原田泰
2011年05月19日
「菅総理はなぜ辞めないのか」とは私の考えではなく、マスコミの考えである。辞めないのが不思議だというぐらいの書かれ方をされていたが、政治を合理的な人々のゲームだと考えれば、なぜ辞めると考えるのかが不思議である。
これから書くことは、政治分析は、様々な思惑を持った人々の片言隻句を捉えることではなく、合理的な人間のすることと考えるべきだという2011年01月25日の本欄(「合理的思考による考察の有益性を忘れていないか」)の論考の続きである。
◇政治のしていることと結果との関係はあまりにも曖昧◇
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