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人の臓器を持つ「キメラ動物」は人か動物か?

iPS細胞を活用する再生医療の倫理的問題

粥川準二 叡啓大学准教授(社会学)

 人間の心臓を持つブタがいたら、あなたはそのブタを、人間とみなすだろうか? おそらくブタだとみなすだろう。しかしその心臓が人間のものであることが気になり、おおむねブタではあるがわずかに人間である何か、とも考えるかもしれない。

 逆に、つまりブタの心臓を持つ人間はどうか? おそらく人間だとみなすだろう(すでにブタやウシ由来の人工心臓弁は普及している)。では、人間の脳を持つブタがいたら、あなたはそのブタを、ただのブタだとみなすだろうか、それとも人間とみなすだろうか?

 そんなことを真剣に考えなければならない時代になった。異なる2組以上の遺伝情報を持つ胚(はい)や個体を「キメラ」という。「キメラ」とは、ギリシャ神話に登場する、ライオンの頭とヤギの胴体、ヘビの尾を持つ怪物の名前に由来する。

 キメラ動物は生命科学研究において広く使われてきた。たとえば、特定の遺伝子を働かないようにした実験用動物「ノックアウトマウス」をつくるためには、遺伝子操作を行ったES細胞(胚性幹細胞)を、初期胚に注入して、2組の遺伝情報を持つキメラ胚をつくり、それを発生させてキメラマウスを誕生させる、というプロセスが必要になる。キメラマウスを通じてつくられたノックアウトマウスは、世界中の研究機関に数千種類いるといわれている。

 キメラ動物は、異なる動物間でつくることもできる。すでにヤギとヒツジのキメラ、マウスとラットのキメラなどが実験的につくられている。

キメラ動物が再生医療の切り札に?

動物の体内で人間の臓器を作るイメージ
 そしてこのキメラ動物は、将来的には再生医療の切り札となるかもしれない。いまのところES細胞やiPS細胞(人工多能性幹細胞)からは、病気の治療に役立つ「細胞」をつくることはできても、複数種の細胞が立体構造をなす「臓器」をつくるのは難しいとされている。ES細胞やiPS細胞で期待される再生医療が、「細胞治療」とも呼ばれるのはこのためだ。

 現在、心臓移植に必要な心臓は脳死者から摘出するほかはない。脳死を人の死とみなすことには根強い反対があるうえ、数が絶対的に足らない。しかし、たとえば遺伝子操作を行って心臓をつくれないようにしたブタ胚に、ヒトiPS細胞を注入して、ブタ-ヒトのキメラ胚をつくり、それを雌ブタの子宮に移植して出産させれば、人間の心臓を持つブタが生まれるかもしれない。キメラ技術で移植用臓器をつくることについて、しばしばブタが想定されるのは、ブタの妊娠期間や臓器の大きさが人間に近いからである。

 日本では、膵臓(すいぞう)をつくれないようにしたマウス胚にラットのES細胞を注入して、ラットの膵臓を持つマウスを誕生させる実験が2010年に成功している。マウス胚をブタ胚に、ラットのES細胞を人間のES細胞やiPS細胞に置き換えれば、人間のための移植用臓器をつくる道筋ができるかもしれない。2015年には、ヒトのiPS細胞をマウスの胚に注入する実験を行ったが、キメラ胚の形成は確認されなかったという実験結果が報告されている。

「ヒト」と「非ヒト」、そして「第三の範疇(はんちゅう)」

 しかし人間か動物かはっきりしない胚や動物をつくることに拒否感を持つ人はいるだろう。自分の細胞が動物の細胞に混ぜられることを嫌がる人も少なくない(後述)。今年8月4日、アメリカの国立保健研究所(NIH)は、ヒト幹細胞研究のガイドラインの改定と、これまでモラトリアム(一時停止)されてきたキメラ研究への予算支出を提案した。NIHはパブリックコメント(一般市民からの意見募集)を経て、規制体制を再構築したうえで、研究への予算支出を再開するだろう。

 そのことを伝える科学雑誌『ネイチャー』8月5日付の記事が興味深い見解を紹介している。カナダの生命倫理学者フランソワ・ベイリスは、これまで研究対象となるものは、「ヒト」と「非ヒト」という2種類しかなかった、と言う。これらを取り扱う方法については明確な区別が存在するが、今後、キメラ研究を進めるためには、「第三の範疇」をつくらざるを得ない、と彼女は指摘している。

 日本では、2000年に制定された「クローン技術規制法」で人間に応用するクローン技術などが規制されているが、それに基づくかたちで制定された「特定胚指針」で、「動物性集合胚」を人間や動物の子宮へ移植することは「当面」禁止されている。「動物性集合胚」とは、iPS細胞を含むヒト細胞を動物の胚に注入してつくるキメラ胚のことである。動物性集合胚を作成すること自体は認められおり、実際、2010年から前述の研究が始まった。

 動物性集合胚を、動物の子宮に移植することを認めない以上、人間に移植できる臓器を持つ動物をつくることはできない。

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