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小保方事件は繰り返される

予言していたような1989年の研究内幕小説、問題点は未だ解決されず

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 小保方晴子氏の早稲田大学の博士号取り消しが宣言された。科学研究者になるパスポートと言われる博士号を失い、研究職に就く道は閉ざされたということだ。同情する人もしない人も、STAP事件を異例づくめと感じている点は共通だろう。確かに、理化学研究所が不正調査に研究費(約5300万円)を上回る約9100万円を費やしたことなど、きわめて異例だった。だが、この事件を予言するような研究内幕小説が1989年に書かれている。そして、そこで指摘された科学界の問題点は、四半世紀たった今も何も解決されていない。つまり、科学の世界では特異な例ではなく、今後も似たような事件は起こりうる。

カール・ジェラッシ氏=Chemical Heritage Foundation提供

 小説とは、『ノーベル賞への後ろめたい道』カール・ジェラッシ著、講談社。著者は今年1月に91歳で亡くなった化学者だ。経口避妊薬ピルの生みの親として知られ、アメリカ国家科学賞やウルフ賞など権威ある賞をいくつも受けた。ノーベル賞の呼び声も高かったが、結局もらえなかった。

 『ノーベル賞・・』の主人公は、がん研究者カンター教授だ。教授は、がん形成の新理論を思いつき、実証する実験方法も考え出した。その実験を、一番かわいがっている大学院生スタフォードに依頼する。彼は連日、深夜まで実験に取り組み、新理論の正しさを示した。第一報がネイチャーに発表されると、大きな反響を呼び、ハーバード大学のクラウス教授から「ノーベル賞に推薦したい。その前に詳細を教えてほしい」という電話をもらう。やがて「再現できなかった」という電話が入る。

 スタフォードは休暇をとって不在。やむなく実験室の実験ノート(日付と時間順に他人が読んでわかるように油性ペンで何もかも書くように、と教授は毎年新入生に教えていた)を見て驚く。具体的なことがほとんど書かれていないのだ。

 教授はスタフォードと一緒に実験を始め、月曜朝に望み通りの結果が出てホッとする。しかし、その後、匿名の手紙を見つける。「日曜の夜、なぜスタフォード博士はあなたの実験室にいたのでしょう」

 不信感を持った教授は、今度は自分が考えついた第2の実験方法を一人でやり遂げ、理論が正しいと確かめた。こうして、2人がノーベル賞を共同受賞することになるのだが、スタフォードは授賞式で思いがけない行動に出る。最後はクラウス教授が実験の危うさを指摘し、それを公表しない代わりに自分をノーベル賞に推薦するようカンター教授を脅して物語は終わる。

 この物語で、スタフォードは不正はしなかった。日曜に実験室にいたのは、試薬の計量ミスに気づいて、不足分を加えるためだった。教授に黙っていたのは悪かったと思っているが、「ぼくはとてもそんな状態じゃなかった。まず、ずさんなノート、それから馬鹿げた計量ミスじゃ、許されるとは思えなかったんだ」と恋人に語っている。

 最終的に理論は複数の実験で確かめられ、易々とノーベル賞を受賞するなど、これはあくまでも物語に過ぎない。しかし、STAP事件が起きてからこの小説を読んだ私は、「まるで予言のよう」と感じてしまった。

 ジェラッシは著者あとがきで、「科学において完全なペテンはめったにない」と指摘し、「本書で描かれるのは、意図的にか不注意によってか、わたしたち科学者が時折迷い込んでしまう、はるかに灰色がかった領域なのだ」と書いている。そして、「現代科学の核心であり、また邪魔物でもある」事柄として以下を挙げる。

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