
1978年岐阜県高富町(現山県市)生まれ。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。高校・大学生活の大半を合唱に捧げる。新卒入社した上場企業で、現場叩き上げで5年で取締役に就任。その経験を経て、2014年4月FC岐阜の社長にJリーグ史上最年少の35歳(当時)で就任。現場主義を掲げチーム再建に尽力。1.5億円の赤字を1年で黒字化。就任と同時期にALS発症。2015年末、 病状の進行により職務遂行困難となりやむなく社長を辞任。翌年『ALSでも自分らしく生きる』をモットーに、ブログを開設して、クラウドファンディングで(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆、コンサルティング等を全国で行う。著書に『2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋』。2018年8月に気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなる。日本ALS協会会長、岐阜大学非常勤講師、神経疾患音楽療法研究会世話人、障害者・高齢者福祉イノベーションリビングラボ(横浜市)アドバイザーなどを務める。私生活では同い年の妻と中2の娘と小5の息子の父。24時間完全他人介護体制を家族同居で実施中。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです