【退任】週刊紙「アエラ」前編集長。1956年生まれ。78年朝日新聞社に入り、経済部記者、「アエラ」編集部員などを経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを経て、08年10月から「報道ステーション」コメンテーターを務めた。「アエラ」副編集長時代には、中吊り広告下の一行コピーを担当。2012年1月まで「WEBRONZA」編集長。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
一色清
私は、今のパナソニックの創業者の松下幸之助さんのことを一生懸命調べたことがあります。1987年4月からの1年間、朝日新聞経済部の記者として、大阪で松下電器産業(現パナソニック)を担当した時のことです。
この時期の私の最大の使命は、幸之助さんの健康状態を見守り、「Xデー」には立派な紙面を作ることでした。人の不幸を待つようないやな仕事ですが、当時の幸之助さんは、すでに齢92歳をすぎ、病院の特別室で過ごす日々でした。年齢からいっても、漏れ伝わる様子からも、いつXデーがあってもおかしくないという感じで、会社や病院の関係者の動きを見ながら、幸之助さんという人物について調べて考える日々でした。幸い、私の在任期間中にはXデーは来ず、私の後任の担当記者がその日を迎えることになりました。
でも、幸之助さんのことは、今も頭にしみこんでいます。私が感銘を受けた幸之助さんの言葉やエピソードで、最近頭に浮かぶのが、「無税国家構想」です。
今の日本は、歳出に占める税収の割合がどんどん低くなり、やや極端な表現ですが、「無税国家」に近づいていると言ってもいいと思います。でも、幸之助さんが理想の国家像としてよく口にした「無税国家」が今の借金に頼る国家と同じとは思えません。幸之助さんが言った「無税国家」とは、どんな仕組みの国だったのか、古い記事を読み直してみました。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?