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政府が労働者の脳から直接データを収集

中国で進められる巨大な社会実験は、何をもたらすか?

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 中国で今、巨大な実験が行われている。「巨大な」というのは、単に研究投資が大規模だということではない。政府主導のトップダウンで、町づくりなど社会インフラまで巻き込んで、という意味だ。

「脳xビッグデータ」in中国

 一度このテーマで書かなければと思っていたが、トリガー(引き金)となった最近のニュースがある。「中国政府が労働者の脳から直接データを」というものだ。杭州のある電気会社では、生産ラインに並ぶ多数の労働者の頭に、脳波の計測装置を被せている。安全ヘルメットや制帽に仕込まれた多数のセンサーから常時、脳波を読み取り送信する。そのデータを基にAIがうつ・不安・怒りといった感情を判定し、休憩の頻度や時間を調節して、労働者のストレスを軽減させるという。

中国・広東省の靴工場で働く労働者=2005年
 この脳監視デバイスを採用した別の電力企業は収益を数百億円も伸ばしたという。また別の物流会社は、VR(仮想現実)技術と繋げて新入社員研修に採用し、成果を上げている。労働者は当初、デバイスに対して恐怖や疑念を抱く。しかしほどなく通常の安全ヘルメットとちがわないことを理解し、1日着用したままでも気にしなくなるという。

 この研究を推進しているのが、寧波大学の「ニューロキャップ(Neuro Cap)」プロジェクトだ。重要なポストに情緒不安定な従業員がいると、自分だけでなく周囲の安全をも脅かす。そこでこの装置からあらかじめ警告を発して対処する。これは中国政府が主導するプロジェクトの一環にすぎない。同様の試みは工場だけでなく、工場、鉄道や航空機、国営企業、軍、病院などでも行われている。

 病院では脳波モニターに加え、特殊なカメラで患者の表情や体温を計測。またベッドに仕込んだ圧力センサーで、体の動きもモニターできる。これらの情報を統合して、患者の精神状態を正確に把握する。一応「患者の同意が必要」だが、同意しなければ有効な治療は受けられない。となれば、半ば同意を強制されているようなものかも知れない。

 鉄道の運転手や航空機パイロットにもデバイスを着用させ、居眠り運転や精神的な錯乱などを検出できる。ちなみに、大型装置のfMRIだと実験室に被験者を連れてきて静止状態で寝かせなければならないが、脳波計(EEG)なら簡単に装着して作業できる。

 将来はこうした脳監視デバイスで意図を読み取り、考えるだけでPCや携帯電話などを操作できるようになるかも知れないという。

自動運転シティー

 脳監視のアイデアはビッグデータともつながっている。その最たるものは、やはり中国で進行中の「自動運転シティー」構想だろう。自動運転の世界標準を握り、大きな枠組みを作ろうともくろんでいる(5月8日、NHK「クローズアップ現代」他)。その最大の特徴は、車の自立型でなく、インフラ協調型であることだ。つまり町を丸ごと最新テクノロジーでデザインする。町中にセンサーを配置し、路面状況を捉えると共に、歩行者のスマホとも交信するなど、車と交通システム(交通インフラ)が一体となって、安全を守る。これで渋滞も解消し、省エネ・環境保護につながる。従来の「車」という概念が(自立型という意味では)消滅してしまうかも知れない。

北京モーターショーでは、自動運転シティー構想の展示もあったという=2018年4月
 中国国内の6つの主要都市で、すでに自動運転地区が実施されている。ねらいはこの仕組みを丸ごと輸出することだ。半導体メーカーにとっても大きな市場となる。もちろん自動運転の未来はまだ不透明だが、中国のリードは明らかだ。今年3月、米国でははじめて自動運転による死傷事故が起き、推進に一定のブレーキがかかった。日本でも2020年の東京五輪までに自動運転の実現を目指しているが、インフラ整備にまでは手が回らない。

 中国の先陣ということで、思い出したことがある。IEEE(国際電気電子学会)の「脳とビッグデータ」セッションは2013年に群馬県前橋で開催され、筆者も参加したが(本欄「続・脳とビッグデータが合わさるとどうなるか」)、オーガナイザーがほとんど中国系だったことに驚いた。その後、上海神経科学研究所を訪れた時、所長は「今は脳科学をAIと繋げて中国政府の巨額資金援助を受けている」と言っていた。日本の企業所属の著名研究者がやはり中国を訪れてショックを受け、同僚の危機意識を高めようと帰国後緊急にセミナーを開いたという話も聞いた。

 中国のトップダウンの研究投資、それを読み解くキーワードは「インセンティヴ(報酬)」だ。NatureやScienceなどトップの科学誌に論文が載ると、高額のボーナスが出るという。大学間の資金獲得競争も激しいが、その評価では学会の主催や専門誌の公刊がモノを言うそうだ。

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