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ゲノム編集、「国が関与」でよいのか

政権の信条が先走らないよう、まずは社会の合意を絞り込むべきだ

尾関章 科学ジャーナリスト

ゲノム編集のイメージゲノム編集のイメージ
 人のDNAに手を加え、遺伝子をねらい通りに切ったり、置き換えたりしようという「ゲノム編集」。その研究審査をめぐって菅義偉官房長官が4月、「国として責任ある関与をすべきと考えている」と明言した。この問題では、政府(内閣府)と関連学会が主導権を互いに譲りあうような構図があった。そんなときに官房長官が「国の関与」に前向きの姿勢を示したことには歓迎ムードがあるようだ。だが、それを本当に喜んでいてよいのか、という思いが私にはある。

 もちろん、ゲノム編集は生命の根源にある遺伝情報を操作する技術なので好き勝手に用いてよいものでは決してない。それが人間の受精卵を扱うものならば、なおさらだ。だから、法令によって支えられた規制も必要となってくる。その意味では「国の関与」はあって当然ということになろう。ただ「国」という言葉を「政権」と置き換えたとき、その「関与」には心配な面が出てくる。生命倫理は人それぞれの価値観にかかわる問題なので、一つの政治信条に振り回されてはならない、ということだ。

米国ES細胞論議から学ぶもの

 例を挙げれば、米国で共和党のジョージ・W・ブッシュ政権がとったES(胚性幹)細胞研究の抑制策がある。ブッシュ大統領は支持基盤の一つである宗教右派の意向を反映して、ヒトの胚を壊してつくるES細胞研究に対する連邦予算の支出を止めた。これが2004年の大統領選で、難病治療につながる再生医療の促進を訴える民主党候補との間の大きな争点となったのである。政治家が生命倫理について一家言をもつのは悪いことではない。だが、それが突出して政策化されると世の中は混乱する。治療法の選択など生命倫理にかかわる事柄は個人の考え方に委ねられる面があるので、一つの信条に従って選択の幅が狭められると別の信条の人は黙っていない、と予想されるからだ。

宗教ではなく成長戦略という信条

 では、日本の現政権はどうか。右派層に支持されているのは確かなようだが、生命科学に敏感な宗教右派と結びついているとは思えない。ただ、「信条」の突出という点では、気がかりなことがある。信ずる対象は「経済成長」だ。今回の例で言えば、「成長戦略」の名のもとにゲノム編集を経済効果の側面からばかり見る傾向が強まらないか、という危惧を抱く。

 たとえば、安倍晋三首相は政権に返り咲いてまもなくの2013年1月、国会での所信表明演説で「iPS細胞という世紀の大発明は、新しい薬や治療法を開発するための臨床試験の段階が見えています。実用化されれば、健康で長生きできる社会の実現に貢献するのみならず、新たな富と雇用も生み出します」(『平成25年 衆議院の動き』衆議院事務局)と述べている。こうして、前年にノーベル賞を受けた山中伸弥京都大学教授の成果もアベノミクスの一部に組み込まれた。似たことがゲノム編集で再現されないとも限らない。それを一概に悪いとは言わないが、「富と雇用」が強調されるあまり、生命倫理の議論がおろそかになることは避けなくてはならない。

 今回、政府と関連学会の関係がこじれたいきさつを朝日新聞の報道をもとに振り返ってみるとこうなる。去年10月、

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