浜矩子
2010年10月18日
「先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議は、中国などの新興国に対して、より柔軟な為替変動を求めていくことを確認。」10月8日に閉幕したG7の会合を受けて、新聞各紙が上記のように報道した。
正直なところ、これには唖然とした。こんなことで認識を共有するために、彼らはわざわざ集まったのか。これで、すっかり「我らとあいつら」という形でG7と新興諸国の間に仕切り線が出来てしまった。ただでさえ、なにかにつけて存在意義が疑問視されるようになったG7である。そこにいない人々の悪く口を言うことしか出来ないとなれば、存在意義の希薄化を通り越して、実害が出て来る。もう少し見識をみせて欲しいところであった。
どのような見識を望みたかったか。それは、人の振りにケチをつける前に、まずは我が振りを正すということだ。緊迫の度を高める通貨情勢の中で、G7の面々は事態の悪化防止に向けて最善を尽くす。その場に会した仲間は、これから先、為替戦争の泥沼化につながるようないかなる行動も決して取らない。これくらいのことを共同声明として打ち出して欲しかったところだ。
G7の内輪だけで、そんなことを誓っても仕方がない。今時、新興国を巻き込んだ形での合意がなければ、何の意味も効果もない。そう指摘されそうである。ごもっともだ。だが、そうであればこそ、「あんたらがもっと柔軟に対応しろ」というところから話が始まるのはまずい。不戦を誓わないものが、相手に不戦を誓えといっても、誰も耳を貸してはくれない。苛立ちを共有することしか出来ないG7こそ、存在意義無しである。
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