浜矩子
2012年04月07日
「かくも多くの人々が、かくも一握りの人々のおかげで、かくも多くの恩恵を得たことは、いまだかつて無い」
ウィンストン・チャーチルの言葉だ。1940年8月、ドイツの英国本土侵略を阻止した空軍の勇士たちを称えての言い方だった。膨大なチャーチル語録の中でも、引用されたり、もじられたりすることのとても多い一節だ。
消費税増税関連法案の閣議決定から国会提出に至るすったもんだをみていて、このチャーチル発言の新たなもじりバージョンが、頭に浮かんでしまった。
「かくも多くの人々が、かくも一握りの成果のために、かくも多くの時間を費やしたことは、いまだかつて無い」。必死の思いで法案提出までこぎ着けた政府には、この言い方は少々酷ではある。だが、どうしてもこの感じを否めない。大山鳴動して、こういうことなの?
日本の政治や政策が大きな変革に挑む時、どうも、何かにつけてこうなりがちだ。控除や免除や特別措置や。様々な抜け道が用意されて、結局のところ、あまり何も変わらない。こういうことを、幾度となく繰り返して来た気がする。
日本の租税体系の抜本改変は、あまりにも以前から大きな政策課題であった。戦後間もない時期に、個人所得税を主軸に構築された税体系は、今の日本にはあまりにも不釣り合いだ。租税体系もまた、「世につれ」でなければならない。ある国の経済的発展度は、その国の租税体系をみれば解る。本来なら、そうでなくてはいけない。
だが、今の日本の租税体系をみただけでは、どう逆立ちして知恵を絞っても、成熟債権大国のイメージは出て来ない。いかなる経済名探偵をもってしても、この証拠から、今の日本の姿を正確に言い当てることは不可能だ。
時代適合性を失った租税体系を、今日的な姿にバージョン・アップしよう。それが、本来の目的意識であるべきだった。それをしなければ、到底、死に至る病と化している日本の財政赤字を解消することは出来ない。それをしなければ、負担の公平化を含めた財政の所得再分配機能をまともに働かせることは出来ない。その根本認識の下に、この消費税増税というテーマへの取り組みは進められるべきだった。
ところがどうか。法案の附則部分をみれば、
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