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日産と三菱自の提携 カギは軽とEV

永井隆

永井隆 ジャーナリスト

拡大提携をめぐり会見する日産自動車のカルロス・ゴーン社長(左)と三菱自動車の益子修社長=14日午後、東京都港区、福岡亜純撮影
 日産自動車と三菱自動車工業が包括提携で合意した。狙いは大きく2つある。

 一つは低迷する国内市場のテコ入れ。もうひとつはアジア戦略。成長性が著しいアジア市場でのシェアップだ。いずれも、軽自動車がキーとなる。

 まずは国内販売。九州をはじめ軽の需要が高い地域の、ディラー店舗への集客率アップを両社とも目指す。エコカー補助金が終わり、国内の新車販売は落ち込んでいる。来年にも、折半出資で設計開発の合弁会社を立ち上げるが、需要が底堅い軽自動車を活路にして国内販売を強化させる考えだ。

拡大日産自動車のEV「リーフ」

 特に、トヨタ自動車が来秋から子会社のダイハツ工業からOEM(相手先ブランドによる生産)供給を受け、軽自動車の販売を開始するのは実は、日産・三菱自工にとっては追い風だ。軽自動車の人気を支えている軽の優遇税制が廃止される心配が消えたためである。

 「同じ自動車なのに、軽自動車の税金が安いのはおかしい」。奥田碩トヨタ元会長をはじめ、軽を持たないトヨタの優遇税制への反発はこれまで強かった。

 10年ほど前には、奥田氏と優遇税制を守ろうとするスズキの鈴木修会長との間で、水面下の攻防もあった。奥田氏の背後には小泉純一郎首相(当時)が、鈴木氏には山中貞則・自民党税制調査会最高顧問(同・故人)がいた。官邸VSインナー(自民党税調顧問会議)の構図で市町村税である軽自動車税は揺らいでいたのだった。このため、軽メーカーのなかには、敢えて販売量を抑えようとする動きさえあった。「軽が売れすぎると、優遇税制がなくなってしまう」(当時の軽メーカー首脳)と心配していたからだ。

 今回、トヨタが軽に参入を決めたのは、ディーラーからの要請があったためと見られている。内部の力により動いたようだが、トヨタ参入でトラック3社を除く全社が軽を扱う。

 昨年の軽の販売台数は169万台と、自動車販売全体の約3分の1を占めた。「いずれ国内の半分は軽になる」(自動車メーカー幹部)とも見られるが、軽とは日本の自動車市場のなかで唯一伸びていくジャンルでもある。

 なお、日産は2002年にスズキから軽のOEM供給を受け、軽に参入。翌2003年に三菱自工から供給を受ける。今回の包括提携の後も、「スズキからのOEMは受け続ける」(カルロス・ゴーン日産自動車社長)方針だ。

拡大三菱自動車工業のEV「アイミーブ」

 現在、軽を生産しているのはダイハツ工業、スズキ、三菱自工、ホンダの4社。ダイハツは富士重工業と2011年からトヨタに、スズキは日産とマツダに、三菱自工は日産にそれぞれOEM供給している。販売シェアでみると、ダイハツとスズキが3割を超え、3位はホンダで9%台。生産でも販売でも、ダイハツとスズキがずば抜けている。

 日産・三菱自工は、販売シェアを合算すると14%台となり、ホンダを抜いて3位に浮上する。一歩、抜け出せる形だが、さらに2012年に発売予定の共同開発車がヒットすれば、市場が大きくなっていく軽の“ビッグスリー”体制となるのも夢ではない。

 次にアジア戦略。インドの国民車でもある「マルチ800」は、スズキの軽「アルト」がベース車だ。しかし、エンジンは軽の660ccではなく800ccである。

 軽自動車とは日本独自の規格であり、他国にはない。発泡酒とならぶ税制が生んだ“ガラパゴス”とも言えよう。多くの軽自動車は、

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筆者

永井隆

永井隆(ながい・たかし) ジャーナリスト

ジャーナリスト。1958年生まれ、群馬県桐生市出身。明治大学卒。1992年、勤務先の新聞社が実質的に経営破たんし、新聞を休刊。これに伴い失業を経験。93年にフリーで独立。新著に「サントリー対キリン」(日本経済新聞出版社)。著書に「人事と出世の方程式」、「国産エコ技術の突破力!」、「ビール最終戦争」、「敗れざるサラリーマンたち」など。

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