【退任】週刊紙「アエラ」前編集長。1956年生まれ。78年朝日新聞社に入り、経済部記者、「アエラ」編集部員などを経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを経て、08年10月から「報道ステーション」コメンテーターを務めた。「アエラ」副編集長時代には、中吊り広告下の一行コピーを担当。2012年1月まで「WEBRONZA」編集長。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
一色清
――本や書籍などの紙メディアの深い思考に果たす役割は大きいものがあると、あらためて実感しましたが、ウェブやネットの世界の速報性はツイッターなどの登場でますます加速しているように感じます。
速報性だったらネットの方が遥かに有利なわけです。刻々と変化に対応していくわけですよ。そうするとブルームバーグのような世界になっていってしまう。いわゆる配信情報だけアクセスしてればいいのかっていう感じになってしまう。
今、若い人と議論して感じるんだけれども、情報は効率よく手に入れてるけれども、さきほど言ったような情報のクロスがないから、問題解決に繋がらない。そういう人の議論は、その視界のブラインドに入っていることに出くわすと、さっと崩れる。ブラインドに入っていることの方が世の中には多い。一見ものすごく強靭な議論を組み立てているように見えるけれども、僕の周辺の若い人たちもつまらんことですぐ挫折する。ささやかなことでもです。思うに任せぬことが起こるから、生身の人間の世界では。
もちろん、ウェブメディアはとても大事です。その役割と機能を粛々と果たしていけばいいのです。ただし、ウェブも進化しないといけません。クオリティーの高い情報をどういう形で発信できるようになるかが僕は鍵だと思っています。
そうじゃないと、おしゃべりのメディアになってしまう。ツイッターの世界などを見ると、私の偏見のようにとられるかもしれないが、つぶやいていてどうするのかという話ですよ。誰も聞きたくもないご本人のつぶやきを、つぶやきたければ自分の部屋で一生つぶやいていればいいとすら思います。
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