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復興アリーナが復興しようしているものは「何」か? 飯田泰之

 「復興アリーナ」が6月29日、ローンチされました。WEBRONZAとシノドスが連携して震災からの復興や日本の今後を構想するためのウェブメディアです。WEBRONZA内で展開していた同名のコーナーがよりパワフルに発展。今後、多様なコンテンツが盛り込まれていきます。ご期待ください。詳細は「復興アリーナ」(http://fukkou-areana.jp/)をご覧下さい。

 まずは、プロジェクトリーダーである飯田泰之・駒澤大学経済学部准教授のインタビューをお届けします。

――被災地に関心を持った理由をお聞かせください。

飯田 きっかけは偶然です。この歴史的な事件の現場を一度見ないといけない。その思いで、まず、単純に見てみようと、釜石に行きました。キャッシュ・フォー・ワークが、永松伸吾さんの主導で立ち上がり、その顔合わせでたまたま名刺交換した人が釜石の方だったからです。

まず、その人に会ってみよう。会って何をするかとか、何も考えずに、ただ行ってみたわけです。行ってみたら、やはり、背筋がぞっとするというか、体とか脳の芯が冷たくなるような感じがしました。

岩手県に関しては、初訪問の三日で、あとから関るようになる中心の人たちに、ほとんど会っているんです。これはもう縁があったとしか言いようがない。そこから岩手のイベントを東京に持ってくるとか、あるいは、東京の支援者と岩手の求めている支援を紹介する活動を少し手伝っていたわけです。

ぼくはマクロ経済学者ですから、経済学者としての発言、経済者として復興をどう考えるかという発言を求められることが多い。そのため、復興支援の活動をしていることと経済学を、結びつけて語られることが多いのですが、両者は連続したものではありません。ぼくは、復興支援の問題に関っている時は、経済学者とかエコノミストというより、「単に、ぼくが個人的にやりたいと思うからやっている」んです。

完全に個人的な興味関心でやりたいし、やらなければいけないと感じた。つまりは、ぼくが勝手にやっているわけです。復興支援について、あまり理屈をつけるのをやめようじゃないか、理屈ではなくて、やりたいと思い、やらなければと思う人が集まって何かをすればよいじゃないか。こう思うんです。

「アリーナ」の意味

――「アリーナ」という言葉に込められているのは?

飯田 コミュニティでもアソシエーションでもなく「アリーナ」であるのは、それぞれの人の思いというのは、人によってばらばらだし違うから。アリーナで示されるざまざまな情報のどれに賛同できるか、何か感じられるか、というのも受け手によってそれぞれだと思いますし、それでいい。

統一の目標を設けて、その目的達成のために何かをするアソシエーションであったり、統一的な価値観をもってまとまるコミュニティではなく、出入り自由のアリーナであるのは、震災の復興に対していろいろなことを感じた、いろいろなものを見た、いろいろなものを経験した、ということを、ある意味、ただ並べたいということなんです。

繰り返しになりますが、並んでいるものから、何を、どのように読み解いていくかは、受けての側に任せたい。ですから、論者・飯田泰之が発言することに比べると、ぼくは、ここでは思い切り自分の主観を交えたことを書くでしょうし、言うと思います。

賛同してくれる人は賛同してくれればいいし、賛同できない人はそれで良い。その意味では、普段やっている説得であるとか、論理的な証拠立てというのは、プロジェクト全体としては、今回はあえてとりません。むしろ、思ったことを並べて、共感できる人が共感する、というようなかたちにしていきたいと思っています。

復興アリーナが復興しようとしているものは何か?

――復興されるという時、いったい何が復興されるのでしょうか?

飯田 復興アリーナが復興しようとしているものというのは何か?「元通りの生活」「元通りの地域コミュニティ」だという人もいるでしょう。あるいは、これを奇禍として「新しい社会を築くのだ」という人もいるでしょう。それも否定しません。

復興への人々の努力は続く

あるいは、「ちょっと困っている人」を「ちょっと助けてあげたい」という人もいるでしょう。ぼく自身の関心はそれに近いですね。すごく悲惨な状況で、非常に苦しんでいて、根本的な治癒が必要な人に対して、大きなマクロな政策をあてはめる、それはそれで大切だと思います。ただ、それ以外に、「ぼくができる範囲のことを、ぼくはやりたい」と思う。

例を上げると、宮城、岩手というのは震災の「被災フェーズ」から「復興フェーズ」になっている。「被災フェーズ」から「復興フェーズ」になると何が違うか? 被災地の皆さんの関心というのが、店舗再開しました、客どうするの、収益どうするの、という、ものすごくシビアな問題になってくるわけです。じつを言えば、これは被災前から問題だったわけです。

考えてみれば、被災の有無に関らず誰にとっても、ビジネスでどうキャッシュを生み出していくかという身も蓋もない、ある意味で単純な問題です。だからこそ難しいわけです。その一方で福島のように、いまだに「被災フェーズ」のところがある。その中で経済学ができることは何でしょうか。

復興アリーナには荻上チキさん、藍原寛子さん、永松伸吾さん、大野更紗さん、いろいろな人が参加してくれています。タイプの違うさまざまな人と意見が並列されること重要なのは、ぼくならぼくが被災と復興の両方のフェーズに強いかというと、そうはないからです。

ぼくは被災フェーズに寄り添うのはあまり強くないと思う。どちらかというと、復興フェーズに入って、次ビジネス何やる、ビジネスはじまったけれどどこに販路を求める、という目的解決フェーズの方がおそらく強い。チキさんはチキさんで問題を掘り起こし発見していくという、寄り添うフェーズに強い人でしょう。

目的はもう決まっていて、それに対して合理的手段を求めている人たち、に対して問題解決をするフェーズには、ぼくがなんらかの比較優位を持っていると思います。それぞれ得て不得手があると思う。

経済学にできることと、できないこと

――このような大災害が起きた時、経済学には何ができるのでしょうか?

飯田 経済学にできることがあるとすれば、ビジネスフェーズになってからです。ビジネスフェーズになれば、経済学にできることは多くなってきます。たとえば、利益とはどこから生れるのか? という問い。利益というのは差別化から生れるのだ、というのが答えです。岩手・新事業の復興支援プログラムでは、その中でしっかりと差別化ができている新事業を発見して、公的資金からプロモーションにいたるサポートををつけていく。そのプロセスにも関与したい。

また、メディアとしては、微力ではありますが、彼らの情報発信の場を提供していくことになる。最終的には被災地の復興のためには、被災地にお金が入らないといけない。お金が入る手段として、もちろん最初は補助金、財政的なサポートが必要でしょう。でも、それは永続はしない。ですから、最終的にはつくったものが売れるか、人が観光に来る、これしかないわけです。

勘違いしがちなのは、集客というと、すぐ安いという方向に向かってしまうんですよね。一時のファストフード業界が典型ですが、一時の安値合戦から差別化競争に移行した。安値で利ざやをとるのはきわめて困難なんです。

差別化をしっかり設計できているところにお金を付けていきたいし、さらには、それを紹介していきたい。たとえば、陸前高田というか、岩手南部って牡蠣のイメージですよね。でも、ホタテと毛ガニの大産地なんです。それなのに彼らがブランディングできていない。

一部の貝類のように、たとえば、その地方でしかとれないけれど、地元の人が意識していないもの、あるいはおいしいのは分かっているけれど、数がたくさんとれないので東京で販路が見つけられていないものがあるわけです。

それに対して、東京には、そういう珍しいものを欲しがっている店があるわけです。少し高めの高級居酒屋で決まりきったメニューだけというのはさびしいですから、何かないかと思っている。そういう場合、「あ、あるんだ」というのが分かってくると違ってくるとわけです。そうしたものを結び付けていく場合は役に立てるだろうと思う。

――飯田さんにとって、そもそも経済学とはどういう学問なのでしょうか?

飯田 経済学というのは 人々が「~すると」満足だという主観的満足度を、人々は最大化していると考えているし、人々の主観的満足度が向上することが、経済学的な価値観における目標なわけです。その主観的な満足がどこから得られるかについては、経済学は語ることのできる材料を持っていません。

従来の経済学が目的としていたものは、金融とか生産とか、いわゆる「お金マター」の話です。そのため、お金マターのことをするのが経済学だと思っている人がいますが、それは経済学を少し狭くとらえすぎている。経済学というのは、個人主義的な主観的な満足を最大化するというのが一番重要な、出発点であり、主観的満足度の最大化に関する話はすべて経済学のはずなんです。

だからこそその草創期において、個人主義の哲学者が経済について語ったものが経済学になっていったわけです。その意味では、経済学というのは、個人主義+制約付最適化に、その妥当性検証のための統計手法をあわせたものにすぎません。

金銭的な価値・報酬を他より優先すること、大企業に都合のよいことを主張することが経済学だと思っている人が多い。さらにそう思っている経済学者さえいることは情けないかぎりです。

たとえば、原発問題について、原発を止めると経済がこれだけ悪くなる、そういう判断材料を出すことは非常に大切です。けれども、そんなに経済的な不利益を被っても、原発が嫌だという意思決定はものすごく重要だし、それを否定するのは経済学の役割ではない。たとえ経済学者が否定していたとしても、その時点で、それは経済学的発言ではないのです。これだけコストがあるのに、嫌なんだとなったら、それは嫌なのだから仕方がないんです。その価値観、価値判断について何か言うのは、経済学の本義をはずしている。

経済学とは、「他の条件を一定として所得は多い方が良い」、「個々人の選択は(その他の人がやるより)当人にとってはマシ」であって、「経済のためには~は我慢すべき」とかいうのは経済学とは縁もゆかりもない主張だということを、みなさんに知っておいて欲しいと思います。

もちろん、原理主義的な原発反対が良いとは思っていません。たとえば、原発再稼動について、関西広域ではこう考えられたと思うんです。今、原発を再稼動したとしても、再稼動しないことに比べてリスクが大して増えるわけではない。今、止めても、炉の中にあるので、危険はそれほど変らない。そうであれば、今年の電力料金、停電と引き換えに、再稼動を容認してもいいだろう。けれども、「これから」については、まったく違った地平が出てくる。やや高いけれど、再生可能エネルギーに向かうのか、そうではないのか。

経済学というのは人々の要望を全面的に受け入れてしまうものなのです。その達成のための方法を考えるのが経済学です。その要望そのもの、人々の求めているものについては、立ち入らない。繰り返しになりますが、ぼくがアリーナでさまざまな価値観をただ並列的に並べたいと思っているのは、その取捨選択は皆さんのやるべきことだと思っているからです。

再分配とは想像力の問題である

――貧困者や被災者といった、少数者に対する人々の対応についてはどう考えますか?

飯田 少なくとも2011年の間は、震災の問題において日本が一致団結できたと言われる。一方でだんだんと現在、その紐帯というのが崩れてきている。日本における自己責任論が面白いのは、誰もがわかる偶然の力によって貧しくなった、これならば同情される。ところが、生まれ育ち、努力によって貧しくなった、これは自己責任で同情されません。

その意味では2011年に関して言えば、貧困者への対応と被災者への対応はまるで違った。現実問題として、いわゆるワーキングプアの側はかなり押しのけられたという印象でしょう。しかし、これから状況は似てくると思います。なぜなら、被災地の中でも次第に明暗が分かれてきている。十分なストックがあってコネクションがあって、行政にアクセスにしやすい人とそうでない人、その差が出た時に、「きちんと、立ち直っている人もいるじゃないか」と言う側には絶対に与しないようにしたい。

――わたしたちはどのように被災地に関ることができるでしょうか?

飯田 三陸地方の震災被害の当事者は、大損害とはいえ日本全体からすれば少数派です。だから、当時の情報を記憶し、アーカイブスすることで、じつは自分がもしかしたら被災したかもれないという想像力を養いたい。

再分配とは想像力の問題である。自分がそうだったかもしれない。自分が同じような状況になった時に、そうあってほしいな、という想像力が働くかどうか。たとえば、生活保護の問題もそうです。十分に必要な生活保護が受給されていないことこそが問題であるのに、本当に例外的なケースについて必要以上に大げさに騒いで、自分の人気取りに利用するのはまったく想像力が働いていないからなんです。

だんだんと日本人が他の境遇を想像するのが難しくなってきている。これは結構、致命的な問題です。階層固定が起きると、そうなる。他の階層について想像ができない。ハイクラスな人はハイクラスな人としか付き合わない。そして、ハイクラスな両親から生れてハイクラスな社会階層にいるわけです。アリーナはいろいろな階層の人が対等にいる場にしたい。

他者の境遇を思いやる、慮る、自分がそうだったらどうしようと思おうということです。今回の震災は大変不幸な出来事でしたが、それを単なる不幸に終わらせないために、自分がそうだったらどうしようと思って欲しい。比較的、震災の場合は、そういう想像力を働かせやすいんですね。それすら働かなくなったら日本はおしまいだと思っています。そこから、自分だったらどうなのかという思考に進んで欲しい。

当事者ではないが、当事者から離れすぎず

飯田 ぼく自身が、復興アリーナのシンポジウムや座談会には登壇しますが、あまり先生役はしないようにしたいと思っています。先生とか、識者というのは「違う人」なんですね。先生でございという感じで現地に行って帰るだと、それは先生様向けの話はしてくれるでしょう。メディアの力って大きくて、テレビが行くとテレビ的な答えを返してくれます。それと同じことが起こるわけです。

ぼくが大学の先生だというのを、復興食堂の連中は代官山(2011年7月の復興食堂東京開催)で知ったそうです。それまでは何となく来ているボランティアの人の一人という感じだった。ぼくが被災したわけではないので、決して当事者ではないのですが、当事者とあまりにも乖離しすぎてしまうと、分かることが分からなくなってしまうと思うんです。

ですから、ぼくが、これが良いと思ったことに関しては、ぼくは中の人のつもりで営業活動をしたいと思います。客観性はないと思う。何とか売ろうとすると思う。それでいい、主観的に関って行きたい。

不連続からの挑戦

――事実の積み重ねと共感の間を埋めることはできるのでしょうか?

飯田 よく淡々とした事実の積み重ねから分かってくることがあると言いますが、通常、データや事実の積み重ねというのは、ある方向性、思想性をもって積み重ねが行われます。学問的な研究であれば自分の研究内容、証明しようとしている事実に対して、整合的で効率的なデータを集めることになりがち。その一方、アリーナではぼくの目的に合致した効率的な情報収集ではなく、集まってくるものを全部集める。並列的にアーカイブ的にデータを集積していく。データーベース化ですね。

被災地の問題というのは、一回システムが切れているということなんです。ビジネスというのは慣性を持っていて、これまで走れていたから走れる、長期低落傾向ではあるけれど、別に明日どうにかなるという状況ではないということです。ところが、それが、一回、切られたというのは、すごくきついことなんです。

―― これから、われわれにはどういう道がありますか?

飯田 全部の東北地区の方々、そして被災によって観光客を失ってどうしようと言っている内陸部の人たちというのは、慣性で何とかなっている状況が切断されているわけです。じつは日本中が抱えている問題があって、自転車操業で走っているから勢いで何とかなっている、それが東北では切断された。では、切断された時に、どうすれば良いのか? その不連続性から立ち上がるとき、東北は日本の先駆的な地域になる可能性があります。

リーマンショックのような純粋に経済的なショックかもしれないし、天変地異かもしれないし、イノベーションによるかもしれない。理由は分からないけれど、これから日本は不連続性によって、これまでの自転車操業から切断される瞬間にどこかで直面します。その時に、一から新しく何かをやろうというのはきわめて大きい。その後を左右することです。東北は地域全域でそれが行われる。これは、そのほかの多くの日本にとって、ものすごく貴重なモデルになると、ぼくは思います。