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子どもを救うには先生にもっとゆとりを

いじめや自殺を誰か一人の教員の責任に帰して「一件落着」とするな

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 夏休みが明けて小中学校が再開される日に自殺者が増える傾向があるらしい。古き良き時代に、牧歌的な田舎で楽しい小中学校生活を過ごした私には全く想像もつかないほど、現在の小中学生を取り巻く環境は複雑化しているようだ。

福岡県で開かれた「いじめストップフォーラム」=2015年8月8日、豊前市、小浦雅和撮影

 今や、何らかの問題が発覚するとマスコミのみならずネットを通じた膨大な数の善意の人々が、情報提供と犯人探しに明け暮れる。特に、いじめによる自殺が疑われる場合には、その生徒と家族、いじめに関与したと思しき生徒と家族、担任教員、校長、教育委員会などが対象となり、それぞれに落ち度がなかったのか、懸命の「捜査」が行われる。

 週刊誌はほとんど読まず、インターネット掲示板などの匿名のサイトは閲覧しない私にとっては、新聞(購読紙以外のインターネット版を含む)が主な情報源だ。さすがにこれらは生徒や家族に関する個人情報を細かく取り上げることはせず、ほとんどの場合、当初いじめの存在を否定した学校側に対して、いろいろな情報を元にそれを撤回させ、担任や学校の責任を追及する、という流れがお約束となっている。その場合でも、いじめを見過ごした担任あるいは校長を責任者として特定し、最後に識者と呼ばれる人々による「教育者としてあるまじき態度ですね。彼らがもっと早く手を打っていれば、このような悲しい事態は防げたはずです」という類の皮相的な批判で締めくくられる。そして世間の記憶が薄れた頃に、全く同じ事例が別の場所で起こり……といったサイクルが幾度となく繰り返される。

 その度に、学校、教育委員会、文部科学省といった組織のどこかから、いじめを見聞きしたことはないか、といったアンケートをするように教員は求められる。その結果をまとめ、それに対する対策を文書にする必要もある。さらに、どこかで作られたマニュアルに従った指導を徹底せよという指令が来る。かくして、現場の教員はますます忙しくなり疲弊する一方で、組織としては十分な防止対策を講じていたというアリバイが出来上がり、すべての責任はそれを遵守しなかった現場の教員にある、という構図が完成する。

 しかし誰もがわかっているように、いじめや自殺という問題は複合的であり、誰か一人の責任に帰することはできない。確かに、

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