日も一律850円

 日本語が話せる外国人当事者たちのグループが「語り合いカフェ」を開いたり、料理好きの人たちがワンデイ・シェフになって母国の家庭料理をランチに提供したりする「コミュニティ・カフェ(comm cafe)」は、文化の異なる人たちが互いを知り、違うところを尊重し合う多文化共生社会をつくるための試みを実践する場だ。

 大多数の日本人にとって「在住外国人との共生」というテーマは馴染みが薄いだろう。多数派は少数派のことに無関心でいられる。そのことこそが「無意識の“特権”」なのだ。マジョリティとマイノリティが「互いに尊重し合う」なんてことは、実際には相当困難なことである。

 私たちの暮らす社会にあるさまざまな課題は、あえて見ようとしないと「見えない」ものばかりで、みんなに見える「大事件」のような形で現れた時には、かなり深刻化していることが多い。

 「外国人同士の考え方の違いよりも、日本人との間にある溝は想像していたよりずっと深く、到底越えられないと感じる」。長年日本に暮らし、日本語を流暢に操る外国出身の同僚たちからよく聞く言葉だ。

1月24日の「イエメンランチ」。メインはマラカ(イエメン風チキンのキャセロール)にスパイシーなピラフ、そしてサラダ、スープにファッタボーズ(バナナ入りデザート)がつく

 公立学校に通いながら、毎週土曜日、学習支援&居場所づくり事業に参加する外国にルーツを持つ子どもたちも、残念ながら例外なくルーツをからかわれたり、いじめられたりした体験を持つ。時に善意の下からも垣間見える日本人の「ゼノフォビア(外国人嫌悪)」。胸の奥深くに閉じ込めていた気持ちを、涙交じりに吐露する彼らを通して、偏狭で寛容性を欠く日本社会の深刻さを感じることは少なくない。

「分かち合う」社会へのヒントに

 日本政府は「移民政策はとらない」としているが、在日コリアンをはじめとする「特別永住者」や「永住者」「定住者」「日本人の配偶者等」の在留資格を持つ人たちは「定住外国人」、すなわち「移民」である。

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