竹信三恵子
2011年01月17日
自民党の野田聖子衆議院議員が、米国で第3者の卵子提供を受けて出産した。その当否には賛否はあろうが、野田議員が、夫婦別姓の実践など女性の新しい選択を実践する開拓者としての女性議員像を確立してきたことは確かだ。だが、こうした試みが、一般の女性たちのための立法にまでつながっているかというと、現時点では残念ながら疑問だ。
同じ自民党では、山谷えり子議員や、高市早苗議員、稲田朋美議員らが、選択的夫婦別姓制や性教育などの性役割にとらわれない生き方を促す制度に対する反対の旗印となっており、高市氏の場合は、自身は結婚前の姓を名乗って議員活動を続けたにもかかわらず、夫婦別姓制には反対の立場だ。こうした動きが、同党では主流となっているからだ。
少子高齢化もあって、女性が結婚しても働き続けることが社会政策的にも必要とされる時代だ。結婚によって、職業生活の途中から呼び名が変わる不便さを訴える人は、いまも少なくない。専業主婦の間でも、結婚改姓でアイデンティティを失う不安感を訴える人がいる。一人っ子が増え、夫婦の姓の統一でどちらかの家族の姓が失われるとして、親に結婚を反対される例も指摘されている。
こうした女性の変化に合わせた法制度改革に対し、女性議員が反対の陣頭に立つという現実に、「女性議員が増えても何も変わらない」とのシニシズムも広がっている。
民主党も、「小沢ガールズ」の呼び名で女性議員の進出が騒がれたものの、夫婦別姓制への取り組みの鈍さや、今回の内閣改造で女性閣僚が1人に落ち込んだことなど、女性議員の存在感の薄さがしばしば指摘される。
背景にあるのは、議員以外の世界も含めた日本社会の意志決定への女性の進出比率の中途半端さと、その結果、女性と社会をめぐる激変が、一般の人々に十分に発信されず、的確に伝えられていない現状だ。
70年代、議会や企業、労組、マスメディアなどの意志決定部門での女性比率は、1%にも満たなかった。そうした場に紛れ込んだ女性はある意味で例外扱いとなり、その意味での自由はあった。その比率が5%を超え始めると始まるのが、女性同士の競争だ。
少数派が、その所属組織に影響を与えることができるのは、構成比が3割を超えたあたりからという研究結果がある。つまり、20%台までは、組織の目標や構造には影響を与えることができないまま、自身にとって生きにくい仕組みを支えるために必死の競争させられることになる。女性議員もいま、そうした状況に置かれているといっていい。
昨年出版した「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)で、こうした状況について「5~20%は地獄の数字」と書いた。日本の女性議員比率も、昨年5月現在で、
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