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異能を生かせない内向きな社会が問題だ

根本直子

根本直子 早稲田大学 大学院経営管理研究科 教授/アジア開発銀行研究所、 エコノミスト

 最近の若い人は海外留学や海外赴任にあまり興味がないらしい。

 若い世代の海外離れの要因として、日本の生活水準が上がったこと、少子化で過保護に育てられていること、インターネットなどで世界の情報も簡単に入手できること、などがあげられる。

 だが、若い世代の変化もあるが、根本的には、日本の社会全体の閉鎖性が進み、異色の才能を生かせなくなっているから、とみることはできないか。若い人は、会社における先輩の処遇をみて、あるいは社内の雰囲気を敏感に感じとって、冷静な判断を下しているのかもしれない。

 海外経験者が生かされていないと考えるいくつかの例を挙げてみたい。

 筆者は19年前に米国のビジネススクールに自費で留学したが、当時はそのビジネススクールだけで年間30名近い日本人が大手企業から派遣されていた。その後の経歴をみると、金融関係では多くの人が外資系などに転職しており、もとの会社に残る人は少ない。

 外資系のほうが、給与その他で魅力的だったのかもしれないが、日本の組織に限界を感じた面もあるのだろう。ある銀行では、留学経験者は、国内支店の営業といったポストにつかせて、”外国かぶれを落とす“と聞いたことがあるが、異物を認めない雰囲気はいまだにあると思う。例えばビジネススクールで生き残るためには、自分の意見を積極的に発言することが必須となる。筆者も、よくしゃべるインド人やアメリカ人の中でどうやって存在感を出すかに苦労した。だが、そこで得たスキルを日本の会社で使うと、自己顕示欲が強い人とみなされ、浮いた存在になってしまうおそれがある。

 留学生の中でもユニークな発想と卓越した語学力をもち、学校では最優秀者として表彰され、大学院に残るように勧められた人がいた。結局日本の企業に戻ったが、ずっと国内勤務で、普通のコースを歩み、特別の才能が生かされているようにはみえなかった。

 海外経験者が生かされていないのは、欧米に限らない。途上国に数年間赴任して、言葉も熟練し、現地に溶け込んで成果を上げた人がいる。だが、本社にもどると、本人いわく「浦島太郎」の状況となっていた。意思決定のラインからは外れて、時間をもてあまし、海外での生き生きした表情は見られない。

 新興国の台頭、グローバル化の進展の中で、海外経験のある人材が重要となっていることは、多くの経営者も認識している。ただ、そうした人材に求められるものは、特殊なスキルや知識である。本来は、その人が獲得した、多面的なものの見方や、外国人との交流で得た経験がより重要だろう。そのような多面性を経営に積極的に取り入れている企業はまだ少ない。

 内外の金融機関を分析していて感じることは、日本では内輪の論理が先行し、皆がおかしいと思うことが是正されずに、じりじりと悪くなっていくことが経営上の最大のリスクだということだ。

 外国での経験も含めて、多様なバックグランドがあり、第三者的な発想を持つ人の意見をもっと取り入れることはできないか。

 そうした人材を飼い殺しせず、スキルをさらに発展できるような新たな仕事を与えれば、会社としても成長ができるのではないか。前例踏襲の、硬直的な人事制度も変える必要がある。

 日本社会の閉鎖性、同質性は、今に始まったことではないが、戦後の混乱期や高度成長期には、多少変わっていても能力がある人を活用する余地があった。2000年以降、デフレと低成長が長期化する中、日本社会が、益々内向きになっている気がする。

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、日本の陸軍、海軍を発展させた秋山好古、真之兄弟の生涯を描き、昨年テレビドラマでも話題を呼んだ。秋山真之は、米国、英国に3年間赴任して、知識を得たのち、連合艦隊の作戦参謀という要職に、わずか35歳で抜擢されている。そして、不可能ともいわれた日本海海戦での勝利をもたらした。

 日本政策金融公庫の安居祥策総裁は、

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