多賀谷克彦
2010年09月13日
9月11日、東京の銀座三越が売り場面積を1.5倍に広げて、商いを再開する。三越伊勢丹ホールディングス発足後、統合成果が問われる初の大型プロジェクト。この店の成否は、他社他店の改装とは異なり、百貨店という業態の将来を占う意味合いをもつ。
「百貨店衰退論」が言われて久しい。百貨店の売上高は、1991年のピーク時には9兆7千億円強あったが、今では当時の三分の二に落ち込んでいる。バブル崩壊に伴うそごうの経営破綻、リストラに伴う相次ぐ店舗閉鎖のほか、経済のグローバル化が生んだユニクロなどの低価格ファッションの台頭という外部要因もある。
だが、百貨店側が時代、消費者の志向に合わせて、自らの商いの手法を変えられなかった面も大きい。取引先任せの品揃え、売上高が低迷すると、アパレルなど取引先に納品価格を下げさせて目先の利益を追った。結果、人員削減ともあいまって、仕入れ担当者の商品に対する目利きは衰え、売り場の販売力は低下した。
逆風下でも、伊勢丹は金融危機まで、「唯一の勝ち組」といわれた。仕入れ担当者の商品開発力、調達力が他の百貨店にはない商品、売り場を作り上げた。華やかなファッションだけでなく、取引先と組んで伊勢丹にしかない飴玉さえも独自開発したほどだ。
開店に先立って、銀座三越を見せてもらった。かつての銀座三越の売り場の印象はかけらもなく、
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