浜矩子
2010年09月17日
日本がついに為替市場への介入に踏み切った。単独介入である。6年ぶりのことだ。さしあたりは、急激な円高の進行に歯止めをかけた格好になっている。
為替戦争。ここでどうしても頭に浮かぶのがこの言葉だ。日本が世界に向かって為替戦争を仕掛けたといえば言い過ぎではある。今回の介入は、すさまじい円高圧力にさらされての正当防衛だ。そういえば、確かにその通りだ。だが、為替戦争というものは、必ず誰かの正当防衛から始まる。通貨的無風状態の中で、いきなり過激な低為替政策を仕掛けていく国というのは滅多にない。
やむを得ないから誰かがやる。誰かがやったから自分もやる。そうした対抗的自己防衛の連鎖の中で、為替戦争は歯止め無き消耗戦と化していく。
誰かが仕掛けるのを待っているという側面もある。誰が先に音を上げるか。その神経戦に敗北したものが、為替戦争への火ぶたを切る。好戦家だから為替戦争に打って出るのではない。気が弱いからフライングしてしまうという面がある。すると、待ってましたとばかりに、他の連中が追随する。そしてカオスに突入していく。これが、為替戦争が始まる時の怖い図式だ。
その怖さを我々に示してくれる歴史的典型事例が、1930年代における英米仏三国間の為替戦争の顛末だ。だが、そこまで遡らなくても、1990年代にもう一つの事例がある。今のEUの中における通貨混迷のケースだ。読者の中には、1992年9月16日の「ブラック・ウェンズデー」というのをご記憶の向きがあるだろう。
1929年の「ブラック・サースデ―」や1987年の「ブラック・マンデー」(いずれもニューヨーク株の大暴落日)に比べれば、「ブラック・ウェンズデー」は知名度がかなり低い。だが、そこには、為替戦争というものがいったん始まった時の猛威のすさまじさが良く表われている。
「ブラック・ウェンズデー」は、イギリス・ポンドが欧州通貨制度(EMS)の為替レート・メカニズム(ERM)からの離脱を余議なくされた日である。EMSは今のユーロ圏のいわば前身だ。ERMはEMS所属通貨間の為替レートを決める仕組みで、端的にいえば所属通貨間における固定為替相場制度だった。この固定相場をイギリスは維持出来なくなるに違いない。そう踏んだ投機筋のすさまじいポンド売りがイギリスを襲った。ちなみにいえば、ポンド売りの急先鋒に立ったのが、かのジョージ・ソロスだった。
その勢いに敗北して、イギリスは結局のところポンドの切り下げに追い込まれた。まさしく、不本意ながらのやむなき自己防衛だった。だが、
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