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公務員バッシングのつけは誰が払うのか

山下一仁

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 イザヤ・ベンダサンが1970年のベストセラー「日本人とユダヤ人」に続いて出版した著書に「日本教について」がある。この中で、彼は日本人の中に存在する「空気の支配」について述べている。社会や組織のなかで誰もが否定・反対できない「空気」が蔓延してしまうと、理性的な反論は封じられてしまう。戦前にはアメリカと一戦交えるべきだという空気が日本社会を支配してしまったために、冷静で合理的な戦力分析が不可能になってしまった。

 私もガット・ウルグァイ・ラウンド交渉で同じ経験をした。コメの輸入数量制限を関税に置き換えるという関税化を行っても、交渉文書に従えば高い関税水準が認められるために実際には輸入を禁止できた。しかし、関税化反対という空気が農業界を支配してしまった。ガット事務局長が1000%を超える関税も認められるのだと日本に来て発言しても、だれも耳を貸そうとはしなかった。このため、低い関税率で輸入しなければならないミニマムアクセスと呼ばれる関税割当枠を関税化の例外を認めてもらう代償として大きく設定せざるを得なくなったのである。交渉文書に基づく冷静な議論はタブーだった。このミニマムアクセスによって輸入された米を処理すると減反を強化しなければならなくなるので、これまで1400億円の財政負担によってコメを家畜のえさなどに処理したばかりか、このミニマムアクセス米から2年前汚染米が発生した。

 世間では、公務員バッシングが激しい。確かに、大蔵省(現財務省)のノーパンしゃぶしゃぶ接待、社会保険庁の年金処理の杜撰さ、農林水産省のBSEや汚染米についての対応のまずさ、ヤミ専従問題、天下り先の企業に落札させるための公共事業をめぐる官製談合など数々の不祥事で、公務員の評価は地に落ちてしまった感がある。公務員の給与を引き下げるべきであるというのが、世間の「空気」なのだろう。このような空気の中で異なる意見を言うと「空気の読めない」やつだとバッシングを受けそうだが、あえて冷静な議論を求めたいと思う。お断りしておくが、私は役所を辞めさせられた人間なので、今では公務員の給与水準とは何の利害関係もない。

 私が1977年東京大学法学部を卒業して農林省(当時)に入省したころ、東大生には公務員志望が強かった。現在と異なり、国民全般に民間よりも官の方を高く評価する考えが強かった。明治以来、官僚が日本の政治経済社会をリードしてきたという、ある意味思いあがった考え方だったかもしれない。

 私が学生当時、城山三郎氏の通産省(現経済産業省)を舞台にした「官僚たちの夏」はベストセラーになった。主人公風越信吾のモデルとなった佐橋滋元通産次官については、通産省退官後うまみのありそうな天下り先を断って、余暇開発センターという公益法人の理事長に就任したこともあって無私の人として評判だった。学生たちも就職も民間企業に入って利潤を追求するのではなく、国のために尽くすのだという気概があった。民間企業に就職したほうがはるかに高い給料を得られることは先輩たちからは聞いてはいても、給料は安くても国家のために貢献できる人物こそエリートだというプライドがあった。そうでなければ、民間よりも給料が安いのにわざわざ50倍もの倍率となった公務員試験を受けようとするはずがない。大げさに言うと、「人生意気に感ず。功名また誰か論ぜん。」といった心境だったのだろう。

 もちろん、

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