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「ニューヨークタイムズ」アーサー・オックス・サルツバーガー前発行人を追悼する

茂木崇 ニューヨーク・メディア文化研究者

 「ニューヨークタイムズ」のアーサー・オックス・サルツバーガー前発行人が逝去した。享年86歳。報道と経営の双方で「タイムズ」を見事に導いた発行人であった。その足跡をたどってみたい。

 「ニューヨークタイムズ」の創刊は1851年。現行の体制の「タイムズ」、すなわちオックス・サルツバーガー一族のファミリー・ビジネスとしての「タイムズ」は、1896年にアドルフ・オックスが同紙を買収したことに始まる。

 当時は扇情的なイエロージャーナリズム全盛の時代であったが、オックスは事実を正確に伝えるニュース中心の新聞を目指した。時に読者から退屈と言われようとも、オックスは信頼のおける報道を積み重ねることに力を注ぎ、「タイムズ」の名声を高めた。

 オックスは1935年まで発行人を務めた。以後、発行人は、オックスの娘婿のアーサー・ヘイズ・サルツバーガー(在任期間:1935年~1961年)、アーサー・ヘイズ・サルツバーガーの娘婿のオーヴィル・ドライフーズ(同:1961~1963年)、アーサー・ヘイズ・サルツバーガーの息子のアーサー・オックス・サルツバーガー(同:1963年~1992年)、アーサー・オックス・サルツバーガーの息子のアーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニア(同:1992年から現在まで)と続く。

 「タイムズ」はオックス・サルツバーガー一族の家業である。一族がジャーナリズムに強い情熱を持ち続けてきたからこそ、「タイムズ」は長きにわたってクオリティ・パーパーとして歩むことができた。

 私はニューヨークのメディア・エンタテインメント産業の研究者だが、ジャーナリズムに関しては「タイムズ」ほど面白い研究テーマはない。クオリティの高さという点では週刊誌「ニューヨーカー」など優れたジャーナリズムは他にいくつもある。だが、オックス・サルツバーガー一族の「タイムズ」へのコミットメント、編集局の組織の複雑さ、才能豊かな記者や編集者が織り成す激烈な人間模様、そこから生まれるジャーナリズムを革新する報道のあり方など、「タイムズ」に対する興味はつきない。

 さて、アーサー・オックス・サルツバーガー(以下、サルツバーガー)は「パンチ」の愛称で知られた。この愛称からも分かるとおり、一族の中で彼は才能があるとはみなされていなかった。

 そこで、順当に行けば彼がなるところを、一族はドライフーズに発行人を託した。ところが、ドライフーズは植字工組合のストライキがもたらした心労から急逝してしまう。

 このため、十分に経験を積んでいなかったサルツバーガーが37歳の若さで急遽、発行人に就任する。一族としては一か八かの賭けであった。

 これが、眠っていた才能が開花したというべきか、血は争えないというべきか、サルツバーガーは責任あるジャーナリズムの守り手としても、機を見るに敏な経営者としてもその手腕を発揮していった。

 まず、報道の守り手として特筆すべきは、ペンタゴン・ペーパーズ報道である。

 マクナマラ国防長官の命令により作成されたこのベトナム戦争の記録は、政府が国民にウソをついていたのを明らかにしたもので、機密文書の扱いになっていた。この文書の内容を報道すると、裁判所が国家機密の漏洩と判断した場合、サルツバーガーは刑務所に入る可能性もあった。

 しかし、

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筆者

茂木崇

茂木崇(もぎ・たかし) ニューヨーク・メディア文化研究者

東京工芸大学専任講師。1970年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専門はマス・コミュニケーション論、アーツ・マネジメント論で、守備範囲はニューヨークの新聞、雑誌、出版、テレビ、デジタルメディア、広告、音楽、ブロードウェイ。共著に『コミュニケーションの政治学』(慶應義塾大学出版会)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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