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日本の総合雑誌に欠けている洗練されたセンス

茂木崇 ニューヨーク・メディア文化研究者

 週刊誌「ニューヨーカー」と月刊誌「ヴァニティフェア」はアメリカ雑誌界に高くそびえる二大巨頭である。

 筆者は先ごろ、長年の念願だった「ニューヨーカー」のデイヴィッド・レムニック編集長へのインタビューを実現し、記事を公開した(「総合誌が軒並み不振の時代に高級誌「ニューヨーカー」はなぜ100万部の部数を誇れるのか(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31369)「現代ビジネス」(2012年1月8日))。

 また、「ヴァニティフェア」のグレイドン・カーター編集長へのインタビュー記事も公開している(「華麗なる雑誌『ヴァニティフェア』」」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100622/215091)「日経ビジネス」オンライン(2010年6月25日))。

 両誌は誌面のクオリティが高く、部数も共に100万部を誇り(「ニューヨーカー」は103万5千部、「ヴァニティフェア」は122万7千部)、絶好調である。いずれも日本に類例のない総合雑誌である。

 そこで本稿は、両誌と比べて日本の総合雑誌が忘れがちな3つのポイントを述べてみたい。

(1)文化をリードしようという編集方針

 政治経済と芸術文化を同じ比重で扱い、政治経済の記事も文化的・思想的視点をふまえて分析しようとする姿勢は両誌に共通している。

 日本では政治経済は硬派、芸術文化は軟派という偏見がまだあるかもしれない。だが、芸術文化は人間性を根源まで掘り下げていく営みであり、時代の風をいち早くとらえもする。芸術文化に深く接することのない人が、深みのある政治経済の議論をするのは難しいのではないか。

 ニューヨークという都市はウォールストリートを抱え、その富ゆえに移民や堅気の価値観からはずれるアーティストを受け入れる懐の深さがある。さらには芸術作品をビジネスとして成立させるしたたかさもある。

 「ニューヨーカー」と「ヴァニティフェア」はこうしたニューヨークならではの産物である。最新のニュースの事実関係を解説するだけではなく、文化という視点を持ち、多様な価値観を取り込み、文化をリードしていこうという姿勢がある。

 政治経済の記事と芸術文化の記事を巧みに取り合わせて編集していくのが、レムニックとカーターの腕の見せ所である。両者ともリサーチ結果に頼って編集するのには否定的で、自らの直感をとぎすませて編集にあたっている。

(2)巧みなストーリーテリングによる長文記事

 両誌の骨格をなすのは、優れたジャーナリストが時間をかけて綿密に取材したノンフィクションである。

 デジタルの時代になり、

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