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寺島実郎の視座 どうみる世界の中の日本(1) ~特別インタビュー~

一色清

一色清

 ―――このところ、世界の中で日本の存在感が下がっているのが気になります。

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 「中国のGDPが日本を追い抜いていくだとか、産業力や経済力において、日本が何か押し負けているのではないかというようなことが最近よく話題になります。事実、私が世界を動いていて、各国の知的指導層や、世界のまさにトップリーダーたち、例えばドイツのシュミットら、そういうレベルの人たちの会などに参加し、話をしていて感じる空気、そこにやって来ている各国の代表だとか中国の代表だとかと話していて感ずるのは、中国と対比されて日本の存在感が語られることが多いということです」

 「多くの場合、中国の台頭という話の中で、存在感が薄いね』という文脈で語られます。私は変なナショナリストではないですが、なぜそう思われるのかを根元的に自問する意識をもって自らに問い詰めると、1840年のアヘン戦争以降の中国の歴史に行きつくわけです。中国は欧米列強にボロボロにされながら、いろいろな意味でストラグルしてきました。それこそ辛亥革命から49年の共産革命まで経て、紆余曲折ありながら、その中でのた打ち回り、他の国の侮りを受けながら、はうように進んできた」

 「そういう中で、1997年の香港の返還を含めた現代史がある。要するに段階的とはいえ、やはり自立自尊の外交というのがある。換言すれば、中国の目指そうとするところや、主張するところの強さですね。やはり、ほふく前進かもしれないけれど、目指すものを実現してきている国の凄みというのが存在感につながっているのではないでしょうか」

 「日本は、1951年サンフランシスコ条約、1960年日米安保改定という時、どういうストラグルをしていたのか。例えば、自分が吉田茂の立場だったら、どういう判断をしたか。吉田茂は悩みながらも国家の安全と独立ということを考え、一刻も早い経済復興・成長という事を考えたとき、やはり、西側陣営の一翼を担う形で戦後復興を急ごうと判断した。それから冷戦の時代に、やはり東側と向き合っている状況で、アメリカの核の傘の中で、この国の安全というのを確保していかざるをえないということを、悩みながらも選択したということは、一定の妥当性があったと思うのです」

 「ところが、いま冷戦が終わって20年も経ち、東アジアの状況は大きく変わった。1960年に、調べたら本当に考えさせられますけど、今からちょうど50年前、安保改定の年に日本の貿易の36%が対米貿易だった。貿易の四割近くを占めるアメリカとの貿易が日本を支えたわけです」

 「しかしながら、貿易に占めるアメリカの割合は徐々に減り、去年はこの数字が13.5%まで落ちてきました」

 「日本の滑稽さというのは何だというと、日本という国が例えば株式会社ならば、自分にとって一番ビッグカスタマーであり取り引き先であるのが、アジアであり、取引の約五割を占めています。私が大中華圏と言っている中国、香港、シンガポール、台湾との貿易の割合は3割ですよ。中国との貿易は去年2割を越して、20.5%なんですよ」

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筆者

一色清

一色清(いっしき・きよし) 

【退任】週刊紙「アエラ」前編集長。1956年生まれ。78年朝日新聞社に入り、経済部記者、「アエラ」編集部員などを経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを経て、08年10月から「報道ステーション」コメンテーターを務めた。「アエラ」副編集長時代には、中吊り広告下の一行コピーを担当。2012年1月まで「WEBRONZA」編集長。

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