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米国を奥座敷に迎え入れる日本、その意味を考える

木代泰之

木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

佐世保港に入港する米海軍の原子力空母ロナルド・レーガン=4月19日午前9時2分、長崎県佐世保市、本社ヘリから
◇米軍の手厚い支援◇

 大震災発生以来、米国が手厚い支援を展開している。三陸沖には空母が停泊して「トモダチ作戦」を展開し、東京では米軍やエネルギー省、原子力規制委員会(NRC)の専門家が、日本政府や東京電力に原発処理を「指南」している。首相官邸という政権中枢に3月下旬の一時期、米国の核専門家が常駐していたという驚きの事実も明らかになった。米国という存在を信頼し受け入れる日本。トモダチというより、久しぶりにきずなを確かめ合う父親と子供のようだ。

 献身的な支援への感謝の思いとは別に、日本人はなぜそうなるのか、日本人にとって米国とはどんな存在なのか、また米国にとって日本とは何かを考えてみたい。

 筆者が思い浮かべるのは60数年前、第二次大戦後の占領下の日本との類似性である。マッカーサー元帥率いる連合国軍総司令部(GHQ)の指揮のもとで、日本は民主主義を学び、財閥解体や農地改革を行い、経済分野では大量生産や統計的な品質管理の手法、財政面ではドッジ・ラインやシャウプ税制、社会的には豊かな消費文化などを吸収した。

 ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」は、このころの日本を活写している。勝者による上からの革命ではあったが、

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