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 先日、中国の反体制作家である劉暁波氏がノーベル賞平和受賞したことを巡って、中国と欧米の応酬が激化している。歴史的にその時々の政治情勢と切り離せないこの賞だけに、今までにも受賞人物について国際問題に発展してきたケースは枚挙にいとまない。今回も例外ではない。欧米先進国は「人権」の勝利と賛辞を送ると同時に、中国政府に劉氏の釈放にプレッシャーをかけている。

 しかしながら、この賞の表彰内容に深く関わるはずの中国にいる中国人がこの受賞をどうみるのか、という視点での検証が欠けていると言わざるを得ない。そして、「冷戦時代」の名残が強く残っている平和賞の存在意義を問い直す時が来た、と強く感じているのが今の私の心境だ。

 受賞のニュースがリリースされてから、中国側は政府やメディアの公式見解を除いて、この件についての情報発信を制限している。筆者は中国滞在時に、周りの友達や知人とこの件について意見交換したが、現地の人々は至って冷静だ。

 意見としてはまず、平和賞は明らかに政治化されており、タイミング的には中国政府に対する狙い撃ちだという見方があった。そして劉氏の活動はあくまでも個人的な主張を訴えていたに過ぎず、中国の大衆になんらかの影響を与えたわけでもなく、それによって中国に何か変化が現れたこともないので、何の功績に基づいた受賞か、だれのための平和賞なのか、いまひとつぴんとこないとの見方が圧倒的に多い。

 確かに同じ天安門事件世代の筆者も同感だ。劉氏が個人的な思想として言論を発表したりすることはよいだが、それ以上でもそれ以下でもないというのが中国人の本音だ。批判はだれでもできるが、より重要なのは建設的、現実的な提案だ。その点が劉氏の言動には明らかに欠落している。普段の活動なども不明確のまま、ことあるたびに反政府の言論や主張を持ち出しても共感を呼べるはずもない。大多数の中国人が政府や国の現状についてたくさんの不満を持っているのが実情だが、かといって急変することも得策ではなく、今の政治構造の中で徐々に改善していくのが彼らにとってもベストの選択に映っているのだ。

 従って劉氏の言動はあくまでも一個人のことであり、しかも斬新さもそんなに感じられない、中国の主流からかけ離れている「過去のひと」であり、強いて言えば中国政府が劉氏に対してそこまで神経を尖らせる必要もなく、自由にやらせれば、というのが、おそらく劉氏を知っている大多数の中国人の本音ではないだろうか。20代~30代前半の若者に至っては、まったく無関心だ。そうであれば、劉氏の受賞理由である中国の人権向上に寄与した功績がどこにあったのか、そしてその活動の受益者がどこにいるのか、という点について、大多数の中国人が首を傾げるのも当然の反応といっていいだろう。

 近年の平和賞を受賞した人物を見ても、果たしてすべての受賞者が平和賞の主旨に相応しい活動をしていたかというと、かなり疑問だ。むしろ、 ・・・ログインして読む
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筆者

肖宇生

肖宇生(しょう・うせい) フロンティア・マネジメント株式会社事業開発部マネージング・ディレクター

【退任】フロンティア・マネジメント株式会社事業開発部マネージング・ディレクター。1996年大阪大学経済学部、2001年一橋大学大学院経済学研究科卒業(経済学修士)。精密機器メーカーで中国携帯市場向けマーケティングを担当後、国内シンクタンクで中国市場のコンサルティング、ファンド会社で中国市場のプライベート・エクイティ投資に従事。日本総合研究所創発戦略センター主任研究員を経て、2011年4月より現職。

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